積み上げて感じる幸福

暑い暑いと言っていたら、
ここ2、3日急に涼しくなり
朝晩はクーラーから解放されています。

子供たちはアメリカ、カナダに旅行に出かけ、
私は愛犬と留守番です。

海外旅行は我が家にはちょっと贅沢ですが、
仕事ができる目標になればと
異なった文化や言葉に触れ、
楽しんでくれればと思います

今私は知的精神障害者の就労支援、生活支援に関わらせていただいています。

若者の多くは親から虐待や育児放棄をされてきたひとたち
障害のある高齢者は貧しさゆえに、道を外してきた人たちです。
これからの生活を建て直すお手伝いでしょうか
私は看護師ですから、全ての利用者の健康管理のためにお話を聞いています。

職員の方々のご苦労を見ながら、誰かがやらなければいけないと思いながらも、
これは私がやるの?
と、放り出したいと思う毎日です

利用者の方と話していると
幸せって何だろうと、よく自問します。

ハートリンクスさんと言われる臨床心理士の方でしょうか、その方のブログから多くのことを学ばせていただいています。

少し紹介したいと思います。

幸福がテーマです

人間は禍福終始、何が禍(わざわい)か、何が福かに惑いがちである。
   〔注:「禍福終始」とは、人生は禍と福の連続であり、変化する ものという意味です。〕

   「さいわい」にも幸と福と二字ある。
   「幸」というのは、幸いの原因が自分の中にない、偶然的な、
   他より与えられたにすぎない幸いを「幸」という。

   たまたま、いい家庭に生まれたとか、思いがけなくうまいめぐり
   合わせにぶつかったとかいう、これは「幸」。
   これは当てにならない。

   そうではなくて、原因を自己の中に有する、即ち自分の苦心、自分の努力によって、かち得たる幸いを「福」という。

   〔注:福という字の部首(左側)は示す偏で神様を意味します。
     福という字の旁(つくり=右側)は収穫を積み重ねたこと
     を意味します。〕

   農家でいうならば、俵(米)を積み上げるという文字。
   神の前に蓄積されたものが「福で」ある。

    (参考文献:安岡正篤著 「知命と立命」プレジデント社)

自分の中で積み上がったものから
福を感じる

利用者の多くはほとんど働くことを知らない人たち
嫌になって辞めていく
学校にもついていけなくて
辞めていく
積み上げることをされてこなかった人たちかと思います

今、掃除をしたら何十円と安い工賃ですが
その工賃から好きなのもを買った喜びを感じること

そして、続けていくことで、少し工賃の高い作業に移ることができる喜び

そんなことを体験しながら
積み上げて
福を感じていくのだと、改めて私の役割を考えて見ました。

  

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