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校歌斉唱     村山 恵美子

2000年2月、古びた地元のホールで高校の吹奏楽部によるコンサートが行われた。トランペットを担当する二年生の娘も演奏者の一人だ。入口には、『名寄恵陵高等学校吹奏楽部ラストコンサート』と書かれた看板が立っていた。

本当に最後なのか…。二月の冷たさや雪景色と相まってラストという文字がいよいよ切ない。少子化による定員割れで生徒が激減、恵陵高校は廃校と決定し、三学年揃っているのは今年が最後だった。

娘の母校は同時に私の母校でもあった。校名は開校以来数回変わっており、校風や学ぶ内容も時代によって違っていたのだろうと思う。娘は普通科だが私の頃は全部が家政科だった。校舎も新しく綺麗になり制服に至っては森英恵デザインの超ミニスカートというから驚く。時代は変わったのだ。

しかし変わらないものもある。その一つが校歌だ。
ラストコンサートは順調に進み楽曲演奏はすべて終わった。指揮者が振り向き客席に向かって来場の礼を述べ、そして、最後にみんなで校歌を歌いましょうと静かに言い、タクトを構えた。
司会者が高らかに言う。
「それでは、校歌斉唱」
生演奏のイントロが流れ出す。ああそうそうこんなイントロだったなあと懐かしい。歌が始まってびっくりした。女たちのすごい大合唱だ。弾かれたように顔を上げいったい誰がと客席を見まわした。

これは…、卒業生だ。大正九年、名寄女子職業学校開校から80年。母校が消えることを知り駆けつけた方々であろう。白髪の大先輩もいれば幼児を膝に乗せた若い母親もいる。様々な年代の女性が会場を埋め、一心不乱に歌っていた。目頭を押さえながら歌っている人もいる。

もうこの校歌の生演奏と大合唱を聞くことはない。最後だと思うと堪えようとしても涙が溢れて止まらなかった。演奏者の女生徒たちも感極まって楽器が吹けなくなり、最後の方は伴奏も途絶えアカペラの合唱で校歌は終わった。
泣きぬれたラストコンサートから二年後、母校は静かにその歴史を閉じた。