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先生方の作品集

孤高のピアニスト フジコ・へミング

桐山健一

 クラシックに詳しい友人から「聴く者の魂を揺さぶり、心に涙をながさせるピアニストを知っているか」と聞かれた。僕は初めてフジコ・へミングというピアニストを知った。
彼女はベルリンで、母は日本人ピアニスト、父はロシア系スウェーデン人の建築家の子としてこの世に生をうけた。彼女は五歳の時、一家は日本に帰国するが、父は開戦の気配が濃い日本から離れ、母の手ひとつで育てられる。六歳から母の手ほどきでピアノを弾き、数々の賞を受賞、天才少女といわれる。東京音楽学校(現・東京芸術大学)卒業後、本格的な演奏活動の道へすすむ。フジコは18歳の時、日本国籍がないことが発覚、ドイツへの音楽留学を希望していたが、パスポートを取得できなかった。
 一計を案じ「難民」となり単身ドイツに渡りようやく念願のベルリン国立音楽大学の留学生となった。ここからフジコの苦難が始まる。彼女は母の仕送りが届くまで砂糖水で一週間過ごすことも度々ある貧しい生活だった。同じ日本人留学生からは「彼女は日本人でない」と中傷をうける。フジコは逃避するように数々の恋に溺れた。自分の心は音楽によってのみ救われることを肌で感じた。フジコに幸運が舞い込んだ。彼女のピアノは世界的に有名な音楽家レナード・バーンスタインの目にとまり、演奏会を開くチャンスを得た。フジコは喜びも束の間、演奏会の一週間前、突然高熱を発し、音が聴こえなくなってしまった右耳に加え、左耳までも…演奏会は失敗に終わり、絶望にうちひしがれた。それでも、フジコはスウェーデンで耳の治療に専念し、左耳の聴力を40%まで回復させた。
音楽の力を信じたフジコは、ピアノ教師や小さなコンサートをしながらピアノを弾き続けた。

 無情な時は過ぎ、世間はフジコのことを忘れていた。フジコが母の死に帰国した日本で、フジコの数奇な人生を知ったテレビ局が彼女を取材し、ドキュメンタリー番組がNHKで放送されると奇跡が起こった。フジコのピアノ演奏を聴いた全国の視聴者から問い合わせが殺到した。フジコの指から生ずる壮絶な人生、哀しみを乗り越えた限りなく優しい音色はベートーヴェンやショパンの心と重なり、多くの人々の心を揺り動かした。
彼女は一夜にしてピアニストとして名を成した。フジコのピアノコンサートは大人気、チケットはいつも完売した。フジコの代表作CD『奇跡のカンパネラ』は異例のヒットを記録した。

 今は海外でも活躍するピアニストとして多くの人々がフジコから感動と希望をもらっている。


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