57ー 紫式部

百人一首百彩-57

海野 弘

57ー 紫式部(むらききしきぷ)
新古今集 はやくよりわらはともだちに侍りける人の、としごろへてゆきあひたる、ほのかにて、七月十日のころ、月にきほひてかへり侍りければ

めぐり逢いて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな
〔ひさしぶりにめぐり番って、はっきりその人かどうか見ようとしているうちに、月が雲に入って、見えなくなつてしまった〕

詞書によると、幼友だちと、ずいぶんひさしぶりに会ったが、七月十日ごろで、月が夜中に没してしまうので、ぼんやりしか見ずに、月の沈むのと競争するようにいそいで帰ってきてしまった、といゝつのである。

紫式部(九七人?1一〇一六?)は藤原為時の娘。藤原宣孝(のぶたか)と結婚し、賢子・(けんし・大弐三位・だいにのさんみ)を生んだ。夫の死後「源氏物語』を書いた。中宮上東門院彰子に仕えた。道長にいい寄られたこモもあるという。
この歌の幼友だちは男か女か、説が分かれている。男なら、恋が生まれそうで生まれなかったのだし、女なら、すっかり変わってしまって、声を掛けそこねて、なんとなくそのまま別れてしまったことになる。ちょっと微妙で、不思議な歌である。
和泉式部の歌が思いをまっすぐにぶつけるような激しさがあるのに、紫式部の歌は、月の夜の幻影のようなぼんやりした物語を想像させる。

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