8 喜撰法師(きせんほうし)

百人一首百彩-8

海野 弘

8 喜撰法師(きせんほうし)
古今集 題しらず

わが庵(いお)は 都(みやこ)のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり
〔私の庵は、都の巽(たつみ=南東) の宇治山にたっている。そんな暮らしを、人々は、世を憂しとして隠居しているといっている〕
しか
(しかぞ住む)は、鹿が住むではなく、然ぞ住む、つまり、このような暮らしをしている、という意味だ、とされているが、鹿のいるような田園に生きる、としてもいいだろう。宇治山と憂しが掛けられている。
喜撰法師は六歌仙に入っているが、生涯はわからない。山の仙人だったといわれている。猿丸大夫のような山人、役の行者のような山伏であったかもしれない。
百人一首の歌人は、王侯貴族、官吏、宮廷に仕える女人が中心だが、宮廷、都に属さない、山の人々、放浪者、歴史の外にいる人々が入れられている。歌の世界は、一般社会と、そこから排除されている人々をつないでいるらしい。
この歌も、王朝の栄華を求める生活とは別の′、隠居し、仙界に遊ぶ、というもう一つの生き方がある、といっているかのようだ。世捨人のように世間はいうが、この生き方が私にとっては自然なのだと喜撰はいう。すると定家のような宮廷人も、ふと、そうかもしれないと思ったりする。

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