76-法性寺入道前関白太政大臣

百人一首百彩-76

海野 弘

76-法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゆうどうさきのかんばくだじょうだいじん)
詞花集 新院位におはしましし時、海上遠望といふことを詠ませ給ひけるに詠める

和田(わた)の原 こぎ出(いで)て見れば 久かたの 雲ゐにまがふ おきつしらなみ
〔海原に船をこぎ出してみると、はるか彼方に、雲と見まちがうような沖の白波が立っている〕

そのままのおおらかな風景歌で、万葉ぶりの復活のようにも見える。
法性寺入道前関白太政大臣は藤原忠通(一〇九七-一一六四)。関白忠実の子。鳥羽、崇徳(すとく)、近衛、後白河と四代の天皇の摂政関白であった。一二ハニ年、出家して、法性寺の脇に住んだ。
父忠実と弟頼長は忠通と対立し、藤原氏は分裂した。忠通は後白河と組み、頼長は崇徳上皇と組んで、内乱となった。保元の乱(一一五六)である。頼長は敗死、崇徳は讃岐に流きれた。
忠通は、歌人で能書家であった。同時に、政治家であり、院政と妥協しながら、藤原氏の摂関体制を維持しょうとした。しかし保元の乱は、武士の時代を開幕させた。この歌の「沖つしら波」はそのことだったろ、つか。
詞書の「新院位におはしましし時」とあるのは、新院(崇徳院)がまだ天皇の位にいた時(1141)のことだ。

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