95-前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)

百人一首百彩-95

海野 弘

95-前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)
千載集 題しらず

おほけなく 浮世の民に おほふかな わが立つ杣(そま)に 墨染の袖
〔身分不相応にも、私はこの山にいて、墨染の衣の袖で、うき世の民をおおっているのだ〕

(おほけなく)は、おそれおおくも、身のほど知らずにも、の意。杣は、木を切り出す山であるが、ここでは比叡山のことである。
おそれおおいことではあるが、私はこの比叡山で墨染の衣を着て、人々を仏の力でおおい、救おうとしているのだ、という仏僧としての決意を詠んでいる。慈円が大僧正になる前の、まだ修行中の若い僧であった頃の歌なのだろう。
前大僧正慈円(1155~1225)は関白忠通の六子。関白兼実の弟。良経の叔父である。十一歳で叡山に入って出家した。権(ごん)大僧正、天台座主(ざす)となり、十二世紀に激しく対立した寺院勢力と宮廷との融和につくした。歌人としてもすぐれ、後鳥羽院の歌壇に参加している。慈円、良経などの九条家は、定家の御子左家を支持し、六条家に対抗した。
甥の良経が急死し、和歌のパトロンであった後鳥羽院が承久の変(一二二こで隠岐に流され、仏僧である慈円も激しい政治的転変に流されなければならなかった。
この歌に詠まれている、民衆を救おうとする若い日の情熱はどんなふうに変わっていったであろうか。