100ー順徳院(じゅんとくいん)

百人一首百彩-100

海野 弘

100ー順徳院(じゅんとくいん)
続後撰集 遷しらず

百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)の しのぶにも 猶(なお)あまりある 昔なりけり
〔宮中の古い軒端の忍草(しのぶくさ)にも、忍ぼうとして、なおあふれ出してくる、昔のなつかしい思いである〕

百敷(ももしき)は大宮に掛る枕詞。大宮、宮殿の意味で使われる。忍草は、軒先などに生える。その家が荒れ果て、廃墟になつていることを示す。古い宮殿が廃墟になり、それを見て昔をしのんでいるのである。
順徳院(1197~1231)は、後鳥羽の第三子。一二一〇年に即位したが、後鳥羽の倒幕運動に加わり、敗れて佐渡に流され、21年をそこで過ごして没した。
和歌を好み、宮中の有識故実にくわしかった。この歌も、さびれた皇居を見て、延喜、天暦など王朝のよき時代をなつかしんでいるのである。
順徳天皇は、若々しく、知的で、才能豊かな皇子であったという。しかし父の後鳥羽の政治的野心に動かされて、悲劇へと突き進んでいった。この歌は十九歳の時のものだ。すでにこの時、昔はよかった、という懐古趣味にとらわれているのである。
そして 『小倉百人一首』もこの歌で終わる。それを選んだ藤原定家もまた、昔はよかったという哀惜をこめて、この歌を最後に置くのである。