和歌史と『小倉百人一首』ー3

和歌史と『小倉百人一首』ー3

海野 弘

一一八八年に『千載集』が出された。藤原俊成、西行法師、寂蓮法師、慈円、道因法師、式子内親王、讃岐などが『小倉百人一首』に入った。
そして鎌倉時代に入り、『新古今集』(…〇五)が出た。『古今集』以後の吏朝和歌のまとめであつた。後鳥羽院、藤原良経、藤原雅経、藤原定家、源実朝きが『小倉百人盲』に入った。
三五年の『新勅攫集』からは藤原公経が入った。
そして三三五年ごろに『小倉百人二日』が選ばれたといわれる。
以上をまとめると、平安時代の第一期から第二期(摂関時代)への過渡期に『古今集』がまとめられ、第二期には『後撰集』『拾遺集』『後拾遺集』がまとめられ、撃二期(院政時代)は『千載集』にまとめられ、鎌倉時代に入って、『新古今集』によって、あらためて、『古今集』以後の時代の和歌がまとめられた、と見ることができるだろ、つ。
『万葉集』 と 『古今集』 『新古今集』 を‥対比してみると、思い、風景、出来事を直拙傍にうたった前者に対して、後者は知的、技巧的になっている。共同体から個人生活へ、野外から室内へ、ともいえる。平安期に、和歌が芸術として確立、整備された。単純化していえば、ものと結びついていたことばを独立させ、ことばそのものを自由に操作歌がまとめられた、と見ることができるだろう。『万葉集』と『古今集』『新古今集』を‥対比してみると、思い、風景、出来事を直拙傍にうたった前
者に対して、後者は知的、技巧的になっている。共同体から個人生活へ、野外から室内へ、ともいえる。平安期に、和歌が芸術として確立、整備された。単純化していえば、ものと結びついていたことばを独立させ、ことばそのものを自由に操作できるようにした。ことばをデザイン化したといっておこう。
与り
具体的にいえば、ことばを集め、分類し、インデックスをつくり、引用できるようにした。それによって、歌から歌がつくれるようになった。いわゆる本歌どりである。表現も、重層的、屈折的になり、比喩や、かけことばが使われるようになる。そのため、古い歌の知識や、ことばの技巧が必要となる。
逆にいえば、歌は、才能がなくても、学習すれば、だれでもつくれるものとなる。『小倉百人一首』はまさに、そのような、和歌のデザイン化時代が生み出したテキストではなかったろうか。

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