小倉百人一首に歴史を読む-3

小倉百人一首に歴史を読む-3

海野 弘

歌人たちも、社会や政治の変動に無縁ではいられなかった。権力者に翻弄される柿本人麿や大伴家持の悲劇はそれを物語っている。家持は、反政府勢力の大伴氏の陰謀に連座したとして、死後も汚名を受けなければならなかった。彼らの歌にもそれらの時代の陰影が漂よっているように思える。
七九四年、平安京に移った。源頼朝が全国に守護・地頭を置いた1185年までを平安時代としている。すでにのべたように、「小倉百人一首」 の大部分はここに収まっている。
平安時代は大きく三つに分けられる。第一期は九世紀末ぐらいまでで、天皇を中心とする律令制度がなんとか継続するが、しだいに藤原氏など有力貴族が勢力を増した時代である。文化史としては弘仁・貞観時代といわれる。最澄の天台宗・空海の真言宗が新しい平安仏教として開かれ、密教的な文化が開化する。天平時代の金銅仏に対して木造の仏像が中心となり、精神性が表現される。
第二期は摂関時代といわれ、藤原氏が摂政や関白として天皇を補佐し、権力を握った。藤原良房が八五八年、摂政となり、藤原基経が八八七年、関白となつたのにはじまるが、醍醐天皇(在位八九七-九三〇)の時、藤原氏と他の有力貴族の葛藤があり、中断する。菅原道真はその渦中にあった。

(注)「百人一首百彩」文・海野弘、画・武藤敏、右文書院刊。

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