45-謙徳公

百人一首百彩-45

海野 弘

45-謙徳公(けんとくこう)
拾遺集 物いひ侍りける女の、後につれなく侍(はべ)りて、さらにあはず侍りければ

哀(あわれ)とも いふべき人は おもほえで 身のいたづらに なりぬべきかな
〔哀れだと、いってくれる人はいるとは思えないから、私はむなしく死んでいくだけなのでしょう〕

詞書によると、つきあっていた女が、後に冷たくなり、逢えなくなったので、つくつた歌という。
ふられてしまったが、だれも同情してはくれないだろう。「身のいたづら」になる、というのは、寝こんでしまい、死にそうだ、というのだろうか。
これただ                 もろすけ
謙徳公は藤原伊デ(九二四-九七二) である。右大臣藤原師輔の子。天暦五年(九五一、撰和歌所がつくられたが、伊伊の宿所である昭陽舎(梨壷)に置かれ、伊伊はその別当となった。そして清原元輔など五人がその寄人(梨壷)に選ばれた。つまり伊伊は歌壇の取締役のようなものであった。
伊伊安子(あんし)は村上天皇の中宮となり、憲平(のりひら)親王(冷泉天皇)を生んだ。冷泉天皇の時、彼は摂政となった。和歌にくわしく、また政治家としても栄誉を極めた、幸運な人であった。
その人が、女にふられて、ひとりで死にそうだ、という歌を詠んでいるのはなんとなくおかしい。

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