シャンソン・ブーム -2

幸福を売る男

芦野 宏

Ⅱ 夢のような歌ひとすじ

1、ポピュラーの世界へ

シャンソン・ブーム -2

私はデビュー当時、シャルル・トレネ(作詞作曲家、大歌手) に傾倒し、現在もなお崇拝しているが、イヴェット・ジローと出会ってから、さらにシャンソンに対する認識が深まり広がった。ダミアやエディット・ピアフ (今世紀最高、不世出の大歌手) を知って、シャンソン・レアリスト(現実的シャンソン)の偉大さは認めるが、自分の個性とは違っていることがわかっていたし、ティノ・ロッシ(1小雨降る径」ほか)や「聞かせてよ愛の言葉を」を歌うリユシュンヌ・ボワイエの甘さ、美しさにも魅了されたが、ジローが客に対して理解させようとする、努力を惜しまない、しぶとい芸能人根性は、若かった私の音楽人生に大きな影響を与えた。

私のレパートリーは、そのころから急速に増えはじめている。もともとアンドレ・クラヴォーの1パパと踊ろうよ」やトレネの「カナダ旅行」などを歌っていたが、ジローの「パパはママが好き」や「小さな靴屋さん」は子供たちに歌って聴かせるようなシャンソンだったし、彼女の大ヒット曲「あとさい娘」もおとぎ話の世界である。
シャンソン歌手は自分の個性をいちばん大切にしなければならないが、ジローの歌には温かい人柄がにじんでいて素晴らしいと思う。ジローさんとの交流は、その後もずっと続いて昭和五十七年(一九八二)、私の第一回の日仏親善パリ・コンサートにも来ていただいたが、その翌年ホテル・ムーリスで行った第二回のパリ・うンサートには、彼女が住んでいる南フランスールからピアノ伴奏のご主人マルク・エランさんと、わざわざとんで釆てゲスト出演してくださった。
彼女は親日家、そして勉強家で日本の歌をフランス語に訳して歌うことも試みているが、一緒に地方講演に出掛けたときは、私に似合うシャンソンを選んでくれたりする親切心もあり、私の音楽人生のなかでは恩人の一人だと思っている。平成八年(一九九六)十二月「日本シャンソン館」で彼女の八十歳を記念する引退公演が行われ、全国各地から集まったファンたちは別れを惜しんで感動にむせび泣いた。


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