小倉百人一首に歴史を読む-5

小倉百人一首に歴史を読む-5

海野 弘

頼通が関白を引退すると、後三条天皇は藤原氏の勢力を押さえ、大江匡房などを重用した。その傾向は次の白河天皇でさらに強まり、一〇八大年、白河は堀河天皇に譲位して、自らは上皇となって政治を行なうことになった。(院政)のはじまりである。
平安期は、第三期である院政時代に入る。一二二一年町承久の乱までである。院政時代は保元・平治の乱の前後で二期に分ける。前期は白河、鳥羽院の時代、後期は、後白河、後鳥羽院の時代である。前期は武士と結んで藤原氏や寺社などの勢力に対抗したが、武士が強力となり、保元の乱(二五六)、平治の乱(二五九)で武家政権が成立したので、後期は旧貴族を集めて、武に対抗しようとした。
一二二一年の承久の乱は、後鳥羽上皇による鎌倉幕府への抵抗であったが敗れ、後鳥羽は隠岐、土御門は阿波に、順徳は佐渡へと、三上皇が配流された。鎌倉幕府の支配が確立された。王朝文化の決定的な終末であった。
藤原定家が『小倉百人一首』をまとめたのは一二三五年ごろとされる。承久の乱の嵐が吹き荒れ、それがやっと終わって」過ぎ去った(平安朝)をふりかえり、そのエッセンスをまとめようと思ったのではないだろうか。天智天皇から順徳院までに、「王朝」の歴史がすっぽり収まっているのだ。

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