『小倉百人一首』と美術-3


『小倉百人一首』と美術-3

海野 弘

一方、古い歌人が歌仙として崇拝されるようになる。それは『古今集』などで在原業平など六人をとりあげたことにはじまり、やがて六歌仙と称される。さらに藤原公任(九六六~一〇四一)が選んだ(三十六歌仙)が知られるようになる。
人丸、貫之、窮恒、伊勢、家持、赤人、業平、遍昭、猿丸、友則、素性、小町、兼輔、朝恩、敦忠、高光、公忠、忠琴、斎官女御、頼基、敏行、重之、宗干、信明、清正、順、興風、元輔、是則、元其、三条院女蔵人左近、仲文、能宣、忠見、兼盛、中務の三十六人で、そのほとんどは『小倉百人一首』に入っている。
これらの歌人の作品を集めた 『三十六人家集』が平安未からつくられる。そして鎌倉時代には、(歌仙絵)という、似せ絵(肖像) がつけられることになる。(歌仙絵)のはじまりははっきりしないが、平安末にはあらわれていたともいわれる。たとえば(歌合絵)と呼ばれる、二人の歌仙を組合せたものもあった。
歌仙の中でも柿本人麿は特に歌の神として崇拝され、人麿像がおびただしく描かれた。
(歌仙絵)は鎌倉時代以後も措かれ、扇絵や絵馬などになった。そして、桃山から江戸にはカルタ絵に受け継がれる。男は直衣、女は十二単衣などを着た歌人像は、平安・鎌倉の(歌仙絵)をもとにしているのである。
かな文字で描かれる和歌は、華麗を料紙を一彩る装飾として展開され、さらにその視覚的なイメージ風景が絵画や工芸意匠を呼びだし、文学と美術が総合されたアートの世界をつくり上げた。『小倉百人一首』は、その最も人気のあるテーマなのだ。私たちはそれを歌を読む喜び、絵を見る楽しみとして、ことばとイメージの間を自由に往来して、その世界に遊ぶことができるのだ。

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