母の大往生  花見正樹

母はこの1月17日(水)お昼時の12時29分、103歳5ケ月の波乱の人生をおだやかに閉じました。
病院からの電話で、母が入院中の加須市の大久保病院に着いて私が手を握ると、母は力なく握り返したまま息を引き取りました。
痛みも苦しみもない穏やかな表情で静かな中にも見事な大往生でした。
医師の書いた死亡診断書には理想の死である「老衰」とあります。
病気のデパートのような母が「なぜ?」と聞きますと医師の答えは明快でした。
心筋症も肺欠陥も肝臓ガンも死には至らず死因は、食事も水も喉を通らなくなって死に至る「老衰」だそうです。
この老衰こそが人間の理想的なの状態で、恍惚となった状態で死に至るそうです。
しかし、つい3ケ月前までは杖なしでも歩ける要介護度1からの急な老衰死ですから、私には納得できません。
昨年の10月下旬、突然の尿感染症で39・1度の高熱で南栗橋の済生会病院に緊急入院、それが癒えて12月4日には療養型施設のある前述の大久保病院に転院するはずでした。ところがその転院日12月4日の朝、また39度を超える急の発熱で転院は取りやめ、それどころかほぼ危篤状態なのです。
主治医は慌てて原因究明に乗り出しました。
なにしろ、尿感染症は治っているのですから高熱の原因は他にあるのです。
そこで、肝臓ガンが発見され、そのために胆管閉塞で担汁の流れずに発熱に至ったと分かったのです。
主治医の言葉によると、このままだと母は確実に年内に亡くなります。
担管に管を広げるプラスチックパイプを挿入する手術をして溜まっている担汁を流せば発熱の原因は失せ一命はとりとめます。ただし108歳の高齢でもあり高熱で奪われた体に、口から管を入れる難手術に絶えるだけの体力が残っているのか疑問だと主治医はいいます。
しかも、私達兄弟の意思統一で母が苦しむような延命処置はしない、との話し合いが出来ています。
そこで、すぐ主治医からの紹介で実際にその手術を施行する内科医に会って説明を受けました。
その医師はきっぱり、「お任せください」です。そこで私の腹は決まりました。
形式として、家族の了解で万が一の時は医師に責任はない、との書類に捺印し、その日のうちに手術は行われました。
手術室から戻った母は痩せ衰えた蒼白な顔でぐったり死んだように眠り、声をかけても返事がありません。
その日は、なかば諦めましたが、翌日はこちらが驚くほどに元気を取り戻していました。
その後、再度の転院届けが認められて無事に12月20日に加須市の大久保病院に転院しました。
新天地に移って母は食欲を取り戻し、好物のカキイモ、ミカンを美味しそうに食べました。
そこで迎えたクリスマスでは、見舞に行った姪家族と一緒に車イスで、病院主催のパーティに出て皆さんと一緒に歌を歌いケーキを食べ、おおいに楽しそうだったと看護師さんからも聞きました。
その日を境に母は一日一日衰え、永眠する数日前からはお粥も喉を通らず水も飲めなくなっていました。
その様子で母の死期を悟った私は、母の亡くなる数日前に兄弟で予定した斎場を訪れ、大まかな打ち合わせをしました。
したがって、心準備が出来た上での母の穏やかな他界ですから、私自身も穏やかなのです。
なお、私が母の手術や危篤寸前の状態で病院や医師に提出した誓約書への署名捺印は5通、これもかなりの記録だと思います。
母が40代だった市川市国府台病院でのかなりの重症だった子宮ガン手術、松戸市一条病院での闘病時、南栗橋済生会病院入院時、同胆管手術、加須市大久保病院入院時、この5回の死の壁を見事に乗り切っての老衰死・・・私の手モミも多少は効果があったとしても母のすごさに言葉もありません。
と、通夜の挨拶で私が語りそうなことをここで書いてみました。
なお、火葬場が混雑していて葬儀が伸び、遺体は斎場の霊安室にあり、連日兄弟身内が交替で出入りして賑やかです。
葬儀は兄弟身内の家族葬で22日通夜、23日が本葬、喪主としてそれを終えたら一人で泣きます。

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仕事を始めました。

 正月もはや7日、松飾りも取れ明日の成人の日が過ぎれば仕事も平常に戻ります。私は4日に岩手テレビの初仕事で盛岡、5日は花見化学、6日はいつもの山口放送ラジオの持ち番組でフル回転です。


なのに、何だか気合が入っていない感じでもどかしいのです。
本来なら、初詣から張り切ってスタートするのですが今年は少々違います。
昨年の10月に体調を崩して入院した母が、正月までは無理という医師の診断を裏切って年を越しました。
なんだか、これだけでホッとしてしまい気が抜けた感じで正月を過ごしたのです。母は、すでに食欲はなく点滴だけで命をつないでいる状態ですが意識はしっかりしています。
殆どの親戚身内は暮れのうちにお別れ見舞いを済ませていますから、母も気づいています。
私が差し出したミカンの人房を美味しそうにしゃぶりながら淡々と言います。
「なかなかお迎えが来ないねえ?」
私は「あと2,3年は来ないから長生きしちゃおう」と、もう何年もこれが口癖です。
今年の我が家の正月は悲喜こもごも、運命の女神は微笑むのか悲しむのか?
次女の長女が婚約者同伴で、父母より先に祖父母宅への来訪です。
結婚式も近く若い二人は輝いていて、家の中が明るくなります。
しかし、我が家の正月はいいことばかりではありません。
母の死が近いだけでなく、一番上の孫(長女の長女)が腫瘍の手術で入院中、いまは退院待ちです。
母は103歳で人生の元はとりましたが、孫の人生はこれからです。
こんな我が家ですから、私の初詣では、家族や周囲の人たちの健康安泰祈願、これだけです。

初詣も例年通り、近所の神社で淡々と済ませました。
私の今年の抱負? こればかりは例年と何も変わりません。
もの書き、弟子づくり、大鮎釣り・・・今年もこの三本柱で楽しみます。

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明けましておめでとうございます。

 

明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。

平成30年元旦
花見 正樹

2018年、平成30年は「九紫火星戊戌(つちのえいぬ)戌」年、
万人共通の吉方位「恵方・あきの方」は「南南東」です。
本年の「九紫火星」は華やかさと闘争心、「つちのえ」は我慢強さ、「いぬ」は堅実
・几帳面を意味します。
したがって本年は、派手な言動や争いごとを避け、堅実に努力を重ねた人に幸運の女
神が微笑みます。

つぎに、2018、平成30年を幸せに過ごす風水の極意です。
まず、金運、健康、仕事運をよくするために家屋内の清掃を心がけてください。
とくに、玄関、台所、トイレなどは清潔にしておくことが大切です。
玄関、台所、トイレの3ケ所が明るく清潔な家が幸運を招くのは当然ですが、さらに
健康、金運、対人関係を良くする風水もあります。
玄関には、鏡、絵画、赤色グッズ、赤い傘などがあれば人と幸運を呼び込みます。
台所は落ち着いた色で統一し、火伏札は別にして、火と水の凶相を和らげる木の質が
ポイントで、木鉢、一輪挿しなどがあれば完璧です。
トイレには、明るい絵やポスターなどですが、とくにオレンジ色、金色などの色彩が
ワンポイントでもあれば万全です。
では、本年の生まれ月占いです。

1月生まれ□小吉
「誠意の心で人に接して全てが円満」
ツキのあるのは12月、ラッキ-アイテムは「手帳」、
金運□小吉 仕事運△注意 愛情運◎大吉 健康運◎大吉
2月生まれ◎大吉
「公私共よき協力者を得て全て順調」
ツキのあるのは 5月、ラッキ-アイテムは「小銭入れ」、
金運□小吉 仕事運◎大吉 愛情運◎大吉 健康運□小吉
3月生まれ○中吉
「家族身内に嬉しい出来事が重なる」
ツキのあるのは10月、ラッキ-アイテムは「ブレスレッド」、
金運〇中吉 仕事運〇中吉 愛情運◎大吉 健康運□小吉
4月生まれ□小吉
「高い目標を目指して真っ直ぐ進む」
ツキのあるのは 2月、ラッキ-アイテムは「筆記具」、
金運◎大吉 仕事運〇中吉 愛情運□小吉 健康情△注意
5月生まれ〇中吉
「周囲に奉仕して自分も得る事多し」
ツキのあるのは 8月、ラッキ-アイテムは「時計」、
金運□小吉 仕事運◎大吉 愛情運〇中吉 健康運◎大吉
6月生まれ◎大吉
「NETで得た知識を仕事にも活用」
ツキのあるのは 1月、ラッキ-アイテムは「電子辞書」、
金運◎大吉 仕事運〇中吉 愛情運◎大吉 健康運□小吉
7月生まれ□小吉
「艱難辛苦で得た収穫は何より貴重」
ツキのあるのは 2月、ラッキ-アイテムは「携帯電話」、
金運△注意 仕事運□小吉 愛情運〇中吉 健康運◎大吉
8月生まれ〇中吉
「友人の助言が役立って好機生かす」
ツキのあるのは 3月 ラッキ-アイテムは「のど飴」、
金運◎大吉 仕事運△注意 愛情運〇中吉 健康運□小吉
9月生まれ〇中吉
「約束守って有言実行信頼が深まる」
ツキのあるのは12月、ラッキ-アイテムは「文庫本」、
金運〇中吉 仕事運□小吉 愛情運◎大吉 健康運△注意
10月生まれ◎大吉です。
「公私共順調心に余裕で海外旅行も」
ツキのあるのは 5月、ラッキ-アイテムは「デジカメ」、
金運□小吉 仕事運◎大吉 愛情運◎大吉 健康運〇中吉
11月生まれ□小吉
「新たな仕事や学び事で活路を開く」
ツキのあるのは4月、ラッキ-アイテムは「折り畳み傘」、
金運◎大吉 仕事運□小吉 愛情運〇中吉 健康運△注意
12月生まれ○中吉
「家族の喜びを大切にして家庭円満」
ツキのあるのは5月、ラッキ-アイテムは「キーホルダー」、
金運〇中吉 仕事運◎大吉 愛情運□小吉 健康運△注意
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では、本年一年元気でお過ごしください。
花見 正樹

解説(開運道会員用)
本年は12支でいう戌年、戌と相性のいい、寅年、午年生まれが「三合の吉」で大吉。
戌と同じ西の仲間の、申年、酉年、戌年生まれが「方合の吉」で小吉となります。
その反面、戌と反対側の東南に位置する辰年生まれが「対冲の凶」です。
戌と90度の関係にある丑と未が「破の注意」で要注意、あとはまずまずです。
これで相性や運勢をみています。
1月は丑月、2月は寅月、3月は卯月・・・となります。
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聖夜には「感謝」の一言。

この20日、母は無事に転院して新天地で生き返りつつあります。
私の賭けはどうやら成功したのかも知れません。
世の中、ジングルベルの音楽と歳末商戦でにぎやかですが、私はまだ年賀状も書いていません。
なんだかクリスマスイブという感覚もないまま24日も過ぎ去りつつある年の瀬です。
あと10日ほどで82歳になる隠居老人が、時間がないなんて、どこか間違っているに違いありません。
この間違いをどう糺すのかは自分次第、こおままでは・・・と思いつつも、どうにもならないでモガき続けているのです。
先日の木曜日、隠居仲間の忘年会でした。
私は、このまま隠居の飲み仲間と埋没するのを避けるために抵抗を試み、「今後は自分の時間をつくる。月、木だけを皆さんと一緒に」と宣言したのですが、そんなことにはお構いなしに、その翌日の金曜日には、その中の一人がお昼時に現れています。まったく、人の心とお金と時間だけは自分の思い通りにはなりません。
でもこの聖夜、にわか信者の私としてはこの1年を振り返って「感謝」の一言しか出てきません。
風邪一つひかない健康体でこの1年を乗り切り、死にかけた母も無事に死期を脱出じ快方に向かいつつあり、もはや言うことありません。
あと一週、今年はいい1念でした・・・こう言える大晦日を迎えたいものです。

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母の抵抗

 

 木枯らしが電線を鳴らし街路樹の枯れ葉が乾いた音をたてて舗道を走る季節になりました。夏に深緑だった樹木から剥がされ、今は惨めな干からびた茶の病葉になって車に弾かれている光景を眺めると人の世の儚さが見えます。
人間の尊厳を守る理想の自然死は餓死です。食欲がなくなって何日か絶食し水も飲まなくなって枯れてゆき呼吸が止まるのです。
ところが現代の優れた医療は、年寄りでも体のどこかに潜む病気の種を見つけますから死因には必ず病名が付きます。
私の母は94歳で一度ほぼ死にました。それまで母の面倒を見てくれた兄嫁(兄は故人)も甥もギブアップで、身内家族がお別れ見舞いを済まし、医師からも最期を告げられ、応急処置などなんぞの時に医師には責任がない、という書面にも私がサインしました。以前、母が子宮ガンで緊急手術をした時も父が不在中で私がサインしましたから、この時が二度めのサインでした。
この時にどう魔がさしたのか母を我が家で死なせたいと私は考え、医師の承諾を得て自宅に引き取り、周囲や家族の協力もあって要介護度5が1になって奇跡的に元気に外出もできるまでになり、母は我が世の春を楽しんできました。
しかし、今回は高齢で高熱での入院ですから、今までとは状況が違います。
養護施設「元気村」にお世話になって、日頃は杖なしでも歩ける要介護度1の母が10月下旬、ついに39.1度の高熱で地元・埼玉県久喜市南栗橋のS病院に運ばれました。これで最後、誰もがそう思いました。病名は尿感染症です。
担当の若い主治医は韓国籍から帰化したエリート医師で100歳以上の患者を扱うのは初体験だそうで、死んだように高熱にうなされている母親を一目みて「もうダメ」という先入観を持ったのは表情や態度や言葉で分かります。
それからは母の嫌いなオムツですから母もどうやら周囲の気配から死期を感じた様子で食事には一切手をつけません。
どうやら、主治医の「食べないと死にますよ」のハッパに応じて死を選ぶ気持ちにもなっているかのようにも思えます。
私に呟いた言葉で「なかなkお迎えが来ないねえ」が気になります。それでいて私が持ち込む飲食物は少しづつ口にするのです。

ともあれ、点滴だけで命は持ちこたえますが体は一日一日痩せ衰えて衰弱して骨と皮で餓死寸前です。
その時、主治医が、これ以上は治療方法もないからと転院を勧めてくれました。
私も起死回生に転院を望んでいましたから、渡りに舟と紹介状をもらって行ってみたところ、そこは末期患者専門病院で、全員ベッドから起きられない口もきけない死を待つだけの重病者ばかりの病院で面会室もなくリハビリもありません。
速断でお断りして、すぐその足で隣接する加須市のリハビリ有りの療養型病院に行き、そこの内諾を得て主治医と再交渉し12月4日の転院が決まりました。
その前日、病院から緊急電話で98度の発熱で転院は中止・・・すぐ病院に駆けつけたところ熱は下がっていましたが、確かに体力はなさそうですから転院は無理だったのかも知れません。
主治医もまた慌てました。
なぜ急に高熱が出て、すぐ熱が下がったのか? その日は主治医と会えませんでしたが翌朝会うことになりました。
朝会うと、さすがにエリートですから冷静沈着に原因究明に母の精密検査を始めました、
その結果、協力を求められた内科の若い日本人医師が、母の胆のうと肝臓にガンがあり、そのガンが担管を圧迫して胆汁の流れが滞って高熱を発する原因になっていたことを突き止めてくれたのです。
主治医は、率直にガンの摘出は無理だが、胆管を広げる手術は出来る、ただし。口から管を通して手術しますので体力が耐えられるかどうかはギリギリのところで医師でも分からないのです、ここを家族が理解して手術をするかどうか決めてほしい、というのです。
私は母の緊急入院に際して、延命処置はしないという書類を出しています。
しかし、このような病いで高熱にうなされて死ぬのは自然死ではない、手術で失敗するかしないかは私の決断・・・そう思った時、内科の日本人医師が私の顔を見て微かに頷いたのです。この瞬間、私は「お願いします」とその医師に頭を下げました。
医師は、手術は早い方がいい、夜でも帰りに寄ってください」と言います。
夜、寄ってみると母はげっそりしていましたが目は死んでいませんでした。
夜勤担当の男性看護士F君が「手術は成功したみたいですよ」と言ってくれたので少し落ち着きました。
それから2週間、私が再び転院を試みて主治医も了承しました。
弟たち兄弟は今までの母親の経過をみて、今度はもうだめと見切って、弟や兄(故人)の身内はすでに、お別れ面会を済ましています。
あとは、私の通知待ちらしいのですが、私は相変わらず母親の手モミを欠かしませんし年賀状も出します。喪中ハガキは数年後、これは希望ではなく過去の経験と実践で培った勝負カンです。
もしも母がこれで延命したら恩人は、ガンを見つけてくれた若い韓国系主治医と、胆管拡張手術をしてくれた内科の日本人医師です。
私の親しい友人にも医師はいます。
しかし、普通の医者と違って病人を治すのではなく病人をつくらないのです。いわば病人で稼ぐ日本医師会の敵です。
その著書には「医者いらずの健康法」とか、現在このHPの私と同じ「お休み処」で「死に方格差社会」など医師らしからぬ著作が約30冊もある医師なのです。しかも某医科大学の相撲部総監督で、アントニオ猪木率いる新日本プロレスのコミッションドクターなどの経歴の持ち主です。
なにしろ、相撲協会の役員を務めたことのある元関脇の舛田山(現常盤山親方)が学生時代に勝てなかったと私にボヤいたぐらいの強者(つわもの)が、その著書だけでなく本気でアドバイスしてくれますから私はますます病院には近づきません。
万が一、ガンだの糖尿病だの前立腺だのだけでなく、痴ほう症まで見つかったら「ガーン!」と頭をハンマーで叩かれたように目から火が出て人生に希望を失うのは目に見えています。だから病院にも歯医者にも行きませんので健康なのです。+
以上、死にたい願望らしい母の抵抗に逆らって手術や転院を試みる私の賭けが勝つかどうか?
私の提唱する手相・手もみが役立つのか?
母の正月をどう祝えるか?
まずは無事に転院できるかどうか? これからが楽しみです。

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賭けに出ます。

師走に入ると頬に吹く風が急に冷たく感じます。
まさか11月末と急に変わるわけはありませんが多分、心理的な季節感の影響だと思います。
師走=冬・・・こんな図式で考えると、モンゴル力士=暴力力士も似たようなものに思えるから不思議です。
今までの情報によると、日馬富士は巡業相撲開催中の10月下旬、鳥取市内の飲食店でモンゴル出身力士同士の飲み会で、先輩に対する態度が悪いと、スマホをいじっていた貴ノ岩を叱責、それに口答えしたため激高して暴力を振るってケガをさせました。
私が最初、相撲関係者から聞いたのはビール瓶からでしたが、いつの間にか平手で約30発、マイクで数発となっていて、一番の凶器で犯罪性の高いビール瓶はどこかに消えてしまいました。凶器がビール瓶だとしたら日馬富士の傷害罪での逮捕は間違いありません。

鳥取警察は、貴乃花親方の訴えで事情聴取はしましたが逮捕はしませんでした。これが、一般の人であれば傷害罪で即逮捕というケースです。
日馬富士の酒癖の悪さは角界では有名で、礼儀作法や相撲道とは縁遠いモンゴル力士同士ですから命に別条なかっただけでホッとします。
それにしても、この事件を通してみても力士の体力がいかに人間離れしているかがよく分かります。
なにしろ、貴ノ岩の診断書には「脳しんとう、左前頭部裂傷、右外耳道炎、右中頭蓋底骨折、髄液漏れ」などの疑いがあり、一般人なら即死か重傷なのに、貴ノ岩はこれでも全治2週間程度の軽傷らしいのです。
さて、この体重100キロを超す力士と比べるのも変ですが、骨と皮と少しの水分だけで20数キロの母と韓国人主治医の場合です。
図式は、私+母対主治医ですが、103歳の母の死を確信している主治医が勝つとは決まっていないのが、この勝負の面白いところです。
ことの始まりは、杖なしでも歩ける要介護度1の母が、お世話になっている高齢者施設で39.1度の高熱で倒れ、救急車で施設近くの救急病院に運び込まれたことから戦いが始まります。
築地で仕事中の私が病院の救急治療室に入った時はもう母の意識は遙かな天空に飛んでいるような状況でした。
しかし、私はあわてません。こんな母に何度も騙されてきたからです。
病名は尿感染症、軽い心筋梗塞、それに肺に大量の水が溜まっていることも分かりました。
入院するまでは、着替えもトイレも一人で出来ていた母が、大っ嫌いなオシメでの寝たきり生活が始り、病院食も嫌いで食べません。
100歳以上の患者をもった若いエリート男性主治医に、母のデリケートな羞恥心とかプライドは絶対に分からないと思います。
主治医が退院先に紹介してくれた病院にお伺いしたところ、その病院は末期患者だけで全員寝たきりでリハビリもなく面会室もありません。たしかに母は末期かも知れません。久し振りに見まいに来た弟達は母の病状をみて「いよいよ大往生」と赤飯でも炊くように長命を祝って身内のあちこちに「今のうちに顔を見ておくように」と早まったお知らせをしています。
しかし、私からみればまだ生きられるのですから、そうはさせません。リハビリさえ出来ればまだ歩けます。
そこで私は賭けに出ました。療養施設のある病院への転院です。それが明日4日(月)です。
ところが邪魔がはいりました。1日(金)の夕方、母が39度の発熱で転院は延期との電話です。その時、私は築地でしたが病院まで2時間、着いてすぐ看護師に熱を測って貰ったら母の熱は36度、主治医はもう帰宅していません。
看護師さんも、いつ熱が下がったのか怪訝な表情でした。
明日の4日(月)、朝から病院で主治医と会って話し合いますが、もう幾らももたない、と確信する主治医と、要介護度5の瀕死状態から我が家に引きとって要介護度1まで戻した私の介護力との103歳母を巡っての真剣勝負の始まりです。大相撲からみれば全く微小で個人的な話ですが・・・

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未練たらしくまた母のことです。

 秋が深まり朝晩がめっきり寒くなりました。
落ち葉が風に舞い、歩く人も背を丸めています。
季節がら肌寒いのは我慢できますが、心が寒々とするのはご免です。
母の入院が1ケ月になり、入院の原因だった尿感染症も完治し肺に溜まった水も抜け、病気は治りました。
だったら退院だと思いますがそうはなりまん。理由は食が細くてやせ衰え点滴ではもう体力が回復しないのです。
病気を治したのですから主治医からすれば当然退院です。
かといって家庭では点滴生活は無理ですから、医師は当然、そういう患者を受け入れる病院を紹介します。
ずいぶん親切な病院だと思って行ってみたら、末期症状の寝たきり患者だけで車椅子に乗る人もいない病院でした。
母がお世話になっても面会の部屋もなく病室で会うだけ、リハビリなどもありません。
こんなところはまっぴらごめんで、次に行ったところは大いに気に入ったのですが、一般入院は空き待ちでOK、長期入院はダメです。
理由は簡単、なんと要介護度3以上でないと療養入院が出来ないのです。
そこで、一般病棟に入院してから役所に要介護度の見直しを申請することになりました。
今なら間違いなく要介護度3以上、折角の1を悪くするのですから妙な話です。
ここは療養型病院でリハビリもOKですので、母にはピッタリ・・・ベッドが空けば移れます。、
母は、入院前までは杖なしで歩ける状態で要介護度1、1ケ月で病気も治ったのに痩せ衰えて死に面しているのです。
つい1ケ月前には普通に楽しく暮らしていた母が高熱のため病院食を食べなかったため点滴にされ、自分で行けるトイレも大っ嫌いなオシメにされて人間の尊厳を奪われたまま一気に体力を失ってしまったのです。
若い男性主治医は百歳以上の患者をみるのは初めてですから「もうダメ」の先入観があっても仕方ありません。
母がお世話になっていた施設・元気村の担当者も母の容態を見に来て「点滴がとれてもこの衰弱じゃ」と逃げ腰です。
人間の理想の死は老衰です。
意識は徐々にかすれて食が細くなり、やげて水も飲まなくなって穏やかに呼吸が止まるそうです。
もしかすると母もその域に達しつつあるような気がします。
だとしたら、私もまた穏やかに母の死を看取るのが親孝行なのかも知れません。
なんとしても105歳まで! これは私の手前勝手な無理難題、母にとっては迷惑な話だたのです。
いま母は103歳と3ケ月・・・よく男5人(長男は故人)を育ててくれました。感謝感謝です。
と、悟ったつもりでも子としては親の長生きを願うもの、これから病院です。
もう持ち込み自由ですから、毎回栄養価の高い食べ物を一口でも、と親不孝ですが頑張ってきます。

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3連休終了です。

 文化の日からの3連休の最終日もほぼ終わり、今年もまた文化的でない連休が幕を閉じます。
「文化の日」が祭日として制定されたのは昭和23年(1948)で、それまでは明治天皇の誕生を祝う「天長節(明治節とも)」でした。
同年に公布された国民の祝日に関する法律(祝日法)によれば、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」のが文化の日の趣旨です。
この3連休は長女家族、次女家族、長男家族が集結して久し振りに賑やかでしたが、夫々がお目当ての買い物ツアーだっだり、ライブやコンサートだたり我が家を拠点としてジジババを財布代わりに車3台で出たり入ったりで落ち着きません。
しかも11月生まれが3人いるからと3人の名入りケーキで誕生会ですから主役も曖昧です。
いつもなら施設から外出帰宅の103歳長寿母と主役を分ける7歳小2の男孫が、誕生月でもないのに蝋燭の炎を消していました。
私は、その騒乱の合間にHPの掲載に追われ、入院中の母の元に連日通い続けますから目茶目茶忙しいのです。
この3連休、孫との鯉釣りの時間もなく、潮が引くように子供や孫が去った日曜日の夕暮れ時にこの一文を書いています。
母は熱も下がり肺に溜まった水も引き始め、食が細いため回復は遅れていますが命には別条ないようです。
それにしても母を見ていると、人間の生命力の凄さをつくづく感じさせられます。
食欲がないと病院食を食べないので、いろいろ栄養価のあるものを用意して持ち込むと面白いように食べるのです。
つい先日まで何も食べなくて衰弱していたのがウソのようなのです。
その切っ掛けは、私が「このまま食べないと死んじゃうって医師が言ってたよ」の一言からです。
やはり、「もっと生きたい」のです。
昨年の七夕の短冊は「この幸せが続きますいうに」、今年は「もっと長生き出来ますように」です。
元気村という県内一の評価を得た老人施設にいて100歳以上ただ一人で皆さんから大切にされますから楽しくて仕方ないのです。
しかも、ここ数年でイケメンの介護士が一気に増えていますから余計張り切っているのです。
何故、男性介護士が増えたのかケアマネに聞いてみたら、母体の会社が介護士学校を経営していて、卒業生を傘下の施設に送り込んでいるそうで、母が世話になっている施設が県下一の評価を得たことで優秀な成績の卒業生が送り込まれているそうです。
そんな若い元気な異性に身の回りの世話をしてもらっていたら母の長生き願望は当然・・・これは我が身に置き換えれば理解できます。
と、精神的な若返りが肉体的な若返りを呼び起こす現象で長寿に寄与するのは間違いありませんが、食生活はどうでしょうか?
母親が好きな食べ物は、ご飯、野菜入り味噌汁,漬物、納豆、生卵、煮魚、柿や焼き芋など原始的で、文化的食生活とは思えません。
「文化の日」があるなら「原始の日」や「文明の日」があってもいいような気がします。
もっとも「海の日」「山の日」がありますから「原始の日」は不要でした、失言です。
では「文明の日」は?
文化とは? で調べると「人間の生活様式全体」「人類が築き上げた有形・無形の成果全体」「諸民族それぞれの地域・社会に固有な生活様式」などと定義されています。
さらに、文化的生活となると、それらの生活様式に添った暮らしぶりをいい、それらは学習によって伝習され、相互の交流によって発展し続けること、などと少し複雑になります。
その文化の中に、哲学、芸術、科学、宗教などの精神的活動や所産があり、物質的所産としては、便利さやモダンな感覚などで表現する衣食住関連の全ての物質があり、さらには、民族や社会の風習、伝統、思考方法や価値観など、過去から未来に継承される「文化遺産」「文化住宅」などの聞き慣れた言葉が沢山出てきます。
それに対して「文明」という言葉は、「文化」ほど細かく広範囲には用いられず、時代や地域が限定される上に経済や技術の進歩に重きを置かれているのが特徴です。例としては「黄河文明」などがあります。
そこで、「文化の日」はあっても「文明の日」はなくても不思議ではないことに納得です。
こうして今年もまた「文化の日」からの連休を文化とは無縁に終えることになりました。
さて、ここで自らを省みると、山が好きで川が好き、ご飯・味噌汁・生卵・・・やはり原始人の子は原始人でした。

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母も私も正念場

東京オリンピックまであと千日とか、テレビではお笑いタレントがお祭り騒ぎです。
私の目はその時まで持つのか?
曇り日の風冷たき秋の夕暮れ、ふと心によぎる慙愧の思いがあります。
オリンピックに出場するためのアスリート達の血の滲む努力が理解できるからです。
スポーツや武道だけでなく音楽など芸術の世界でも、日本一とか世界一になるにはいかに大変かは誰もが知っています。
私の一族で世界一は、イトコの子・武藤富士津夫六段(福島県警)が1991年の剣道世界選手権優勝者、私は応援団長でした。
自分自身は弓道5段で全くの鳴かず飛ばずで日本選手権3年連続出ると負け、名もない選手権優勝程度で挫折、早々に引退です。
あの時、未熟ながら一所懸命死力を尽くして頑張ったら、もっと何とか成ったのか?
暫し瞑目沈考して呟く言葉はいつも同じ「でも今が一番・・・」、今の自分が実力ですから過去に未練はないのです。
さて、その身内の期待を一身に背負って長寿記録に挑戦と張り切っていた母親が、どうやら103歳で失速気味です。
築地の事務所で仕事中だった私には寝耳に水の「39・1度の高熱で入院」の電話です。
つい先日の敬老の日間では健康で杖なしで歩いていた母親が、お世話になっている施設内で尿感染で発熱し近くの病院に緊急入院です。
27日(金)、入院から数えてまだわずか10数日、早くも担当医から「容態が急変」との緊急呼び出しです。
若い医師に別室に呼ばれて、いよいよ母の終焉かと覚悟を決めました。
以前、我が家に母を引き取る時の末期状態時も、医師に責任はない、かのようなサインをしたことがあります。
千葉県の病院では、「延命治療打ち切り」でサインをしたこともあります。
要介護度5で回復の見込み無しだった95歳の母が、今は要介護度1ですから、もう何も恐れるものはありません。
ギブアップの兄嫁から点滴と酸素吸入の母を引きとって8年を過ぎました。
医師は、母が何も食べないので体力が弱って肺に溜まった水も排除できず、点滴だけでは衰弱して死ぬのを待つだけだと言うのです。
食事さえ取れれば・・・その思いで売店からプリや冷たい飲み物を買って母親に与えたら、なんと旨そうなのです。
医師から「食べないと死ぬ」と脅されたというと、母曰く「食事がまずくて」です。
いままで世話になっていた元気村という施設は食事もまずまずでしたし介護士も親切でした。
病院の看護師はめちゃめちゃ忙しそうで、声をかけるのも遠慮がちになってしまいます。
担当の医師も学校出たてのようで、100歳以上は初めてらしく対応に困っているようです。
そこで私は決断しました。
このままでは、元気村に戻ることも出来ず、といってここも厄介払いしたいのが見え見えです。
母の終(つい)の棲家を探そうと・・・そこで今度は逆手をとって若い医師を呼び出して相談です。
昨日と今日の二日間、母をそっちのけで、その若い医師のプライドと私の意地を賭けた攻防が始まっています。
私の言い分は、母をもう一度健康に戻してくれたら、療養型病院に移して長生きさせて見せます、というものです。
これで、母に投げやりだった若い医師もなんとか、母を一時的にろ元気にしようとした様子です。
明日の日曜は、その医師は休養日だそうですから、私は母が食べるような食べ物持参で面会です。
あれ? たしか自分自身も風邪気味だったのに、すっかり治っているようです。母も私も正念場・・・ここ数日が運命の分かれ道になるかも知れません。

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台風、選挙、どちらも大変!

埼玉北部の我が家の周辺は、夕方は雨も風もなく不気味な静けさでしたが、夜になってやはり雨脚は強くなり、雨戸を揺らす風の音も何やら騒がしくなりつつあります。
九州・四国や近畿地方では住民避難の勧告が出たりして大変のようですが、関東でも千葉県などでも同様で、全国的に被害が出始めているようで心配です。
首都圏も明日未明には1時間に300ミリという豪雨を伴った台風21号が襲来すれば、どうなるか分かりません。
多分、通勤時間帯のダイヤの乱れどころの騒ぎではないような気がします。
気象庁によると、今回の台風は、過去最大規模の大型台風だというのですから大変です。
無事に何事もないことを祈るばかりです。
気象庁の予報が当たるか外れるかは別にして、つい数か月前までは台風の目だった小池旋風もついに色あせて負け戦さになりました。
なにしろ、自公合わせて3分の2を獲得する勢いなのですから、自公の躍進を許した野党の敗因は、民主党の分裂や、その一部を受け入れた希望の党との間に生まれたドロドロした醜い分裂劇の影響による自滅とも言えます。
希望の党の敗因は、民主党前原派との野合にもあります。しかも、踏み絵のように受け入れた人と、排除した人を振り分けた横柄な態度も国民の意識を希望の党から遠ざけた一因になります。それらも含めて小池離れに拍車がかかったようです。
しかも、希望の党に排除された側は、枝野氏を党首に立憲民主党を結党して頑張った結果、なかなかの善戦です。
こう考えると、小池さんは組む相手を間違えたのも敗因の一つとして数えられます。
しかも、これで希望の党の爽やかなイメージも消滅しました。
選挙当日を前に出張と称してパリに去った小池党首は、鳥羽伏見の戦いの最中に敵前逃亡した徳川慶喜そっくりです。
て頭部をパリに
それにしても、政治の世界は一寸先は闇・・・つい先日のようにも思える、あの熱狂的な小池人気はどこに消えてしまったのか?
この日、嬉しかったのはボクシングの村田選手のリベンジ圧勝と母の体調回復、それにHPの書き込み完遂です。
これからも宜しくお願いします。

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