13-陽成院


百人一首百彩-13

海野 弘

13-陽成院(ようぜいいん)
後撰集 釣殿のみこに遣はしける
筑波(つくば)ねの みねより落(おつ)る みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
〔筑波山の峯より落ちるみなの川のように、恋がつもりつもって、深い淵になつてしまった〕

筑波山には男体山(なんたいざん)と女体山の二つの峯があって、その間にみな(男女)の州が落ちているという。
そして男女が親しくなる歌垣で知られる。
陽成院(八六人-九四九).は第五十七代天皇で、清和天皇の第一子であった。清和天皇の母は藤原良房の女の明子(あきらけいこ)で、良房は摂政となり、藤原氏の摂関政治がはじまつた。良房の養子基経(もとつね)は、妹の高子(たかいこ)を清和天皇の女御とし、摂政を継いだ。二条の后といわれ、陽成を生んだ。在原業平とも浮名を流した二条の后はスキャンダラスな女性であった。
陽成は九歳で天皇となった。そして十七歳で退位させられた。それから八十二歳まで生きた。退位の理由は狂気であった。蛇に蛙を飲ませたり、女をしばって水に沈めたりしたという。だがそれも藤原氏の陰謀であったかもしれない。
この歌は「釣殿のみこに遣はしける」とある。光孝天皇皇女綏子(やすこ)で、陽成の後宮(こうきゆう)に入った。陽成の歌はこれしか知られていない。狂える王とされているが、この歌からはそれが感じられない。

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