64ー権中納言定頼

百人一首百彩-64

海野 弘
64ー権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)
千載集 宇治にまかりて侍りける時詠める

朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれ渡る 瀬々のあじろ木
〔朝、日が昇ってくると、宇治の川霧も散り散りになってきて、あちこちの瀬に掛けられた網代木が見えてくる〕
ひお
網代木は魚をとるための竹の寵を留める杭である。宇治川では冬に氷魚をとるための網代をかける。風景をくつきりと見えるよケに描写している。
権中納言定頼(九九五-一〇四五)は藤原公任の子。小式部内侍のところでも登場した。軽薄でおっちょこちょい、憎めない才子であったという。さまざまなエピソードが伝えられているが、長和三年(一〇一三)、三条天皇の伴で春日神社に行った時、敦明(あつあきら)親王の従者をなぐつたので、五年間、行事の役をとりあげられたという。
一条天皇を継いだ三条天皇は、藤原氏の権力に最も苦しんだ天皇といわれる。道長から無視された。三条の子敦明親王の従者に走頼が乱暴したのも、藤原氏が三条天皇を軽視していたからだろう。
道長は三条に迫って退位させる。それによって皇女当子(まさこ)が斎宮の役を解かれ、都にもどってきたのである。そして道雅と当子のスキャンダルが三条に決定的な打撃を与えた。
三条と道長の権力抗争を背景に、道雅、走頼といった貴公子たちが踊っていたのである。

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