二人の講師が超多忙・・・

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写真左は小美濃清明講師、右は宗像善樹講師です。
いま二人の開運村名主が超多忙、歴史の舘の「坂本龍馬」コーナー担当で龍馬研究の第一人者・小美濃清明講師と、同じく「歴史こぼればなし」担当の宗像善樹講師、どちらも著書が大きな話題を呼んでいます。
小美濃清明講師が執筆した「坂本龍馬大鑑」は、すでに各社が大々的な予約発売を始めています。
発売元のKADOKAWAがカドカワストアを窓口に、紀伊国屋、明屋書店など全国書店、さらに全国の郵便局、Amazonも宣伝をと、全国いっせいに予約受け付けが始まっています。


その、PRの一部を下記に転載します。

坂本龍馬大鑑
監修・執筆者:小美濃清明
早稲田大学卒。作家。幕末史研究会会長。全国龍馬社中副会長。主な著書に「龍馬の遺言〔近代国家への道筋〕」(藤原書店)、「龍馬八十八話」(右文書院)、「坂本龍馬と刀剣」、「坂本龍馬・青春時代」(ともに新人物往来社)などがある。
【本書の内容】
第一章新国家をつくる第二章高知城下に生まれて第三章幕末東アジア情勢第四章剣術修行開眼第五章土佐藩の枠にとらわれず第六章脱藩決行第七章勝海舟に心奪われて ~アメリカ最新事情に触れる~第八章薩摩の志士たちと“日本の洗濯”へ第九章長崎の港を見つめて ~海援隊誕生~第十章運命の薩長同盟締結第十一章秘境竹島に夢をもとめて第十二章本懐全う~「新国家創造」に夢と愛を捧げた志士~第十三章新国家の財政計画
※お宝および本書の内容は変更になる場合がございます。
完全受注生産版『坂本龍馬大鑑』仕様
[書籍]判型:A4判(上製・糸綴じ) ページ数:192ページ予定
特製ケース入り[付録]貴重な複製お宝資料全10点収蔵[DVD]龍馬の足跡を追った貴重映像を収録
発売予定日:2017年11月15日(水)【龍馬の命日】
受注期間:2017年7月14日(金)〜9月15日(金)
予価:本体 16,200円(税込)
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これぞ家宝!超豪華 完全受注生産版 坂本龍馬大鑑 〜没後150年目の真実〜 受注期間:2017年7月14日(金)〜9月15日(金)
「湿板写真家・林道雄所蔵」
「湿板写真家・林道雄所蔵」
質感まで忠実に再現した貴重な複製お宝に触れて
“坂本龍馬の実像”を体感する!
坂本龍馬の辿った道を貴重な資料と共に辿る! 大政奉還から150年。そして坂本龍馬没後150年を迎える2017年。日本近代史上最大のヒーロー「坂本龍馬」の最新情報がわかる1冊。明治維新の裏の立役者として、あまりにも有名であるにもかかわらず、多くの謎を残している龍馬。本書では、ヒーロー伝説の再現と共に、今まで語られていなかった龍馬と海外との関わり等、いまだ確認されていないその一面に迫る。大河ドラマ『龍馬伝』監修や、龍馬研究を手掛けている有識者たちによる最新の知見を集めた「最新の龍馬像」をまとめた豪華書籍に加え、龍馬ゆかりの品々を忠実に再現した複製資料全10点+DVDを収蔵。
高知・長崎・鹿児島・京都・東京を中心に、広範囲なお宝資料収集を実施。また重要文化財に指定されている貴重な資料を含む「龍馬直筆の手紙」や関連資料を精密に複製・再現し、これまでにない〝坂本龍馬の実像〟を“読んで、触って、体感する”まったく新しい読書体験をすることができる豪華保存版です。
【監修・執筆者】小美濃清明
早稲田大学卒。作家。幕末史研究会会長。全国龍馬社中副会長。主な著書に「龍馬の遺言〔近代国家への道筋〕」(藤原書店)、「龍馬八十八話」(右文書院)、「坂本龍馬と刀剣」、「坂本龍馬・青春時代」(ともに新人物往来社)などがある。
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記録帳 玄武館出席大概
複製お宝史料 記録帳 玄武館出席大概
「玄武館出席大概」は清河八郎が安政4、5年頃に北辰一刀流玄武館(千葉周作が開いた道場)に籍を置いていた309名の氏名を記録したもの。龍馬が山岡鉄舟(小野鉄太郎)に剣術を習っていたことを証明する史料〈一部抜粋にて複製〉。(清河八郎記念館蔵)
地図 龍馬が見ていたとされる世界地図
複製お宝史料 地図 龍馬が見ていたとされる世界地図
新製輿地全図。箕作省吾作。(国立国会図書館蔵)
【特別付録DVD】 約1年間に及ぶ本書取材の記録
【特別付録DVD】 約1年間に及ぶ本書取材の記録
龍馬の人生と明治維新のことを、末裔の方々や研究者たちが、すべて本企画のために分かりやすく振り返る。特別にインタビュー撮り下ろし
岡崎誠也(高知市長)、尾崎正直(高知県知事)、勝 康(勝海舟の子孫)、小曾根吉郎(小曾根乾堂の子孫)、西郷隆夫(西郷隆盛の子孫)、坂本匡弘(坂本家10代目)、橋本邦健(全国龍馬社中会長)、前田終止(霧島市長)、宮川禎一(京都国立博物館学芸部列品管理室長)、三吉治敬(三吉慎蔵の子孫)等(五十音順/敬称略)
以上の内容ですが16、200円でも龍馬ファンなら購入に心が動くような気もします。

 さて、日本橋高島屋8階の特設ホールで開かれている世界遺産「沖の島(宗像大社)」展、2日目でしたが大盛況でした。
宗像善樹講師の著書「史料でみる宗像三女神と沖ノ島傳説」も販売コーナーに山積みで売れ行き好調、一安心です。
当日同伴の相棒は、このHP「癒しの家」で「佐藤堅太郎の旅の絵日記」を担当する佐藤講師です。
会場入り口で写真を撮ろうとしても大混雑で人の切れ目がなく、このような写真になりました。

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80歳超の元氣高齢者二人、左が佐藤堅太郎講師、右が私(花見)です。

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人口減と町興し。

人口減と町輿し

花見 正樹

7月14日(金)、米沢新聞社が事務局を務める米沢・置賜経済人クラブの東京例会に出席して参りました。
財務省国際局次長O氏などの講演があり、その合間に米沢の中川勝市長、吉野徹商工会議所会頭ともお会いしました。
中川市長の話で人口8万4千余の米沢市が、ついに出生率500人を割ってしまい、 いまや米沢市も、人口減に歯止めが掛からなくなってしまったとのことです。
なにしろ、ピーク時には94,790人だった人口が平成29年の3月の調査で、84、563人・・・なんと1万人減ですから市長の嘆きもよく理解できます。
しかも前述のように出産数も激減ですから人口は減って税収も減るばかり、それでも行政は支出増、公共設備や福利厚生、教育などにどう対応すべきか悩みに悩むばかりとお見受けしました。
その結論は、どの市町村でも同じこと、町輿しで観光収入を増やし、Uターンで若者を呼び戻す、それには魅力的な町づくりが必要不可欠・・・それにはペンの力も借りたいとのことなのです。
現在の私は米沢新聞社顧問ですから、米沢にも協力を惜しむものではありません。

ところで、先週のこのコーナーでは、茨城県古河市の市長、教育長との町興し談義を話しましたが、古河市は文化度も高く有史以来の歴史のある城下町ですから、町興しへの切り口はいかようにもなります。
古河市と私の住む埼玉県久喜市とは、利根川を挟んだだけの隣接市ですから、共に首都圏への通勤圏内で、東京のベッドタウン的傾向が強いことから人口減は殆どありません。
茨城県古河市は平成22年度末に約144、948人で、6年を経た平成28年の年度末が144、394人、ほぼ変わりません。
埼玉県久喜市は、平成22年3月末で157,007人、平成28年年度末は、154、033人、こちらも町村合併で新たな市が出来て以来、ほぼ同じ人口で推移しています。

国全体の人口減と出生率減少中での人口維持ですから、所帯数はは大幅に増えています。それでもすでに頭打ち、これからは全国他の市町村同様、人口減に転じるのは自然の理、このまま手をこまねいているわけにはいきません。
そこで、お節介ながら、旧知の仲の久喜市長の意見も拝聴することとし、近日中に会うことになりました。

いま私は、友人の元ANA取締役・西川嘉伸氏の故郷・綾部市の小説の詰めをほぼ書き上げて推敲中です。京都府綾部市は、風光明媚で人情に富み、文化度の高い歴史の町でもあります。綾部の 山﨑善也市長自身が、世界銀行役員を目指す出世街道を捨て、「いざ帰りなば」と故郷の苦境を救いにイバラ道を選んだ侠気に富んだ人物ですから、その人柄や行政手腕のズバ抜けた凄さは、外部の私から見ても魅力的です。それは、取材を重ね執筆を進めるうちに、その行政手腕の斬新さと勇気ある積極性にほとほと感じ入るばかり。小説の中でもいつの間にか準主役でご登場頂いています。
それでもなお、綾部市も人口減には頭を悩ますのですから地方都市の人口減は、もはや行政手腕だけではどうにもならない状態なのは間違いありません。
なにしろ、日本の人口そのものが今後50年もしない間に9千万人を切ると予測されているのですから、今のままでは日本そのものが滅びてゆくのです。
若者が、穏やかで平和な故郷を捨て、刺激と成功を求めて都会に憧れるのは仕方ありません。それを家族ごと故郷にUターンさせれば人口は倍増する理屈なのですが、故郷には家族を養う収入源になる就職先がありません。そこで工業団地を整備しての企業誘致となります。
これがまた自然破壊につながりかねませんから、行政側にとっては痛し痒しなのです。
地元の久喜市、お隣の古河市、縁のある米沢市をはじめ、全国各地の行政の長たる人は、それぞれが魅力的な個性や才覚をお持ちなのは当然ですが、これからが大変です。
私は、それにどう協力すべきか? それを考えるとき、これも執筆業の幸せのひとつであることに気付いて、心躍ります。
さて、もう夜が更けて16日(日)・・・今日はお盆恒例の母を囲んでの兄弟身内での食事会、元気で生きているのにお盆での集まりとはいささか不謹慎ですが母は大喜びです。
もうすぐ103歳、とうにあの世だったはずの母は元気いっぱい、これも温かい周囲の人情のおかげ、私も母と同様、周囲に助けられて元気に生きています。
この15日(土)も35度を超す炎天下でのアウトドアーでシャキシャキ、全ての人にも天地にも感謝感謝の一言です。

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鷹見泉石をご存知ですか?

鷹見泉石をご存知ですか?

花見 正樹

7月8日(土)、茨城県古河市中央町の文學資料館に行って参りました。
鷹見家11代当主の鷹見本雄(もとお)さんの「蘭学家老・鷹見泉石の来翰を読む」の出版パーティです。
私の住まいは埼玉県久喜市内栗橋という宿場町で、利根川の渡船場近くに関所がありました。
それ以外は、全くといっていいほど他に自慢できる史蹟もありません。
そこから利根川を渡ると茨城県古河市で、一般的には譜代大名・土井家八万石として知られ、歴史の宝庫でもあります。
古河城は鎌倉時代の初期に活躍した御家人・下河辺行平によって築城され、転々と城主を変えています。
天正18年に後北条氏が滅び、秀吉の命で駿河・東海に5カ国から関東に移討された徳川家康は古河を重要視し、嫡男松平信康の娘婿である小笠原秀政を3万石で下総国・古河に入部させます。ここから古河は譜代大名の城下町として発展します。
城主は、3万石(譜代).小笠原秀政から始まって、松平家、小笠原家、奥平家、永井家、第一期・土井家5代(16万石→7万石)、堀田家、松平(藤井)家、本多家、松平(松井)家、第二期土井家7代(7万石→8万石)となっています。
そして、前述の如く幕末期の土井家だけが飛びぬけて有名で、古河といえば土井家八万石といわれます。
その大きな要因の殆どは、幕末の城代家老・鷹見泉石(たかみ せんせき)の業績に負うところが多いのです。
鷹見泉石(天明5年・1785~安政5年・1858)は、江戸時代の蘭学者で古河藩家老、名を忠常、通称を又蔵、十郎左衛門。字を伯直(はくちょく)といいい、さらに号は泉石の他に楓所(ふうしょ)、泰西堂(たいせいどう)、可琴軒(かきんけん)などがあり、さらに、ヤン・ヘンドリック・ダップルというオランダ名もあるという名前大臣です。
幕末期の鷹見家は家禄250石、泉石は藩主に補佐して全国各地へ同行して「土井の鷹見か、鷹見の土井か」といわれるほどの力を発揮し賞賛されています。
弘化2年に330石に加増されながら翌年の弘化3年(1846)に罷免されて古河に隠遁します。
泉石は、対外危機意識の高まる幕末期に、早くから海外事情に関心をもち、地理、歴史、兵学などあらゆる学問の習得と書物の収集に努め、川路聖謨、江川英龍、渡辺崋山、桂川甫周、箕作省吾、司馬江漢、谷文晁高島秋帆、大黒屋光太夫、足立左内、潁川君平、中山作三郎、カピタン(オランダ商館長)など幅広い分野の博識者と広く交流を持って洋学にも貢献しています。
渡辺崋山筆による鷹見泉石像(東京国立博物館蔵)は天保8年(1837)、泉石53歳のもので、西洋の画法も取り入れた近世画の傑作として国宝に指定されています。下世話な話で恐縮ですが時価数億円・・・内緒話です。その肖像画を惜しげもなく名刺に用いている方が、上記写真み左の鷹見家第11代当主の鷹見本雄(もとお)さん12代目の好青年・忠雄さんはまだ用いていない様子でした。
鷹見泉石の功績の一つに『鷹見泉石日記』があります。
これは泉石が職に就いた12歳から、なんと60年間にわたって書き続けた公務中心の日記で、泉石の交友の広さと、客観的な視点での文章から史料価値の高い一級資料になっています。
とくに、大塩平八郎の乱については泉石自身が鎮圧に当たったことから事件の詳細が分かります。
その『鷹見泉石日記』をはじめ書状や地図、書籍や絵画など、古河歴史博物館が所蔵するだけでも鷹見泉石関係資料は3000点を遥かに超すそうですから、鷹見泉石の偉業も、それらに加えて広大な家老屋敷の管理に関係する第11代、12代の鷹見家ご当主のご苦労も察して余りあるものがあります。
隠居した泉石は、安政5年(1858)、古河長谷町の現在の古河歴史博物館・鷹見泉石記念館にあたる隠居屋敷で死没、享年74歳、墓地は古河市の正麟寺にあります。
さて、私の住む久喜市の市長とは旧知の仲ですが、今回、古河の市長、教育長と親しく話し合えたことは今後の古河史取材に極めて有意義でした。この出版パーティにお招き頂いた宗像善樹ご夫妻に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

 

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サバサバと!

 

サバサバと!

花見 正樹

7月に入って2日目の日曜日、梅雨空がからっと晴れて絶好のアウトドアー日和でした。
とはいえ、母親がお世話になっている介護施設からのお招きで、母親の103歳誕生祝い会の打ち合わせです。
なんと、施設でパーティを開いて私達息子4人兄弟夫婦総勢7人(4男が配偶者病死)を招待してくれるというのです。
その打ち合わせを終えてすぐ、日曜日恒例の川魚釣りと、身内の病気見舞いで、一日が過ぎました。
ところが、この日、とんでもないことが起こっていました。
将棋の天才で14歳の藤井聡太四段が、将棋会館で行われた竜王戦決勝トーナメントで、ついにデビュー以来29連勝の新記録で破れました。
お相手の佐々木勇気五段は、スイス生まれ22歳のイケメン棋士で、女性雑誌のグラビアに載るほどの人気棋士だそうです。
30連勝ならずでさぞ悔しかろうと思ったら、当の藤井四段はサバサバした表情で「完敗でした」とあっさりです。
さて、負けてあっさりといかないのが自民党、こちらは2日夜に幹部会で大変な騒ぎになっているはようです。
安倍総理関係学園問題、獣医科大学問題、稲田発言問題、豊田暴力問題、下村献金問題と問題だらけで勝ち目はありません。
なにしろ都議選の開票前に出口調査で、すでに小池百合子都知事率いる都民ファーストの会の圧勝、自民党の惨敗が決まっていたのですから、もう安倍総理の心中が穏やかでないのは当然で、藤井少年のようにサバサバとはいきません。
明日からの政局がどう動くのか? 東京都政はどう変わるのか? 築地問題は?
藤井四段と佐々木五段の今後は? と思いは尽きませんが、そろそろ寝ないと夜が明けます。明日は私もサバサバと過ごしたいものです。、

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海の神、山の神

 今日は、古代から崇拝されている海の神と山の神の揃い踏みです。
世界遺産登録ま近の「沖ノ島=宗像大社」と山岳信仰の雄「武蔵御嶽神社」です。
どちらも古いだけではありません。人生行路を守る神と、人生勝負を勝ち抜く神の物語です。
この両者の共通点は、どちらも日本有数のパワースポットであることです。
本HPの「お休み処内・開運&心霊スポット」コーナーには、どちらも掲載されています。
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6月19日(月)、久し振りに千代田区一ツ橋の如水会館で開催された日本ペンクラブの総会に出席して参りました。
最近は政治的色合いの強いペンなのであまり気乗りしなかったのですが、会長の浅田次郎さんに会いたかったからです。
この同じHPのお休み処で「開運・心霊スポット」を担当する小林永周講師がなんと浅田会長と親戚だったのです。
小林講師は御嶽山の行事で浅田氏と会って、この著作を戴き、その作品内に出て来る浅田氏の祖父・武蔵御嶽神社の神主が、自分にとっても祖父なので驚き、浅田氏と話し合ってみたら同じ祖父だと分かって本人同士がマタイトコで驚いたそうです。
その時、小林講師が戴いた本を私がちゃっかり頂戴し、親友

としての紹介状持参で会い、図々しくサインも頂いてきました。
ま、私が、浅田会長の親戚の親友である上に、私の師匠の青山光二師もよくご存じで大いに歓迎された感じです。
と、私は勝手にそう推測したのですが、総会後の理事会で会長改選、私と交換した名刺が会長としてのラストの1枚でした。

6月20日(火)は、待ちに待った同じこのHP内「歴史の舘」で「歴史こぼればなし」担当の宗像善樹講師のライフワークの一つでもあった世界遺産予定の「宗像大社・沖ノ島」本の発売日・・・著書が全国有名書店に並びます。
7月初旬の世界遺産決定までの出版にまにあって関係者全員が「ヤレヤレ」で一部では祝勝会も始まっています。
ところが、あろうことかアマゾンと書籍の取次業者のトラブルの影響で、宗像講師の著書「史料にみる宗像三女神と沖ノ島伝説」が本のスーパーマーケットに姿かたちがないのです。これは一大事、本と言えば「アマゾン」と反応する単細胞の私などはどうしていいか分かりません。ひとまず、お近くの書店にお申込み頂くのが一番、宜しくお願いします。

6月25日(日)雨もようの一日でしたが、今日は、かつて水泳で活躍した故山中毅氏のお別れ会でした。
昭和39年の東京を含めて三度のオリンピックに出場して4つの銀メダルを獲得、金がないのを本人は悔しがっていました。
水泳会では、世界の古橋、世界の山中といわれる逸材でしたが、ついに病いには勝てませんでした。
お別れ会は、故山中氏の出身校・早稲田大学内大隈ガーデンハウスの1、2階を借り切って記載されました。
友人仲間、母校の水泳&体育関係者、政財界の早大出身者など多士済々約150人ほどの集いでした。
私は友人として親しかっただけに辛い気持ちでしたが、立派な社会人のお子様に接して一安心、肩の荷が下りました。

 

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築地と豊洲

一般の人には何の関わりがない築地市場移転問題ですが、築地に仕事場のある私にとっては無縁ではありません。
知人も馴染みの店も移転することになるのは一時的にしろ残念でならないことです。
ところが、これが思わぬ展開になっています。
小池都知事は昨年來、豊洲市場の安全性確認などで移転を延期してきましたが、豊洲市場の「安全・安心」の確保と、市場収支を重視して、土壌や地下水の汚染対策のため地下の底をコンクリートで覆うなどの追加対策を示し、豊洲に移転。ただし、その後も、築地の跡地を再整備して賃料の安定収入を図ると、約35年後には累積赤字を解消できるとしています。
これで、市場移転問題を都議選での争点にして、優柔不断な知事を責め倒すつもりだった自民党など各党は、成す術もなく、ぐずぐずと文句を言うだけで何も出来ません。
豊洲には移転するが、国際的になった築地ブランドを生かすために築地も売却せずに活用する・・・この玉虫色の案は、必ずしも歓迎されていません。豊洲移転に賭けた一部の出店業者には、まるっきり不評なのです。
一番の理由は、豊洲ブランドの知名度を築地並に上げるのは無理だし、地の利も悪いため観光客誘致にも苦労する、などです。
東京都はつい先日、豊洲市場の都民見学会を開きました。
約1500人の応募者から抽選で選ばれた100人が参加者して、施設を見て回ったそうですが、やはり、質問の大半は食の安全性に関わることだったそうですから、まだまだ問題は残ります。
もっとも、見学会を許可した小池都知事の狙いは、豊洲市場の土壌汚染や地下水の安全性に不安があることを、そのままアピールする狙いもあったのは明らかで、見学コースも青果棟や水産仲卸売場棟だけでなく、敷地内の地下水の管理システムなども公開しています。
これで、まだ万全ではないが周囲の圧力に敗けて移転を決断した、という都知事の逃げ道は出来ました。事実、この問題は石原元都知事の責任であることは明白なのですから、そこをきっちりすべきなのです。
ともあれ、いま築地は大きく様変わりしています。
花見サロンの入居するマンションの真下の道路も、明るい色彩模様の四角タイル嵌め込みのモダンな舗装になりました。
江戸時代は軍艦操練所、講武所などがありましたから、旗本、剣客などが通った道です。
そう思うと、更に築地が好きになりそうです。

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本願寺近景20170609

お元気ですか? 暦の上では「梅雨入り」、天候不順な日々がこれから続きます。
お互いに「健康第一」、元気で楽しく日々を過ごしましょう。
私は仕事の手を休めた時、眼下の築地本願寺を眺めて疲れを癒します。
上の写真は、6月9日(金)現在の築地本願寺の中庭風景です。
この工事は、平成15年からの計画に基づき、昨年晩夏の盆踊りが終ってから始まりました。
それからは、広い本願寺の中庭に工事の車が出入りして、今はこのような姿です。
なにしろ、私のオフイスの眼下の風景ですから、気にしないではいられません。
築地本願寺からの工事説明では、「修景整備で本願寺が、開かれた寺院として憩いの場になる」そうです。
工事は、ピンコロ石とカラーブロックと芝生を組み合わせた修景整備からスタートします。
設計は三菱地所設計とあり、建築家・伊東忠太氏の基本設計に忠実にとなっていますが、伊東忠太氏についての説明はとくにありません。
インフォメーション棟と永代合葬墓(合同墓)を新たに設置して、多くの人々に利用される寺院にして、憩いと安寧の場を提供とありますが、何だか「めい冥途で安らかに」と聞こえないこともありません。
施工は松井建設で、上記写真の右側が第1期工事で参拝者用駐車場で、この工事が先行して着手しています。
今後、第2期も並行して進めるそうですが、第2期は写真左側に建物が出来ます。
次の画像が、それらの完成イメージです。


この「築地本願寺境内整備並びに建物除却・新築・改修及び合葬墓設置工事」は、「首都圏宗務特別開教区伝道推進基本計画」に基いた計画だとありますが、役所の必要な書類上の大義名分を見ただけではとても理解できません。
早く言えば、「若い世代の宗教離れを防ぐ」「ライフスタイルの多様化に対応」「仏教を身近に」「心豊かな日々を」「終活など人生のラストステージを支える」、そんな環境のばを整える、ということのようです。
新たに建つ二階建て内には、50席程度のカフェ、多目的ホール、仏教書などの販売コーナーなどが出来ます。
これらが完成しますと、観光客や参拝者の憩いの場として年間約33万人に及ぶ来訪者を誘致できる予定です。
さらに、地下鉄日比谷線築地駅から境内に直接入れる通路もできるそうです。
以上、装いを一新した折は、創建から400年を迎える節目の年に「報恩講」として開かれる盛大にお披露目されます。
さて、その時に私はどうしているか・・・こればかりは今のところ白紙状態です。

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6月に入って・・・

ひと昔前までは、6月というのは私にとって特別に思い入れのある月でした。
理由は単純で、6月1日は特殊な例を除いて全国いっせいに鮎釣りの解禁日だからです。
私は、釣り雑誌の大手・つり人社の別冊「あゆ」の常連執筆者で、下手な鮎釣り師として全国鮎河川を放浪していました。
取材を兼ねて好きな鮎釣りが出来て、漁協にも歓迎され地元の鮎釣り名手とも交流を重ね、毎年、至福の夏を過ごします。
以前は、週末になると電話一本で「オイ・オマエ」で連絡をとり、河原で待ち合わせしてテントで寝起きしたり、河原でバーベキューをしたりと、鮎釣り三昧の夏を過ごしたものです。
その夏が終わる頃、河原に真っ赤な曼珠沙華の花が咲くと、落ち鮎の季節が来て、涙して夏も鮎も終わります。
ところが、今はその習慣も崩れ去り、車で川までは行きますが鮎釣りの道具は積んでいませんので見物だけで帰ります。
なぜ、そうなったのか?
1、長い年月を共に過ごした鮎仲間が高齢化して一人減り二人減り、釣り仲間との想い出が辛いのです。
2、初夏の若鮎は小さいですから、竿も仕掛けも小鮎用の繊細なもので情緒的ですが、目が不自由だと面倒なのです。
3、白内障・緑内障・視野狭窄症で細かい目印がみ見にくくなって、繊細な釣りが苦手なのです。
4、以上の理由で長距離運転が少々苦手になっていますので、気楽に鮎河川に行けなくなったのです。
5、ふつうの鮎を釣っても楽しくないのです。
では、自分の楽しみはどこに消え去ったのか?
私の人生の三大生き甲斐は、占い、もの書き、大鮎釣り、これしかありません。
したがって、鮎釣りを引退した分けではありません。
拙著に「巨鮎に憑かれた男たち」があるのですから、そう簡単に鮎釣りから撤退は出来ません。
夏は雑魚釣りで孫と遊び、初秋からが本番です。
もう今から夢も見ますし心は弾み、激流の中に竿を出して大鮎を掛けた瞬間の衝撃、その獲物との引っ張りっこ、手元に寄せて暴れる相手を手網に入れた時の感激・・・この三つの楽しみが頭をよぎり眠れぬ夜もあるのです。
昨年は、夏のトレーニング不足が祟って、河原から崖路を歩く途中でバテました。初めての出来事で大反省です。
ホームグラウンドの球磨川(熊本県)は日本三大急流の一番手(他は富士川、最上川)ですから舐めてかかると命に拘わります。今から足腰を鍛え、今年は万全を期します。
しかも、上記5項目の欠点は、解決できるのです。
1、熊本、大分、鹿児島など各県から釣り仲間が集って毎晩、温泉と宴会です。、、と
2、竿も仕掛けも、掛かった獲物も大きいですから豪快です。
3、大きな目印でもあまり気になりませんから目の心配は半減します。
4、鹿児島空港から人まで高速バス、バスターミナルからは仲間のジープで気とまで助手席です。
5、大鮎以外はいませんので、相手が掛かれば楽しめます。
以上、今から毎日が、心も体も大鮎のための準備運動期間になり、他のことは頭にありません。なお、私の知る限り友釣りで釣り上げた大鮎の世界記録は、33センチ500グラム、釣り人は、古きよき仲間の群馬県で釣りスクール主催の野嶋玉造(がまかつテスター)名人、現認者は花見正樹・・・DVDは市販にもなっていて恥ずかしながら私の名も載っています。知人から「あんたも釣ったんかい?」と電話も来ますが、残念ながらそんな化け物みたいな大鮎が棲む激流には入れませんし、取り込む技術も自信もありません。それでも夢はみますし小説は書けます。
前述のつり人誌に掲載の「鬼棲む球磨川」、このHPの花見正樹作品集にもあります。
さて、今宵は眠れるかどうか?

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大関昇進!

昨日28日(日)の大相撲夏場所は、稀勢の里休場の中、またモンゴル横綱同士の千秋楽打ち上げ対決で幕となりました。
すでに前日に優勝を決めている横綱・白鵬が渾身の力を振り絞って、横綱・日馬富士を下して6場所ぶり、38度目の優勝を全勝で飾ったのは立派、文句のつけようもありません。
しかも、全勝優勝は史上最多の自分の記録を破っての13度目、これにはグーの音も出ません。
この偉大な記録を、これから台頭する日本人力士が更新できるのか?
もしかしたら稀勢の里が?
いや、これ以上無理してまた体を壊してはいけません、横綱として10回ほど優勝してくれたら大満足です。
では、大関・豪栄道は? 勝ち越しただけで一安心、ムラが多いだけに横綱には無理な気がします。
関脇・高安が大関になって一気に横綱を狙って勝ち続ければ?
高安もすでに27歳、大関昇進後、横綱まで行けるかどうか疑問です。できれば、稀勢の里に次いで日本人横綱になってほしいものです。
私が生きている間には、日本人力士による白鵬の記録更新は期待しないことにします。

 さて、我が家の土俵は、上記写真の水槽です。
横綱はいません。
過去には、ブラックバス山、カメの里、ウグイ山など重量級もいましたが、暴れたり、同じ土俵内の幕下のザコ達を片っ端から摘まみ食いしたりして永久追放で放流罪に処され、今はエビの川部屋が9人、ドジョウ里部屋が4人、クチボソ山部屋が7人と総勢20人ながら関取不在、全員が幕下&序の口ばかりというドングリの背比べ状態ですから、圧勝も完敗もありません。


その3部屋の力士それぞれが餌の取り方が違います。
餌は栄養を考えて2種類、主食は「炒り糠」、副食は「乾燥赤虫」です。
地元の米屋から小魚釣りの寄せ餌用にいただく米ヌカを炒って香りをよくして与えます。
すると、まずドジョウ里4人がいっせいに飛び上がって体をくねらせながら夢中で水面に浮いたエサをパクつきます。
その餌が水分を含んで沈み始めると、待ち構えたクチボソ山7人が水中乱舞で食事を始めます。
その間、エビの川9人は、樹脂製ニセ樹木に鈴なり状態で知らん顔、誰一人動こうとしません。
そのうち、食べ疲れたドジョウは水槽の底の小砂利に横たわってグターとなり、ひと眠り?です。クチボソは、水中の餌が無くなると底まで探しますが、すぐ飽きて元気に仲間で追っかけっこをします。
このクチボソは、昨年の晩春に鯉釣りの大池から孫と手網で獲った1センチほどの幼魚約50尾ほどの生き残りです。
なぜ、このように激減したかというと、栃木県の清流・小倉川で釣った「カワムツ」4尾を一緒に飼ったからです。この川魚が意外にしぶとい悪ガキで、人の目のあるときはおとなしく泳いでいて、夜になると小魚漁りをしていたのです。
「なんだか小魚が減った」と気づいたときは後の祭り、殆どが「カワムツ」の餌になってこの世から去りました。
そのカワムツ4尾を別の水槽に移したのが悪かったのか、ある朝、突然死していたのです。
原因はいまだに分かりません。多分、酸欠か、温度差による冷水病か、水質が合わなかったのか、小魚を主食にしてたのが突然「炒り糠」にされて食中毒だったのかも知れません。
さて、水槽のエビに戻ります。
ドジョウもクチボソも餌を食べ尽くしたつもりで、遊んでいる隙に、人口樹木から静かに離れたエビの川9人は、思い思いの場所で細かい手足を動かして微細な食べかすを上手に探して食べ始めます。なんだか、底石のうえ、砂利の隙間、濾過器の上、ありとあらゆるところに細かい餌があるらしく、心行くまで食べてから、また人口樹木に戻ります。
問題は「乾燥赤虫」です。
「炒り糠」は粒状でしたから、ドジョウ里もクチボソ山も見落としがあって、エビの川が漁夫の利でおこぼれに預かりました。
ところが「乾燥赤虫」は、水を含んでも形も色も赤虫ですから、小砂利の中に落ちてもドジョウ里はヒゲのアンテナで難なく見つけますから、エビの山までは充分に餌が回らないらしく、エビの川の水底掃除作業も短時間で済んでしまいます。
これに気付いたので、餌を2種類用意している次第です。
つぎは、縄張り争いです。
ダーウインの説では、どんな動物でも優劣の順位があり、縄張りの優劣もあるとしています。
我が家の水槽には、3本一組で二組の土管があります。
この6本の土管の奪い合いが熾烈なのです。
水槽の水を入れ替えた時などは、我れ先にと誰もが土管に潜り込もうとします。
以前は、ここがクチボソ山の部屋元かと思うほど、小さなクチボソの遊び場でした。
ところが最近では、エビの山の強引な突き押しに敗けたのか体が大きくなり過ぎたのか、クチボソは土管には寄り付きません。
この土管は、ドジョウ里とエビの川が毎日、熾烈な縄張り争いを繰り返しています。
ドジョウ里は土管が大好きで、いつもここで遊びたいのですが、先客にエビの川がいると遠慮して、一本の土管に三人のドジョウ里が順々に入って顏を三つ出したまま身動き出来ないギュウギュウ詰め状態だったことがあります。
本来、エビの川の居場所は前述の人口樹木ですから、土管になど入る必要はないのに、ドジョウに対する意地悪か、縄張りを主張するために土管を乗っ取るのか、全く意味不明、言葉が通じませんのでインタビューも出来ません。
こうして我が家の水槽でみる限り、エビの山が一番したたかで餌に困って餓死することもなさそうです。
臆病なのはドジョウ里で、水の入れ替えなどでショックを与えると石裏や土管に隠れて暫くは姿を現しません。
エビの川は、水が替わるとスイスイ泳ぎ回っていてなかなか自分たちの住居である人口樹木に近づきません。それでも1時間もしないうちに人口樹木は9人のエビの山で鈴なりになります。
エビの川9人の体重差で、人口樹木の場所取りの場所が違うのかどうか、これは分かりません。
クチボソにははっきりと縄張りがあります。大きい順にいい場所を休息場所にしています。
一番場所は、人間から見て遠くて陰になる水槽の底、そこが一番場所で、時々、ドジョウ里と仲良く同居していますが、同じクチボソは寄せ付けません。同種で縄張りが判明したのはクチボソ部屋だけで、ドジョウ部屋とエビ部屋のナワ張り争いはまだはっきりとは分かりません。
ともあれ、我が家の水槽の各部屋は三者三様、楽しく怠けて過ごしていますから、横綱どころか十両にも上がれません。

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一週遅れの母の日

 5月21日(日)午後3時過ぎ、群馬県館林市では気温が35度を超え、熊谷、福島、伊勢崎なども34度を記録し、東京都心でも30度オーバーの猛暑で、早くも真夏日の到来です。
この厳しい暑さは、東日本や東北南部を中心に明日からも続きそうですから熱中症には注意が必要ですね。かといって、いきなりの低温冷房で冷え過ぎて体温調整に失敗すると、この夏を乗り切れなくなりますから弱冷房で我慢となります。
ところが、私が通勤に利用する東武線の車内の空調は乗客の混雑状況にお構いなく「暑い日は冷やす」という基本パターンを忠実に守りますので、暑い日だからと半袖ででも乗ろうものなら冷凍庫に閉じ込められたような生き地獄を味わうこともあります。
多分、それで体調を崩す人も少なくないと思いますが、鉄道側の過剰サービスに文句を言うような人はいないようです。
さて、我が家は。一週間遅れの「母の日・食事会」でした。
写真は、三男夫婦に散髪してもらってサッパリ顔の102歳9ケ月の母です。
よく長寿の秘訣は? と聞かれますが、母に代わって私が「ストレスを溜めないことだと思います」と答えています。
それと実際は「手もみツボ効果」も大きな要因のようです。対外的には「開運道式手相・手もみ健康美容法」となりますが。
母は7年前まで長男家族と同居していましたが心臓疾患などでの入院生活、要介護度5の点滴と酸素吸入での病院暮らしでした。ある日、危篤状態で身内が集まるようにと医者に言われて身内が集結、そこで私が自宅で安らかに、と引き取ったのが運命の別れ道でした。
それから奇跡の回復が始まったのです。
ご覧の通り、髪は黒々で目もしっかりして「週刊文春」の愛読者、ますます元気です。
文藝春秋社の元社長が、そのドキュメントを出版にと言いますが、母ネタでの執筆はご免です。
元気といえば、我が家の水槽の住民たち、川エビが10尾、ドジョウが4尾、クチボソが8尾、タニシが5尾。みな元気です。
この連中も、ストレスが大敵です。ザリガニを一匹入れてみたらパニックで逃げ隠れして餌も食べなかったのです。
それが、このメンバーだと天敵がいませんから、餌争い以外は全員が楽し気に過ごしています。
やはり、健康の秘訣はストレスを溜めないこと・・・これに尽きるようです。

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