99-後鳥羽院(ごとばいん)

百人一首百彩-99

海野 弘

99-後鳥羽院(ごとばいん)
続後撰集 題しらず

人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物おもふ身は
〔人をいとおしくなり、また人をうらめしくなる。この世をあじけなく感じている私は、いろいろ思い悩んでしまう〕

 権力の頂点にある人がこれほど厭世的で、人間関係に悩んでいることにおどろかされる。
後鳥羽院(一一人〇1一二三九)は第八十二代の天皇で高倉天皇の第四子。母は藤原殖子(しょくし)。寿永2年(1183)、源平のいくさに敗れた平氏は安徳天皇を奉じて西へ逃れたので、京都に天皇不在となった。後白河法皇は、高倉天皇の子である後鳥羽を即位きせた。四歳であったから、後白河の院政がつづいた。
しかし堅苦しい天皇の座にあきたのだろうか、後鳥羽は十九歳で土御門に譲位し、後鳥羽院となり、自由奔放な生活をくりひろげる。たびたび熊野などに行幸し、水無瀬離宮などぜいたくな別荘でさまざまな催しを開く。そして和歌に特別の情熱を目覚めさせ、後鳥羽歌壇をつくり、『新古今集』をまとめるのである。そのような華やかな生活にもかかわらず、この世の無情が迫ってくる。この歌は1212年の作という。まだ33歳であるが、すでに厭世的である。1221年、承久の乱で北条幕府を倒し、王政復古を試みるが敗れ、隠岐に流され、1339年、配所でむなしくなつた。
定家は、鳥羽院とは歌をめぐる考えが合わなかったけれど、それでも百人一首に選んでいる。