89-式子内親王(しょくしないしんのう)

百人一首百彩-89

海野 弘

89-式子内親王(しょくしないしんのう)
新古今集 百首歌の中に、忍ぶる恋

 玉の緒よ たえなば絶(たえ)ね ながらへば 忍ぶる事の よはりもぞする
〔わが命よ、絶えるならたえてしまえ。なまじ生き永らえれば、恋を忍んでいる力が弱り、人に知られてしまうだろうから〕

玉の緒は、魂をつないでいる糸、命のこと。「たえなば絶ね」と激しい気持ちが詠われている。
式子内親王(1149-1201)は後白河天皇の三女。母は藤原季成(すえなり)の娘。保元の乱、平治の乱の激動があり、その中で式子は1159年から11年間、賀茂斎院となった。歌人としては藤原俊成に学び、定家とも交流があった。定家が恋人であったという説もある。
しかし、斎院として禁欲的な生活をし、引退してからも、ひっそりと暮らしたらしく、ほとんど目立った出来事は知られていない。それにもかかわらず、その歌には、激しい思いが秘められていて、情熱的な性格とそれを押圧されている悩みが感じられ、その秘められた生涯への想像力をかきたてられる。
1192年、後白河法皇が没し、式子内親王の地位は不安定なものとなった。はけ口のない情熱をじっとこらえてその生涯を終えた彼女に藤原定家も魅せられていたらしい。能『定家』には彼女の亡霊があらわれる。