貧者の一灯

貧者の一灯

花見 正樹

この週末、四国&中国地方の凄まじい豪雨災害での痛ましいニュースに隠れましたが、あの悪辣なオウム事件の現凶、オウム真理教の元代表・麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(63)と元幹部ら7人の死刑執行は、私の個人的な歴史の1ページを1枚めくった感じです。上の写真は築地本願寺中庭での臨時死体安置風景です
私が今まで危惧したのは来年の新天皇誕生を機に恩赦が施行され、彼らが無期懲役になる可能性があることでした。
最近の学者や知識人の風潮で、他国の例を挙げて、得意げに死刑廃絶を叫ぶ政治家や評論家もいます。
その理論の元は「命の大切さ」です。
マスコミは、早速得意の批判を始めています。
23年前の凶悪事件での死刑囚の死刑執行が、何か不都合があるかのような論調もあります。
「異例の7人同時執行はなぜか?」「幹部らを選んだ死刑はなぜ今行われたのか?」
評論家の中には、この時とばかりに「死刑執行については、心神喪失の状態のときは、法務大臣の命令で死刑を停止する」のが刑事訴訟法にと規定されているはず、と強硬に法務大臣に噛みついている者もいます。
この度、決断を下した第66、69代・上川陽子法務大臣は、外野の批判承知で改元前にとの思いで決断を下しものと思われます。
「大臣が女になったから死刑が執行された」、との批判もありますが、これは的外れです。
第83、84代の千葉景子法務大臣は、大臣になってからは意志表明を避けましたが、本来は強硬な死刑廃止論者でした。
オウム真理教殺人事件は、私がある郷土新聞の東京支社長時代に直面した生の事件だっただけに、この結末だけは見極めて死にたい、と思い詰めていただけに個人的にはホッとしています。
忘れもしない6月27日(1994年)月曜日、私は埼玉県北部(栗橋町)の自宅からいつも通りに東武日光線で栗橋~北千住、地下鉄日比谷線で北千住~銀座で事務所に出勤しました。事件が起きたのはその後です。
救急車、消防車、パトカーがサイレンを鳴らして走り回り、何事かと思った時、私の仕事を手伝っていた釣友M氏(元某新聞社出身)が慌ただしく現れました。
「いま、この下で大変な騒ぎになってる」と言うのでベランダ(5階)から下を覗くと、目の下の地下鉄銀座駅階段は、すでに警官がロープを張って出入りを禁止、けが人が担架で運び出されています。M氏はJR有楽町から歩いて出勤ですから地下鉄内の様子はさっぱりわかりません。ただ、風評はしっかり摑んでいました。
「本丸は銀座じゃない。築地じゃ大分死者がでたらしい」
M氏はカメラ、私は撮影機を担いで築地まで走り、本願寺側から地下鉄突入を試みましたが警官に阻止され、運びロープ越し取材となっています。顔なじみのフジテレビ・スタッフも果敢に警官と争いながらギリギリの取材中、他のマスコミも次々に集結し、ヘリが五。六機上空を旋回し、救急用消防車の出入りが激しくなっていました。死者や重傷者が次々と担架で運び出されて車で運ばれてゆく悲惨な光景は一生忘れられるものではありません。その夜、オウム・サリン事件の全貌を知り愕然としました。
オウム・サリン事件はその数年前から始まっていて、一連の事件で死者29人、重軽傷者は6千人を超える殺人事件です。
国家の体制改革を狙ったクーデターにしては準備不測のお粗末過ぎる事件でしたが、死傷者数百人を出した松本サリン事件や教団への捜査攪乱を目的として地下鉄車両にサリンを散布した卑劣な手法は到底許せるものではありません。
この事件に巻き込まれて死亡した罪なき人々に、首謀者の死刑を報告し、改め衛ご冥福をお祈り申し上げます。
これでもなお、命の尊厳を理由に「死刑反対論者」のいる不思議、この卑劣な犯罪に怒りで震えた私には理解が出来かねます。

そして、この約3ケ月前、神戸・淡路島地震直後の死体がくすぶる悲惨な現地を、折り畳み自転車・寝袋・撮影機で取材した日々も忘れられません。その後も東北大地震、熊本地震・・・これに続く今回の四国・中国地方の豪雨災害、今は現地取材する立場ではありませんのでお見舞いお手伝いには行けませんが、ただただ犠牲者のご冥福をお祈りし、被災者の救済を願うばかりです。そして恒例により開運村は、日頃から積み立てた細やかな浄財を義援金としてカンパし「貧者の一灯」とさせて頂きます。

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