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先生方の作品集

男鹿半島旅情

桐山健一


 僕は昨年五能線を五時間かけて旅した。僕は神秘的な夕陽を、数時間日本海に闇が降りるまで見ていた。
能代駅は真っ暗闇、ホテルに着くと疲れがドット出てベットに横になった。目が覚めたとき、カーテンに光の小人が舞っていた。僕は秋田駅までローカル線の旅人となった。通学の高校生が数人乗車している。彼らは楽しそうな話をしている。僕は東能代駅で降りて秋田行きの電車を待つ。駅でコーヒーを買い一口含む、朝の清々しい空気が鼻孔を通るのを感じる。僕はこんな清純で清々しい気持ちを何十年振りかで感じる。電車はゆっくり走り始める。八郎潟駅、遠い僕の記憶を手繰り寄せる。僕は佐田啓二主役の灯台守の映画を観ていた。当時、映画が始まる前、必ずニュース映画を流した。僕はこのニュース映画で干拓された八郎潟に、全国から多くの入植者が駅に降りる光景を観た。追分駅に着く、車内放送は男鹿線の乗り換えを伝えている。何かの本で男鹿半島を測量した伊能忠敬の苦節の本をかじり読みした。僕は無性に男鹿半島を旅したい心にかられる。正月、友人から男鹿半島へ旅するが同行しないかと電話があった。僕は二つ返事で男鹿半島の旅を決めた。
 
 三月七日、僕らが秋田空港に降りると曇天で、太陽が雲の向こうで存在感を示している。光がなく、空港の外に出ると寒い。僕らはホテルからの出迎えの車に乗る。僕は運転席の横に座る。車が走っていて、僕は車窓から見る景色の中に一点の雪もないのに気づく。運転者に聞くと、ここ数日で全部溶けたという。道路は良く車も少なく、信号も少ない。車は快適に走り続ける。秋田の郊外を抜けると、車窓の左に日本海が見える。僕はこれまで日本海のいろんな顔色を見た。今日の日本海は白波をあおっている。セイコーグランドホテルに着くと、ロビーで支配人の田中氏が僕に一冊の本を持ってくる。僕は旅に出る数日前、男鹿半島の歴史や地誌についての資料を手紙で頼んでいた。『男鹿の旅・道・宿』<男鹿半島史と鹿の道>(秋田大学教授、磯村朝次郎著 日本海域文化研究所発行)は、この地方の地誌を研究している人の労作である。僕は明るい部屋に入り、一風呂浴びるとこの本を読み始める。

「明治42年、北浦の二代目田沼慶吉の孫、長男良三、良三の祖父慶吉は明治初年、北前船を十数艘所有し海運業や開墾事業等を手がけた。慶吉は明治期の秋田、男鹿の歴史に逸することのできない人物である。男鹿道路開通式では北磯村長の職にあり、男鹿各村人民の総代として答辞を述べている。彼は北部のみならず男鹿全島から信頼を寄せられていた人とみられる。北前船交易で稼いだ利益の一部を桔梗の明治時代、貧しい男鹿の農漁民のため惜しみなく社会還元を行っていたからでもあろう。・・・


     天明元年九月
     あら海の北の浜辺による波の
     まだき雲かとさゆる塩かぜ
              津村淙庵


・・・きけば今時分は嶋廻りの好時節らしいですよ。・・・其の帰りに一艘の丸木舟を発見しましたが、古式蒼然として幾年の波に打たれた名残りのあとが、船体に自然の彫刻を施されて居るなど、・・・欲しくて欲しくて仕様がなかったが、何しろ旅の身であるし、・・・(明治39年7月12日付け、秋田魁新報・避暑旅行団◆法

 田山花袋は明治38年5月汽車で能代を発ち、男鹿探勝に訪れた。男鹿嶋を前に胸戦ひ、心動くことも恰も美人に接するときのようだ。だが生憎の大雨であった。それでも彼は追分駅で下車し、人力車に乗り金川まできた。雨は依然として車軸を流さんばかりに降り続いていた。明日ならば晴れるだろうとビールをあおって眠りについた。翌朝窓を開ければ、果たして雨。・・・

伊能忠敬
 享和二年(1802年)9月6日朝晴れる。男鹿の海辺を手分けして測量している者を待ち合わせるため逗留。この日合流する。昼間晴れ、太陽測る。夜はまた曇り、雲間に測る。
忠敬はは津軽よりつぎのような先触を出している。

    覚
一、 人足五人
一、 馬三疋
一、 長持一棹 持人足      (『男鹿の旅・道・宿』より抜粋)



 僕はこの本を読み終えて、男鹿半島の厳しい気象条に神秘的なロマンの地だと思う古の人々の心を推測した。僕は今更のように気象条件の厳しい、当時はもっと寒かった当地を、五十半ばの伊能忠敬が、徒歩で計測したことに敬服する。すっかり男鹿に感化された僕は、オーバーを着て海岸に出かける。一歩外に出た僕は、厳しい寒さに身がすくむ。僕は道を歩く、人は一人もいない、海岸に続く道に出る。日本海からの風は頬に刺さるように冷たい。深緑の海に風の音と遠くシベリアから渡ってきた鳥の声がシンフォニーになる。


     男鹿の海の竜神

      北風が叫ぶ
      白波が打ち寄せる
      濃い緑の海

      オーケストラの
      コハクチョウ オナガガモが繰り出す
      シンフォニー
      ピィー・カァー・・・
      頬を刺す風は
      手をかじかませ
      遠い少年の時空を
      旅させる

      波打ち際の小さな窪み
      そっと身をかがめる
      オーケストラのリズムは
      第三楽章に入る
      心を包み込む温かいスポット

      岬の赤い灯台は
      竜神の指揮する
      白波に砕ける赤い海を見ている



 三日目の朝、僕はロビーで新聞を見る。天気予報は夕方から雪となる。朝食後、僕は受付でもらった〔OGA VIEW POINT〕という秋田中央観光社の地図を見る。今日は旅の最終日、田山花袋じゃないが、僕は今この地を少しでも見ておかないと二度とこられないと思った。僕は自分の足で歩いて行ける、神秘的なロマンの地はないか探す。地図の端の岬の灯台が目に映る。僕は受付で尋ねる。約7キロ、僕の足で一時間半かかる。僕は身支度をすると、かつての伊能忠敬の心境になり、ホテルを出る。低いイワシ雲で圧せられた空は低く、心に重圧を感じる。僕は10分ほどで温泉街を出て国道に出る。左は秋田、右は入道崎の標識を見る。僕は対面に渡り歩道を歩き始める。道の周囲は森や山、全く雪を見ない。枯れた樹木が横たわる自然林である。僕は初めて静寂の中、ただ一人トボトボ歩いている己を発見する。僕は心の時空に、道なき道を先頭に立ち歩む伊能忠敬を見る。彼は後ろに馬や長持ちを担いだ人足を従え、前を塞ぐ雑木などを切り払いながら、測量を続ける。静寂の大地を歩きながら、僕は伊能忠敬の苦労を心で感じる。僕は歩けども歩けども彼方に消える山道に、自分は大丈夫だろうかという不安に駆られる。こんなことで心の内面に生じる恐怖、僕はしゃがんでゆるんだ靴紐を結び直す。僕はバックから『田園』のMDを取り出すとオーバーのポケットに入れ、イヤホーンを耳につける。『田園』は静寂な大地に雄大な音色、優しい音色そして青春を偲ぶ音色で僕の心に響く。突然右側に海が拓ける。心は入道崎に近付いたと感じる。両側に民家が並ぶ道に出る。雑貨店が一軒ある。一人の老人が出てくる。僕は入道崎へあとどのくらいか尋ねる。彼の言葉は良く聞き取れないが、最後の十分・・だ、でその道を上がり切った所だと思った。僕は入道崎灯台の前に立った時、一つの仕事を成し遂げたような気持ちになった。標識にこの季節灯台の見学はできないと、記されている。灯台の下は、きれいに草が刈り取られ褐色の芝になっている。日本海からの風は心身を凍えさせる。僕はこの芝の上を海の方へ歩いて行く、絶壁に来る。下を見下ろすと、僕の足はすくむ。窪んだ芝の上に腰を下ろす。僕は奇岩に荒波が寄せては砕ける白波を見ている。白い海鳥が一羽飛んで来る。凍てついた風で、放心した心にことば詩が降りてくる。



          入道崎

        褐色の刈り取られた
        絶壁の草原から
        恐る恐る下を覗く
        足がすくみ
        その場に座る

        親子のパンダの奇岩に
        激しい白波が砕ける

        海の彼方から
        北風は
        竜神の指揮するシンフォニーを奏でる

        水平線は霞み
        粉雪がちらつく
        太古からの岩肌は
        少しずつ削り取られながら
        厳しい波風に耐えている

        白い海鳥が一羽
        急降下し
        僕の心に語りかける



 僕が顔を上げると、風の中に白いものが舞っている。それは桜の花のような透明な粉雪である。僕の心身は凍てついた、岬に面した店を眺める。店の前に車が止まっている『灯台荘』に入る。
「いらっしゃいませ」
店員の女性と女将さんらしい女性が、笑顔で迎えてくれる。僕の表情を見て、女将さんは奥に入り、湯気の立っている温かい昆布茶を持ってくる。
「ありがとう」
僕はその温かい昆布茶を一口含んだ時、死から生の時空へ戻ったような、心持になる。僕はバックから昨年訪れた五能線のエッセイと、詩のコピーをあげて、感謝の気持ちを述べる。僕はとても温泉郷まで歩いて帰れないと思った。僕はタクシーを呼んでもらおうと女将さんに話す。彼女は丁度あと十分で岬からバスが出るという。僕は土産物を見る。女将さんの推薦するこの地で取れる塩を使った塩饅頭と、根昆布で作ったゼリーを買う。僕は千円札と小銭を出そうとするとサービスよ、と負けてくれる。凍てついていた僕の心は、女将さんの温かい心で溶けていく。表に出てバスの駐車場まで教えてくれる。女将さんの名は、マスミさん。僕は心身とも暖かくなってバス停に向う。小型バスが僕の前で止まる。後ろのドアが開く。車内は暖房で暖かい。客は僕一人である。
「お客さんどこへ行く」
「男鹿温泉です」
「お客さんのホテルはどこ?」
「セイコグランドホテル」
小船という人懐こい運転手は発車まで、この地のことを語る。僕は持っていたエッセイと詩をあげる。バスが発車すると、小船さんは僕に語りかけるように話す。秋田訛りほとんど分からない僕は、話の半分ぐらいしか理解できなかった。それでも彼の客に対する温かい心は、僕の心に染み込んだ。彼が車を止めると、ホテルの正面だった。僕が礼を言って降りる時、彼は帽子をとって「おたっしゃで」と、言う。僕は部屋に戻り横になると、いつの間にかウトウトしていた。夕食の案内電話で目覚める。廊下に出ると、闇に真っ白な世界が広がっている。二時間ほどの間にこんなに雪が降る。僕は何年ぶりかで見る、雪国の素顔を見る。僕は今日の出来事を、食事をしながら賄いの女性に話す。
「男鹿は人口三千人の過疎地ですから・・・」
僕は風呂に入る。露天風呂に移ると人は誰もいない。正面に白い世界が広がっている。樅の木の梢の雪が落ちる音を、静寂の中に聴く。牡丹雪が光にキラメキ幻想的な時空を刻んでいく。僕はただただ神秘的な世界に浸っている。男鹿はナマハゲを民族行事として伝えている。「ナマハゲ」の由来は、海上から見える男鹿は山に見え、村の生活を守っている『山の神』として畏敬されたと、ある。

 僕は自然の秘境で目を閉じる、走馬灯のように男鹿の三日間が瞼に映った。

                                 (完)


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