65-相模(さがみ)

 65-相模(さがみ)
後拾遺集 永埜ハ年、椰鼻歌合に

うらみわび ほさぬ袖だに ある物を 恋にに朽ちなむ 名こそをしけれ
〔恋の悩みをうらんだり悲しんだりして、涙に濡れた袖を乾かす間もないのに、恋によって、名前も朽ちてしまうのは残念です〕

濡れたまま乾さないので、袖がぼろぼろになってしまうことと、恋の噂で名前もぼろぼろになることを重ねている。
相模は生没不明。源頼光(よりみつ)の娘ともいわれる。乙侍従の名で宮仕えし、大江公資(さんすけ)と結婚し、その住

地相模に下ったので、こう呼ばれる。公資と別れてから、一品宮祐子(いっばんみやゆうし)内親王に仕え、歌人として知られた。藤原定頼などともつきあいがあり、そのことはうかがわれる。恋をして、思いが詠まれている。
永承六年(一〇五一)は後冷泉天皇、恋の噂が多い。魅力的な女性であったようだ。この歌からもそれを悩み、また世間の噂にも悩むという、悲観的な女性の関白頼通の時代である。この年に東北で叛乱が起こつた。前九年の役である。藤原氏の摂関政治にかげりがあらわれる。相模の憂愁も時代の影であるかもしれない。

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