96-入道前太政大臣(にゆうどうさきのだじょうだいじん)

百人一首百彩-96

海野 弘

96-入道前太政大臣(にゅうどうさきのだじょうだいじん)
新勅撰集 落花をよみ侍りける

花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我身なりけり
〔春の嵐で桜の花が庭に散り落ちて、雪が降っているかのようだ。しかしそれは雪ではなく、ふり行くものは、私の身なのだ〕

<ふりゆく>は、降り行くと古り行く、雪と老いが掛けられている。
入道前太政大臣は西園寺公経(きんつね、1117~1244)である。内大臣藤原実宗(さねむね)の子。源頼朝の姪と結婚し、鎌倉幕府派であった。公経の姉は定家の妻である。親幕派であったため、後鳥羽院と対立した。

実朝が殺されると、九条道家の子頼経が摂家将軍として鎌倉に下向した。頼経はし公経の孫(娘の子)に当たる。承久の乱(1221)で後鳥羽院が敗れると、公経は太政大臣となった。
このように公経は、院政末期の目まぐるしい権力の変転を生きぬいた政治家であるが、熱心な歌人でもあった。その豪奢な生活でも知られ、北山に華麗な山荘をつくった。これが足利義満の鹿苑寺(ろくおんじ=金閣寺)の基礎となった。
すでに平安は去り、鎌倉の世になり、栄枯盛衰の変転は目まぐるしい。桜が散っていく中で、自分の身の明日をふと思うこの歌は光と影を一瞬のうちに点滅させる。