耐えがたきに耐えて

耐えがたきに耐えて

花見 正樹

今日は終戦記念日、小3のとき疎開先の会津喜多方の父の実家で、伯父に座敷で正座させられて玉音放送を聞きました。 あの時の昭和天皇の「耐えがたきに耐え」は今も私の座右の銘になっていて、何かにつけてつい呟いてしまいます。
真夏の甲子園で高校球児の熱戦が続いています。
15日(火)お盆休みの真っ只中、孫ら家がうるさい中、テレビで野球観戦です。
試合は地元の埼玉ではなく、山口の下関国際と岡山の創志学園です。
まさか、ニュー意外は滅多にテレビを見ない私としては珍しいことです。

これには理由があります。甲子園で用いるアルミ製金属バットの表面処理金属着色料の殆どは花見化学発売染料(ドイツ製)だからです。それと、先週の山口放送ラジオで、私が下関国際の勝利をと鶴田選手の好打を予告したからです。
当然、この話題は今週末の番組でも取り上げますので、多少は予備知識をと思っての軽い気持ちでの観戦でもありました。ところがこの試合、凄い結末になったのです。
試合は9回表の下関国際高校の攻撃までで2対4、創志の西投手の変化球に手も足も出ずヒットはわずか1本、よく2点がとれたものです。それに引き換え創志学園はヒット8本で4点、一方的な試合で、あと3人押さえれば創志学園の勝ちです。
ところが魔物が棲むという甲子園は、そう簡単に楽勝というドラマは作らせてくれないのです。好投手・鶴田が打ち崩され、鶴田の強打も快音を響かすkとはありませんでした。
結論からいえば下関国債の5対4での大逆転、監督の徹底した待球作戦が功を奏したのです。しかし、これは危ない戦略でした。逆転できたからいいようなものの、見逃しが多かっただけに、このまま負けていたら、好球必打でもっと積極的に打たせるべきだったと袋叩きに叩かれるところでした。後で考えると、創志の西投手の低めの変化球は打っても飛ばず、見逃せばボールになる率も高かったために「低めの変化球は一切振るな」と監督の指示が出ていたのかも知れません。9回の逆転劇も、そお指示通りの四球、死球での出塁からは始まり、ポテンヒット、犠牲フライなどを交えての泥臭い勝ち方ですが、監督の笑顔は「してやったり」でしたから、徹底した待球作戦は好投手攻略の秘策だったとみて間違いなさそうです。
この試合、下関国際の一枚看板である投手が打ち崩された上に得意の豪打が封じられていあたのですから、どう贔屓目にみても下関国際に勝ち目はありません。それでも、待球作戦で球数が多い西投手の疲れと勝ち急ぎ心理を見抜いて、9回の最後の攻撃でも待球作戦を貫いて四死球から勝利をもぎとった・・・この我慢強さは何だ?
かつて下関国際高校といえば悪ガキ集団で鼻つまみ、野球部員全員の集団万引きをしてマスコミに叩かれ有名になりました。おかげで野球部は全滅、部員一人だけという場違いなところに、火中の栗を拾いに就任したのが坂原監督です。
「野球部に入ったらすぐ携帯は解約」「文武両道は二流、野球一筋で一流に」「自主性は尊重しない」「かき氷はダメ、水、牛乳、果汁100%ジュース、スポーツドリンクだけOK」「買い食いはダメ」、厳しいようですが、これで信頼を集めて部員を増やし、対外試合を重ねて、強力な坂原方耐久野球のチームを作り上げたのです。
下関国際高校が宿舎としている周辺の住民は、部員に声を掛けると、必ず帽子を脱いで返礼する野球部員のマナーのよさに驚いています。これは監督の指示にはありません。
ここに私は、農民の次男三男を集めて奇兵隊という強力な戦闘集団を作り上げた高杉晋作と共通点を見出しています。
宿敵会津を倒すために我慢に我慢を重ね、幕府の度重なる長州征伐には、三家老の切腹という屈辱に耐えて和睦し、犬猿の仲の薩摩を巻き込んで討幕と会津殲滅を成し遂げて関ケ原以来の徳川幕府への昔年の恨みを、会津にへの私怨で晴らした長州人、その粘り強い執念を坂原監督にも感じます。これに、岡山・創志学園の正攻法が敗れたのです。
敗れた創志学園・長沢宏行監督は、短期間で結果を出す勝ち監督として知られますが、敗けた瞬間の、口惜しさを噛み殺した真っ黒で精悍な表情に、勝った試合を失った喪失感が滲み出ていて、思わず私まで目頭が熱くなりました。もっよも感動したのは負け投手となった西投手が泣くまいとして必死で涙を堪える姿でした。私は思わず「泣け、泣け!」と意味もなく心中で叫んでいました。口惜しさ切なさ不甲斐なさが交錯して、白昼夢を見ているかのような複雑さで泣けなかったのかも知れません。きっと、夜は眠れず泣きぬれると分かっているだけに哀れですが、これも青春、敗北は人間を大きく育ててぅれます。これこそ「讃え難きに耐える」のです。これからの西投手に幸多かれと祈るのみです。それは各校各選手にも贈る言葉ではあいますが。
前述の坂原監督の深慮遠謀と一転して、何の策もな愚鈍な経営者も世の中にはいるものです。
ひと昔前までは高級家具として知られた大塚家具の、頑固一で古風な父親と、世間知らずで親不孝な我まま娘の親子喧嘩の末路の話題です。娘・久美子が社内クーデターで父親・勝久さんを追い出して社長に君臨してからの大塚家具の凋落ぶりは目を覆うばかりです。父親が若い時から血の滲むような努力で築いた数百億円の資産を、親不孝娘がわずか数年で消滅させるのです。
2018年6月の中間決算では、売上高が前年同期比約12%減で20億円の大赤字、前年、前々年の決算も大赤字ですから三期連続の大赤字でついにギブアップ、必死で身売り先を探していますが誰も相手にしてくれません。
優秀な技術系社員は殆ど父親が始めた「匠大塚(たくみおおつか)」に雇われましたが、こちらも経営不振で閑古鳥、共倒れの気配濃厚、柵なき経営者の一例として、学ばせて頂きました。

さて、今日は旧盆の中日、私も12日(日)に、まだ亡兄宅の迎え火が来ない間に、弟3人の家族共々連れ立って、両親と兄の眠る千葉県市川市稲越の霊園に行き手を合わせて参りました。
その後、三男宅で「母を偲ぶ会」をして、陰ながら母親の「叱咤激励」を感じ、心を新たにした次第です。
私には坂原監督のような辛抱強さや秘策策はありませんが、大塚親子のような醜い私欲もありません。ひたすら愚の一念で、己の信ずる道を「亀の歩み」で進むだけ・・・バカボンの父の決めぜりふ「ソウダ、コレデイイノダ!」でいい、耐えがたきに耐えて、結果的には楽しい人生に持ち込んでいるのです。

 

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