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相模原北公園の梅と野鳥・・・ゆきじぃ便り

こんばんは寒波で寒かったですね。明日は少し暖かそうです。
相模原北公園の梅ですが、管理事務所前のボードには現在33種咲いていると書いてあったと記憶しています。
かなり満開に近い梅もありますが、1月末になると梅園らしくなるのではないでしょうか。
昨年より早いペースで開花していくのは間違いないと思います。

今日は梅園でシジュウカラ・ヤマガラ・メジロが飛びまわっていました。また、郷土の森(昨年ツミが営巣した付近)では、アオゲラがサワラの樹液を吸う姿を肉眼で見ることができます。
写真のアオゲラが停まっているサワラにある沢山の穴は、何年も前からアオゲラが開けたものです。

田中 千憲

★ヤマガラの鳴き声って「ヤ・マ・ガ・ラ」とヤマガラの仲間を呼んでいるようですね。
シジュウカラは「ツピーツピー」
メジロの歌声は複雑です。ゆきじぃ ありがとうございました。
1月26日②

1月26日①

1月26日アオゲラ

1月26日ヤマガラ


梅の開花状況・・・ゆきじぃ便り

こんにちは。今日も正月と思えない暖かさですね。
相模原北公園の梅の様子を見に行ってきました。
予想通りこの暖かさで咲き始めていました。ロウバイなどは満開状態です。
但し、まだ数本しか咲いていませんが、花とつぼみの競演もそれなりにきれいです。また、咲いた花には蜂が飛びまわっていて、すっかり春になったようでした。
長期予報を確認していませんが、このままですと今月中に満開となるかもしれませんね。田中 千憲
2016年1月4日

1月4日①

1月4日②

1月4日⑤

1月4日ロウバイ


ゴーギャンも森の神秘に魅せられて

冬の公園4

森には精霊が宿っている。人間が足を踏み入れると、歓迎されているのか、拒否されているのか分からないエネルギーを感じる。
突然大きなさざめきが起こったり、大樹が木の実を落としたりして、その都度ハッとさせられる。かと思うと、優しい風が木の葉を運んで来たり、木洩れ日が頬をさしたりすると歓迎されている気分にもなる。

ゴーギャンも森には目に見えない何かがいる。赤いトンガリ帽を被った妖精など神秘の世界が満ちている。あの世への扉である。
森は人々の想像力をかきたて、息づく不思議な時間があるとして、「ブロセリアンドの森」を訪ねている。
画家たちはインスピレーションを感じ、森の精霊たちと対話し、その体験を現実の制作に生かしていった。
ゴーギャンはブルターニュと出会わなければ傑作は生まれなかったであろうと評されている。

ゴーギャン随一の傑作『説教のあとの幻影、ヤコブと天使の闘い』
黄色いキリスト・黄色いキリストのある自画像
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

瞼に焼きついている作品である。
人々の大らかな力とエネルギーに触発されて次なる制作の場所タヒチに向かったゴーギャン。ブルターニュの飛躍なしには画けなかったと言う。

森が息づく不思議な神秘は古から今に繋がっていることに魂のレベルで喜びを感じる。地球と人類を守るには森を守ることが大切と実感する。

 

PINGOO!10周年


夫はあげ魔

さくらんぼ (2) ツバキ

夫「今晩のごはんは何?」
妻「何でいつも聞くの?」

初老の夫婦の毎日の会話。リタイヤ後の幸せな生活を想像されるが、特に料理好きとは言えない妻側としては、面倒くさい気持ちも重なって日々の献立に頭を悩ませていた。

「あなたのお母さんじゃないのよ」

「お母さん」という言葉に夫はふと涙ぐんだ。
戦争直後の物資不足の時代、時空の子供は我慢を強いられていた。
ある日、いただいた珍しいお菓子に舌鼓をうち、半分を翌日にと希望に胸をワクワクさせていた。母親が他人にお裾分けしてしまったことを知らずに。
子供の喪失感は言わずもがな。

 その時学んだ母の教えは偉大なものだった。
夫の心は時空の子供と重なって感慨無量の涙がにじんだ。

「良かったねぇ。 素晴らしいお母さんで。 だから今のあなたがあるのよ。
そういうお母さんで私も安心したわ!」

今晩の食事の話から亡き母の想い出へと温かいエネルギーが流れた。
そして夫婦の晩秋に魂が喜ぶ青春の優しい光が部屋に漂った

 夫の耕す菜園で実る野菜たちは、家までの道中で近隣の人々に配られ、
食卓に届くことは殆どないと、あげ魔の本心を知る妻であった。


乾 杯

イチョウ2 jyoukeiji-2(sake)

「ただいま帰還しました!」
扉を開けると
さわやかな目と、白い顔があった。
隣人の主(あるじ)が長い闘病を終えて帰宅したのである。

10か月前のこと
腰の激痛で起き上がることも出来なくなった主(あるじ)は
救急で運ばれ闘病の人となった

筋肉のない細い身体は
手術の決断に時間を要し
一向に進展のない日々を余儀なくされた

主(あるじ)の妻である友人も
病名のない病と闘いながら
ふらふらとした体で
看病と自らの治病の日々となった

哀しみと絶望が押し寄せたかのように見えたが
やがて
愛の光が点された

家族の連携と励ましの中で
夫婦は希望の光を見つけた

10か月後
主(あるじ)は娘の介添えで帰ってきた
時空を超えた子供の目が輝いていた
友人も日々癒えてきて
壁を乗り越えた老夫婦は再び生きる道を歩きはじめた

隣人はフレッシュな「葡萄じゅーす」を贈った
今頃は
親子で乾杯のグラスを傾けていることだろう