74-源俊頼朝臣(みなもとのとしよりのあそん)

 百人一首百彩-74

海野 弘

74-源俊頼朝臣(みなもとのとしよりのあそん)
千載集 権中納言俊忠家に、恋の十首歌詠み侍りける時、祈れどもあはぎる恋と言へる心を
うかりける 人を初瀬の 山おろし はげしかれとは いのらぬものを
〔つれないあの人のことを初瀬の長谷寺に祈ったけれど、山おろしがこんなに激しく吹くとはいわなかったのだが〕

源俊頼(1055?~1129?)は大納言経信の三男。優忠の父。天治元年(二二四)、白河院の命で『金葉集』を挟んだ。しかし白河院の気に入らず、三撰でようやく受け入れられた。
俊頼は堀河天皇の近習となった。白河上皇の院政下で堀河天皇はひたすら歌や管絃の世界に遊んだ。中宮篤子(とくし)とともに、堀河院歌壇といわれた宮廷サロンをつくつた。
堀河院歌壇は、村上源氏の顕仲(あきなか)、国信、師頼、師時、藤原氏の能実(よしざね)、宗忠、俊忠、仲実(なかざね)、管絃の才で近侍した源俊頼、藤原忠教、藤原敦兼などであった。
二〇七年、堀河天皇の代で堀河院歌壇は終わったが、俊頼は、藤原顕季(あきすえ)、藤原基俊とともに、貴族歌壇の中心となつた。