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先生方の作品集

一つの言葉から

作:山田篤朗

 小説・詩は、絵画と違って、一瞬にして、その世界を見ることは出来ない。
言うまでもないが、最後まで読まなくては、その世界の全容を把握することはできないのである。
 そして読み終えた、その瞬間、テクストの言葉は、読者のなかで、すべてが有機的に繋がるのである。
 そこで初めてテクストは、読者のなかで、テクストとして完成する。
 
読者へと渡された「完成されたテクスト」とは、しかし自閉性・完結性の意味はない。「自閉性・完結性」とは、「モノ」としての「テクスト」のみに使用される言葉である。

「完成されたテクスト」は、読者のなかへと置かれたとき、有機的に繋がるだけではなく、読者との化学反応を起こす。
テクストと読者の「化学反応」は、「読者からテクストへ」という「一方通行」の「読書」から、今度は「テクスト」から「読者」へと「問いかけてくる」。
しかしただ一つの声ではない。
「テクスト」から聞こえる「声」は、「〜だけではない」という複数の声、過剰な声なのである。
その「声」を聞くこと。それが「解釈」であり「批評」である。
テクストの「批評」とは、「〜だけではない」という「過剰さ」にあるのだ。

例えば、ある詩のなかに「闇」という言葉があるとする。
その言葉を取り出して、辞書で「闇」の意味を求めたとしても、その「詩」を解釈したとは言わない。
辞書の言葉に対し、テクストにある「闇」は、その違いを主張するのである。
いや、その辞書的な意味を含みつつも、詩のなかの「闇」は、逆らい抗うのである。
「私は、それだけの意味ではない」
「詩」は、「闇」は、そのように叫ぶだろう。呟くだろう。
この呼びかけを、耳を澄まして聞き逃さないこと、応じること。
「詩」のなかにある「闇」の意味を考えること。

例えば、ある詩の4行目に、「闇」という言葉があるとしよう。
ところが、あなたが文字を追っていくうちに、20行目に「光の射さない場所」という言葉が出て来る。
「光の射さない場所」、それは「闇」のイメージのひとつである。
しかし4行目の「闇」と同じなのだろうか。
否。
これは単なる置き換えではない。
二つの言葉はイコールでは、むすびつかない。
ここに作者の「闇」のイメージがある。
「闇」と「光の射さない場所」の使用に「作者の意図」がある。

例えば、ある詩の4行目に、「闇」という言葉があるとしよう。
ところが、あなたが文字を追っていくうちに、20行目に「闇」という言葉が出て来る。
このとき、あなたは、「再び」という言葉を使って、「闇」という言葉が出現したと思ってしまうことはありがちである。
しかし、最初の言葉の「闇」と、次に現れた「闇」は全く同じなのだろうか。
否。
二つは同じではない。
「再び」、「また」、「繰り返し」という言葉は、詩のテクストを解釈する上で、極めて不適切である。
2番目に現れた「闇」の意味は、最初の「闇」よりも、そのあいだにある詩の言葉によって、あるいはその行間の空白によって、意味が変質していると考えたほうがいい。
テクストは単なる言葉の羅列ではない。
一つ一つの言葉が響き合う。
それだけではない。
それは4行目よりも20行目の「闇」のほうが意味の附加があり、化学反応を起こしているのである。
2番目の「闇」は、「再び」現れたのではなく、「新しく」現れたのである。
一つの詩のなかに現れた二つの同じ言葉は、同じ意味では決してない。
二つの意味の違いを読み落としてはならないのである。

同時に、二度の使用の意味を考える。
何故、作者は二度も使用したのだろうか。
作者が、何らかの効果を狙ったのだろうか。
例えば、「強調」?
例えば、「リズムを整える」?
しかし、それは「作者の技術的な意図」を推測したまでである。
そして更に考える。
言葉の「繰り返し」は、果たして「強調」として効果的なのだろうか。
読み手は最初の「闇」という言葉と次の言葉の「闇」を、単調な線で強引に結びつけてしまうのではないか。
それによって二つの言葉のあいだにある「様々な言葉」を「台無し」に、「無視」することになってしまうのではないか。
また、リズムを整えるために「闇」という言葉を使用したのならば、本当に使いたい言葉を使っていないのではないか。
これらは「負」の化学反応である。
それは「作者の技術的な意図」への疑いであり、否定的な解釈である。

ところで、今まで述べてきたことは、例題として提出した「闇」という言葉の「作者の技術的な意図」である。
「闇」の使用に対する批判である。
しかし、その使用を浅薄であると裁断するのは早計である。
「テクスト」の解釈は、テクストだけに拠るものではないからだ。
すなわち「作者」「歴史」「社会」「文化」「ジェンダー」「マージナル」などの「コード」から読む、様々な「コンテクスト」があるのだ。
それらによって「テクスト」の死角・矛盾を縮減して行く。
しかし完全にテクストを読むことは出来ないのである。
だが、だからといって私は、ここで「読む」ことの不可能性あるいはニヒリズムを説いているのではない。
そうではなく、テクストを読み続けること、テクストについて考え続けること、更に言えばテクストに限らず、何かに対して思考停止してはならないということなのである。
例えば「作者の経験」にとって、この「闇」は特別な言葉であると言うことが判ったとする。
しかし、それだけの重い経験をしていながら、「闇」という表現しかできていないのは何故だろうか。
表現の未熟さなのか。
それとも、「闇」としか、そうとしかいいようがないのか。
それとも……私たちは、テクストの様々な「声」を拾い上げて、何を語っているのかを考えなくてはならない。
「声」たちを掬い取らなくては「読む」とはいえないのである。


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