26、貞信公

百人一首百彩-26

海野 弘

26、貞信公(ていしんこう)
拾遺集 亭子院、大井河に御幸ありて、行幸もありぬべき所なりとおほせ給ふに、ことのよし奏せむと申して
ひと    みゆき
小倉山(おぐらやま) みねのもみぢ葉 心あらば いま一たびの 御幸またなむ
〔小倉山の峯の紅葉に心があるなら、もう一度行幸があるまで、散るのを待っていよう〕

亭子院(ていじいん=宇多上皇)が大井河に行った時、紅葉がすばらしいから、もう一度行幸があってもいいほどだ、といった。
そのことを醍醐天皇に奉上しようというのでつくつた歌である。御幸は上皇や皇族、行幸は天皇に使われる。
大井河(大堰川)は嵯峨野の小倉山と嵐山の間を流れている。
この歌は、字多上皇が九〇七年に大井河に多くの文人を連れて行った時のものではないか、といわれている。
ただひら
貞信公は藤原忠平(ただひら・八八〇-九四九)のことである。関白藤原基経の四男で、時平、仲平の異母弟。
九三六年、太政大臣となり、醍醐天皇が譲位し、宋雀天皇となると、摂政となり、さらに関白となった。
忠平は字多の信任を受け、時平は醍醐の信任を受けたので、二つのグループが対立していた。
そんな事情からこの歌を読むと、宇多上皇が、この見事な紅葉を醍醐も見にくればいいのに、といったのに対し、時平がいるよゝつでもある。では私が天皇に申し上げて、行幸してもらいましょう、と勝手にいっている。

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