92-二条院讃岐(にじょういんのさぬき)

百人一首百彩-92

海野 弘

92-二条院讃岐(にじょういんのさぬき)
千載集 寄レ石恋と言へる心を
わが袖は しほひに見えぬ 沖の石の 人こそしらね かわくまもなし
〔私の袖は、潮干の時でもまだ水の下に沈んでいて見えない沖の石のように、人には見えませんが、乾く間もなく、いつも涙に濡れています〕
<袖、涙、かはくまもなし>、といった決まり文句をつないだような歌だが、当時は評判になって、後に「沖の石の讃岐」といわれた。このようにしゃれたレトリックがいい歌だ、と見られていたのだろうか。
二条院讃岐(1141~1217)は源三位頼政の娘。二条院は後白河の第一子で、後白河の後、二条天皇となった。讃岐は二条天皇に仕えた。二条は和歌を好み、藤原清輔を中心に、三河内侍、小侍従、讃岐などの二条院歌壇をつくつた。
二条院の没後も歌人として活躍していた。その間、治承四(1180)、父頼政が平清盛を倒、以仁王(もちひとおう)を奉じて挙兵し、敗死した。それが彼女にどのように影響したかわからない。その後も、後鳥羽院の歌壇に招かれていたようだ。
平氏が実権を握り、上皇たちは和歌に逃避する、といった院政末期の時代相の中で、女たちは恋の歌を詠いつづけていたのであった。