84-藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)

百人一首百彩-84

海野 弘

84-藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)
新古今集 題不知
こい
永らへば また此頃(このごろ)や しのばれむ うしと見し世ぞ 今は懸しき
〔生き長らえていれば、辛いこのごろも、なつかしく思われるだろう。なんと悲しい世だと悩んでいたあの時代が、今は恋しいとさえ思われるのだから〕

『新古今集』では題不知となつているが、『清輔朝臣集』では、「いにしへ思ひ出でられるころ、三条内大臣いまだ中将にておはしける時、つかはしける」と詞書がついている。三条内大臣は清輔の従兄藤原公教(きんのり)で、中将であったのは1130-1136年であった。崇徳天皇の時代である。
藤原清輔(一一〇四Ⅰ一一七七)は顕輔あきすけ()の子であったが不仲であったという。そんな悩みがこの歌にも沈んでいるのかもしれない。しかし一一四四年、顕輔が崇徳院の院宣で『詞花集』 の撰者となつた時、息子清輔と和解して、手伝いを頼んだという。ながらえると、いいこともある。
保元の乱で崇徳院が讃岐に流され、清輔は後援者を失う。しかし二条天皇に認められ、歌壇に地位を築いた。そして『続詞花集』を挟んだが、二条の急死によって、勅撰集にならなかった。
幸運と不運がくるくると変わっていくこの世を、彼はこの歌で予感していたのだろうか。