44ー中納言朝忠

百人一首百彩-44

海野 弘

44ー中納言朝忠(ちゆうなごんあさただ)
拾遺集 天暦御時歌合に
逢ふことの 絶えてしなくば なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし
〔もし逢わなかったら、人のことも自分のことも恨んだりすることもないだろうに〕

平兼盛、壬生忠見が歌合した天徳四年(九六〇)の歌合での歌である。この歌も、二つの解釈がある。
逢わなかったのか、逢ったのかでちがってくる。
前者なら、いっそ逢わないほうが、うらみっこなしでいいのではないか、となる。後者なら、いっそ逢わなければよかった、という後悔の歌となる。
中納言朝忠は藤原朝忠(九一〇-九六七)。父は三条右大臣藤原定方。笙の名手といわれ、華やかな宮廷生活を送り、多くの女性と浮名を流した。『大和物語』などにそのロマンスが伝えられている。
このような人であったから、逢わずにあきらめよう、としたとは考えられない。やはり逢ってから後の歌なのだろう。
天徳四年の歌合は、華やかな祝祭としての歌合の形式を確立したものといわれる。村上天皇の時代に女御、権門の室(貴族の夫人)による歌合が盛んに行なわれるようになり、天徳の歌合はそのピークであった。それは女性が文化に進出してきたことを示していた。
清少納言、紫式部などの女流文学の開花が村上天皇の時代(九四六-九六七)に準備されていた。
一方それは、宮廷文化がますます華美になり、時代から遊離していくことでもあった。

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