19-伊勢

百人一首百彩-19

海野 弘

19-伊勢(いせ)
新古今集 題不知(しらず)

難波(なにわ)がた 短き芦の ふしのまも 逢はで此の世を すぐしてよとや
〔難波潟に生える芦の、その節と節の問ほどの短い時さえも逢ってくださらないで、この世を過ごせというのでしょうか〕

節の間は短い時を意味する。節はよ(世)とも読む。〈此世)は短く、会わないでいるとすぐに過ぎてしまう。(難波潟)には、難い、むずかしい、の意がこめられている。
伊勢(八七七ごろ~九四二ごろ)は伊勢守藤原継蔭(つぎかげ)の娘で、宇多天皇の后、七条の宮温子(おんし、よしこ)に仕えた。
そして温子の弟藤原仲平と恋に落ちるが破れる。やがて字多天皇の子を生んだ。
字多天皇は菅原道立具を重用し、藤原氏に対抗させた。そして出家して法皇となった。第一皇子の敦仁(あつひと)親王が醍醐天皇となった。藤原氏の摂政を置かず、(延喜の聖代)と呼ばれ、天皇を中心の政権が一時、復活したかに見えた。
字多天皇が出家して、とりのこされた伊勢は、字多天皇の第四子の敦慶(あつよし)親王に誘惑され、一女
中務(なかつかさ)を生んだ。美しく、恋多き女であった伊勢は、小野小町がそうであったように、晩年に落ちぶれて、淋しく死んだという。
この歌にも」多くの男に言い寄られながら、やがて捨てられてしまう女の哀しみが漂っている。

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