前大僧正行尊

66-前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)
金葉集 大峯にておもひもかけずさくらの花の咲たりけるをみて詠める

もろともに 哀(あわれ)と思へ 山櫻 花より外(ほか)に しる人もなし
〔山桜よ、ともにあめれと思おうではないか。おまえを見ているのは、私一人しかいないが、私を知っているのも、おまえしかいないのだから〕

哀は、哀れだけでなく、親しく、なつかしく思うという意味でもある。大峯(奈良)に山ごもりしている時に人知れず咲いでいる桜を見て詠んだ歌という。
 前大僧正行尊(一〇五五-一一三五)は三条院の子孫で、参議源基平(もとひら)の三男。十二才で園城寺に入り      出家し、諸国行脚の旅をし、山伏修験の行者として知られる。一一二三年、延暦寺の座主(ざす)となった。
平安時代に密教の影響で、山に入って修行する修験道が盛んになった。大峯山鳩醍醐寺の聖宝にょって開かれ、修験道の中心となった。平安後期には貴族の帰依によJ密教の寺院がつくられ、祈祷が行なわれた。行尊は霊験あらたかな行者として都の注目を集めた。また歌人としても知られた。
彼についてはさまざまな不思議な話が伝えられている。歌と魔術とはどのように結びついているのだろうか。

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