『小倉百人一首』と美術-2


『小倉百人一首』と美術-2

海野 弘

平安期の和歌では(題詠)がよく行なわれた。ある題を出して、それにちなむ歌をつくるのである。(題詠)の流行には(やまと絵)が関係があった。
「倭絵が起つて屏風絵にそれが用ゐられるやうになるにつれ、それを題にすることが行はれた」(津田左右吉『文学に現はれたる国民思想の研究』岩波書店一九五一)
現実の風景ではなく、絵を見て歌を詠むのである。
「これは後にいふ紙絵や扇の絵の歌または絵物語と共に、絵画と文学との結合といふ平安期文芸の一特色となすものである。」 (前掲書)
風巻景次郎『中世の文学伝統』も、平安文化の絵画性に触れている。
「この頃の芸術全体の上の特色は絵画的要素の支配した点であった。絵画的ということは、彫刻や建築やらを一層視覚的快楽に奉仕させるようにをる。線条は繊細に、色彩は美麗になる。絵画には仏像画ばかりのところへ風景画が成立する。そして広大な空間を感じさせる画面が成立するようになる。文学の上では描写が成立して、読む中に、まざまざと視覚的映像をよびさますような技巧が生れる。」 (岩波文庫一九八五)
和歌は絵の中の風景を詠ずる。和歌は絵画的、視覚的になり、イメージを語り、屏風絵、障子絵と密接に結びつくものとなる。
このように、平安期には、屏風絵、障子絵さらに紙絵(絵巻など)を見て歌を詠むようになる。
室内的になるともいえる。そして歌そのものが、身近な風景を描写し、視覚的になる。『小倉百人一首』も障子絵という室内装飾と結びついてあらわれる。

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