和歌史と『小倉百人一首』ー2

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 和歌史と『小倉百人一首』ー2

海野 弘

九世紀末、第二期、摂関時代への過渡期である醍醐天皇の頃に、和歌のルネサンスがあり、天皇の命で紀貫之たちが『古今集』を選んだ。勅撰集のはじまりである。
「古今集」の撰者として、紀貫之の他に、紀友則、凡河内窮恒(おうしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのただみね)などがあげられている。
貫之、窮恒、忠岑が『小倉百人一首』に入っている。
その後、『後撰集』(九五一以後)、『拾遺集』(一〇〇七ごろ)が撰ばれた。『古今集』と合わせて三代集といわれる。
小倉百人一首』に登場する『後撰集』の歌人としては、壬生忠見、平兼盛、源順、清原元輔、大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)、藤原伊尹(ふじわらのこれまさ)、曽根好忠、藤原実方などがいる。
『拾遺集』からは、藤原公任、能国法師、和泉式部、小式部内侍らが『小倉百人一首』に入っている。
『後拾遺集』(一〇八六)は院政のはじまった年に選ぼれた。源経信、良邁法師、大江匡房などが『小倉百人一首』に入っている。
このあたりまでが、第二期、摂関時代の歌人といえるだろう。
第三期、院政時代には『金葉集』一一二七ごろ)、『詞花集』(一一五一ごろ)が出された。『金葉集』から源俊頼、藤原基俊、大僧正行尊など、『詞花集』から藤原顕輔、藤原清輔、相模、周防内侍、待賢門院堀河、紀伊、俊恵法師、藤原実定などが『小倉百人一首』に登場した。

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