78-源兼昌(みなもとのかねまさ)

百人一首百彩-78

海野 弘

78-源兼昌(みなもとのかねまさ)
金菓集 関路千鳥と言へる事を詠める
ぎめ
淡路島 かよふ千鳥の鳴くこゑに いくよね覚ぬ 須磨の開もり
〔淡路島との間を飛び交っている千鳥の鳴き声に、何度、目を覚まされただろうか、須磨の関守よ〕

 淡路島と明石須磨の間を往復している千鳥を関路千鳥といっている。千鳥は、冬に浜辺に群棲し、泣くような悲しい声で鳴く。したがって寒い冬の夜の情景である。
源兼昌は生没不明。1112年に没したとされるが、1128年の住吉歌合に兼昌入道が出ているので、その頃まで生きていたともいう。宇多源氏の源俊輔の子。あまり有名な歌人ではないが、周辺にいたらしい。
『後拾遺集』(1086)から『金葉集』(1127)までの間、白河、堀河、鳥羽、崇徳天皇の時代、院政前期ともいえる約40年間に歌合や百首がよく行なわれた。(百首)は、勅命によって、多くの歌人にそれぞれ百首を奉らせる催しである。
康和年間(1099-1104)に「堀河百首」があり、鳥羽天皇の永久4年(1116)に「永久百首」があった。この「永久百首」に召された7人の歌人の中に源兼昌が俊頼などと並んで入っている。

これらの歌の催しが大がかりになり、かなり多くの歌人が登場しつつあった。

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