白内障手術記-3

白内障手術記-3

花見 正樹

7月とも思えぬ涼しい日々が続いた一週間、お体に不調はありませんか? 梅雨時は体調を崩しやすいものです。お互いに健康第一ですね。
私は目さえ治れば万全です。
受付で所定の手続きを終え係員から8番の番号札を預かり、おなじ番号のゼッケンに座ったまでが前回でした。
さて改めて受付をみると、事務室の内部で立ち働く白衣の女性たちの会話から察して、どう見ても事務員らしくないのです。受付といえば普通は事務員が椅子に座って質疑応答の末に書類を書いたりするものですが、このSU眼科では少々趣が違うようです。
事務室内で受け付けとして働いているのは看護師や観護助手など医療従事者らしく、要領を得た短い会話で、次々に押し寄せる来院客を巧みに捌いています。しかも一人が一人を受け付けて奧に下がると、次の職員が次ぎの客に対応して次々に作業手順が書類に書き込まれて現場に回されていくから、いくら患者が増えようとも手の空いた者が次々に対応するから受付での混雑は目立たないのです。
そういえば私も、初診の書類記入は「あちらで」と言われて、少し離れた場所にある台の上で書き、目が合った職員に手渡しただけで、受付のカウンター前には1秒ほどしか立ち止まっていません。これはまさに天文3年(1575)の初夏、長篠の戦いで織田信長が武田の騎馬隊に用いた三段備えの戦法そのものです。これだと新手の敵には新手の銃で対応できるから戦線に停滞はないのです。
「うーむ、SU眼科は手ごわい・・・」
病院嫌いの私だけに病院が珍しいだけに実は興味津々、これからどうなるのか? 失明も覚悟の上です。
病院といえば5年ほど前に銀座4丁目交差点近くの馴染の歯科に歯石削除に行って以来久々のことです。その時は新任の研修歯科医が、私の上部右端の歯が少々ぐらついたのを見て、すかさず「これ抜きましょう!」と鬼の首でも取ったように嬉しそうに職業病丸出しの笑顔を隠そうともしません。それ以来歯科医は行かず、その歯も臨終の折は自分で力任せに抜き、うがい消毒で看取りました。その時は歯を食い縛って頑張らず、口を開いて頑張りました。
今回の目の手術の場合は条件がまるで逆です。こちらから探し求めて藁にもすがるような気分での訪院です。
医者嫌いが祟って緑内障での失明寸前と判明、ままよ支罪したら整体業と一念発起して整体師範まで上り詰めてはみたが整体は施術も指導も時間がかかり過ぎて、平均寿命超えでオマケの余生を楽しむにしてはマイナーすぎます。
それに、好きな絵画鑑賞や観劇、旅行や釣りからも縁遠くなるばかり、目の前50センチに絶世の美女がいても霞がかかっておぼろげに見えるだけ、さらにパソコン仕事に支障が出ていましたから、悪質な緑内障持ちの私に「白内障手術OK」のゴーサインを出してくれたSU眼科の院長はまさに「地獄で仏」、拝むような気持で待合室のイスに沈んでいました。開業は9時からと聞いていましたが、定刻より早めの8時50分ごろ名前を呼ばれて待合室を離れて別室へ移動、この時、瞬間的ではありますが、榎本武揚と別れの水盃を交わして出撃し箱館一本木関門で戦死しますが、その時の心境の千分の1ほどの覚悟が試の片隅に浮かんだのを感じました。

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白内障手術記-2

白内障手術記-2

 さて東武線春日部駅西口から駅前交番の南側に聳え立つ銀杏の大木に度肝を抜かれて駅前広場を横切るとスクランブル交差点があり、その信号を左折するとタクシーの運転手が示唆したコンビニの裏側に出ました。なるほど、これなら店内を横切れば近道なのは間違いありません。大雨の日なら店内を横切れば少しは濡れないで済みますが、その分、濡れた傘の雫で店内を濡らしてしまいます。その場合は何か買い物をすることで良心の呵責は薄らぐかと思います。そのコンビニの裏の手前右側角が自転車駐輪場で一日100円、「これは安い!」と思ったのですが生憎と私は自転車を持っていません。それに栗橋の我が家からは20キロ以上はありますから自転車では無理です。その駐輪場を右折して、すぐまた居酒屋「むさし」の手前を左折すると、広い駐車場が二つ並び、その先の角にSU眼科の4階建ての立派な近代建築風の建物がありました。どうも、私が想像した閑静なイナカの小さな眼医者さんとは無縁のようです。
その建物裏の駐車場の半分がSU眼科の来客用無料駐車場になっていて、私がそこを通ったと午前7時50分にはまだ満車になっていませんでした。私が早すぎたのです。
SU眼科の建物の角をさらに右に回って玄関口を見ると、8時半受付のSU眼科の玄関シャッターはまだ閉まっていましたが、3段ほど上がったシャッター手前の踊り場にはすでに高齢者男女7人ほどがたむろしていて賑やかに談笑していました。一番乗りどころではありません。私が皆さんに挨拶をすると、見慣れない顔で分かるのか、挙動不審で分かるのか、私を眼科初心者と見抜いたらしく、眼科通いのベテランらしい風貌の私よりは若そうな高齢者の男が「もうすぐ、15分にはシャッターが開いて中に葉入れますから」と、親切なのです。受付開始にはまだ40分もあります。そこでの会話で分かったことは、花粉症などで眼科の患者が多いときは、病院の玄関から400人以上が並んだことがあり、診察の医師も院長を含めて3人いるとのこと、しかも県内に二つの分院を持つ、県内有数の眼科だとか、これは喜ぶべきか悲しむべきか。こうして待つ間。私も眼病仲間の初心者として、諸先輩の経験や助言を聞きながらいつの間にか眼病仲間となっていることに全く違和感がない自分に気づき愕然としました。なるほど、病院の門を潜った者は、こうして病人になってゆくのです。
やがて時間が来たらしく、屋内から白衣の男性職員が表れて、シャッターを開いたときは、すでに30人ぐらいの患者が集まっていましたが、屋内に入ると実に順序良く来訪順に並んで、受け付けの数人の女性職員に予約券や診察券などを出し、受付で配布された番号順に、待合室の長いすの背もたれに張られた番号順に座って、検査が始まるのを待つことになります。
初回ということでまだ診察券もない私も、所先輩患者に交じって8番のゼッケンの張られた長いすに腰を沈めた瞬間、私はもう紛れもない眼科患者という病人に成りきっていました。

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白内障手術記-1

白内障手術記-1

いよいよ目が見えなくて来客でも人違いの連発で、友人主催の会合にも出席できなくなりました。 私は根っから丈夫に出来ているのか自分が患者として病院にゆくのはここ数十年、人間ドッグと歯医者以外では全く記憶にありません。
昨年の1月19日に母を看取るまでは毎日のように病院通いでしたが、医師や看護師は別として病院の建物は苦手です、
母は要介護度1のままの老衰死という103歳、立派な大往生でした。
それに引き換え、とっくに平均寿命を超えながら、まだ眼病などを治そうとするケチな自分にいささか嫌気がさしています。
数年前、著名な銀座のT眼科での診察では、緑内障&視野狭窄症に白内障、手術は諦めて薬で進行を遅らせるのが良策との託宣でした。
たしかに、緑内障が右眼の中央まで浸食しているから手術は無理、というT院長の言葉には説得力がありました。
とくに右眼は失明寸前とのことで、長年のパソコン仕事のツケが回ってきたのを感じて、目の不自由は覚悟していました。
私はすでに平均寿命を超えた高齢者ですから、今さら失明を恐れる気持ちは毛頭ありません、
そのために整体の師範の資格まで得て意気軒高、怖いものなしなのですが、免許証がなくなるのは困ります。
それに、目が見えなくなると、自分の信条に反する事項があり、少々不都合なことが生じます。
それは、私の三大生き甲斐の「もの書き、弟子育て、大鮎釣り」の殆どが実行不能になり、自らの信条に反することになるからです。
この中で視野が不自由になっても出来るのは「弟子育て」だけですが、それも、こんな年寄りでもいいという好奇心旺盛な入門者がいればの話です。
パソコンも原稿用紙も目が不自由では使えませんから小説は無理、大鮎釣りも河原歩きや激流入りが無理ですから諦めるしかありません。
これらを承知で整体の道を選ぶ決意をしたはずの自分ですが、いざとなるとその決心が大揺れにぐらつき始めました。
悪魔の囁きか天使の声か判然とはしませんが、「それでいいのか?」と、声なき声が聞こえます。
そこで、医者嫌いの仮面をかなぐり捨てて終活前の悪あがきの眼科探しです。
これでは生きていても意味はありませんので、何とか治す努力だけはしたいと思い立ちました。
そこで、ダメで元々ですから、娘達の協力も得て、緑内障を悪化を承知で、手術をしてくれる眼科を探すことにしたのです。
銀座のT医師は、緑内障が目の中いっぱいに広がっていると白内障の手術で「失明する」場合がある、との理由で手術を断られています。
末娘が、あちこちの友人知人から情報を集めて、数軒の眼科をリストアップして来ました。
その中から。これだ! と思ったのが、今回、私の眼科通いの舞台になる埼玉県春日部市のSU眼科です。なぜS眼科と呼称しないかというと、同じ地区で覇を競い合うライバルにSA眼科があってS眼科の表現だけでは紛らわしいからです。
私がSU眼科に電話をしたとき、受付の女性は、私が緑内障はかなり進行中と伝えたのにすぐ反応して、{院長にお伺いしてみます」と、ほんの十数秒の間を置いただけで「院長が直接診察しますのでX曜日にどうぞ。朝X時から受け付けております」と明るい声で即答です。
この返事の速さから推し量ると、従業員数人でお客の少ないカンコ鳥が啼く閑な眼科を想像して、これなら自分にピッタリと意を強くしたものです。なにしろ私は、成人して以来、眼科は銀座のT眼科一度だけ、ただ混雑ごった返し状況の印象しかないのです。
ついでに、その春日部市のSU眼科に初めて電話したときのこと、私は「駅からタクシーでどのぐらい?」と気軽に聞いたところ、受付の女性は、すかさず「タクシーですとと15分ほどです」、確かにそう聞こえたのです。娘がパソコンから印刷してくれた地図もあったのですが、私はこれで安心しきっていました。
当日、東武日光線春日部駅西口からタクシーに乗って「SU眼科へ」と告げると、運転手が気の毒そうな表情で、「付き添いがいないと不便ですね」、です。私が聞きとがめて、「何も不便してないけど?」と言うと、今度は運転手が「目が見えるんですか?」と驚いています。
私が憮然として「見えますよ」、そこで運転手は私の間違いに気づいたらしく、駅前広場の一角を指して、「SU眼科なら、そこのコンビニの店内を突っ切ると、すぐ先ですよ」と呆れ顔でした。
買い物がないのでコンビニ店内の素通りはしませんでしたが、SU眼科は駅から徒歩2分の至近距離、タクシーは全く不要です。
、あるいはJRのどこかの駅からだとタクシーで15分なのか、市内に数軒の分院を経営するSU眼科だけに、その別院が駅から車で15分の距離にあるのだと思いますが、春日部の駅名を言わなかった私が悪いのです。でも、これは未だに謎です。
この項つづく

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周囲に感謝です。

周囲に感謝です。

花見 正樹

最近、高齢者の交通事故が目だって私も肩身の狭い思いをしています。
いま83歳半ばで平均寿命を超えた私は、隠居生活の日々ながら、もう少し世の中のお役に立ちたいと思っています。
私はつね日頃から、三大生き甲斐を周囲に公言しています。
それは、もの書き、弟子育て、大鮎釣り、この三つなのですが最近は少々雲行きが怪しくなってきています。
もう残された時間はわずかなのに、まだまだ時間があるような錯覚が自分の中にあるのが現状を誤らせているのです。
最近、あちこちで高齢化社会になっても元気であれば出来る職業の上位に「占い師」がランクされています。
そのために、入門希望者が跡を絶たず、占いで稼ぐ方は弟子任せですが、教える立場としては少々未練があるのです。
教え方にも進歩がありますし、時分の遺伝子が世のため人のために役立つのですからそう簡単には断り切れません。
もう一つ、生涯現役で働ける職業に{作家}という肩がきもありますが、書かない作家では意味がありません。
したがって「弟子つくり」と「もの書き」を両立させることが出来れば三大生き甲斐の二つは解決します。
問題はもう一つの生き甲斐{大鮎釣り」です。日本最大激流の球磨川(熊本県)に身を乗り入れて掛けてこその大鮎釣なのに、ここ数年は師匠と呼ぶ大分市在住の相棒が病気休養のためと自分の目が極端に悪くなったために、地元の若手名手(熊本&鹿児島)の世話になって、危険な荒場を避けての釣りですから大鮎どころではありません。いよいよ年貢の納め時なのです。
それでも地元や仲間の人情が大好きなので、下手な釣り師ながら球磨川通いが止められません。困ったことです。
あれこれ悩んでいると、降って湧いたように「芹洋子うたごえサロン鹿児島公演」のイベント企画です。
立案者は鹿児島在住の有力者でもあるお弟子さん、鹿児島県芹洋子後援会の会長に西郷隆盛の直系ご子孫にお願いしての本格的なコンサートです。まだ企画の段階で詳細は何も決まっていませんが、私の釣行スケジュールと合致するとしたら天の運、三大生き甲斐はまだまだ続くことになりそうです。しかも目の手術は数日後から7月で済み,足場も目印も見えるようになりすです。
それにしても、こうして好きなことを目いっぱい楽しめる人生・・・これも周囲の皆様のお陰と感謝するばかりです。

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早くも猛暑

早くも猛暑

花見正樹

真夏並みの猛暑が日本列島を襲った5月26日の日曜日、来日したばかりの米国・トランプ大統領は、早朝からゴルフに興じ、大相撲を観戦し、六本木の居酒屋で炉端焼きとはあまりにもタフ過ぎます。これに負けてたまろかと安倍総理も頑張っていますが、その表情からは明らかに精気が失われていて早くもギブアップ状態、これえでは二人でコソコソ話し合っているであろう貿易摩擦問題絵も一方的に相手のペースに押しまくられるのは必定、日本の農家や酪農家、自動車業界の絶望的な悲鳴が聞こえてくるのも間もなくです。ゴルフの成績はともかく、勝ち誇って上機嫌なトランプ大統領と負け犬ポチ風の苦虫をかみつぶした表情の安倍総理の顔色を見れば、8月の選挙後の交渉の焦点で何らかの下打ち合わせで妥協があったと推測してもおかしくはありません。
両国国技館で行われた大相撲夏場所は千秋楽を待たずに優勝を決めた平幕の朝乃山が、結果的に12勝3敗の好成績で初の殊勲賞と3度目の敢闘賞を獲得するという離れ業を見せてくれました。
私の友人が設立した千賀の浦部屋は、またしても怪我に祟られ優勝候補だった貴景勝は休場が続いて沈没、これで千賀の浦部屋は元の静けさを取り戻した様子です。
ここでもトランプ大統領は主役でした。トランプ米大統領はアメリカ合衆国大統領杯を朝乃山に授与してご満悦、格闘技ファンであることは表情を見れば、義理付き合いの安倍総理との差は歴然です。
さて今日27日(月)は日米首脳会談と、令和初の国賓を招いての宮廷晩餐会、どちらも重要な行事です。
日米首脳会談を終えた安倍総理とトランプ大統領による共同記者会見の内容は少々食い違っていました。
安倍総理は「日米同盟は世界で最も緊密な同盟関係と、rトランプ大統領との蜜月時代を強調しましたが、トランプ大統領はにべもなく「「日本とアメリカの同盟はこの地域のみならず、世界の安定と繁栄の礎」としながらも「われわれ側の目標は日本との間の貿易赤字を削減することと、アメリカからの輸出を促進するために貿易障壁を取り除くことだ」と明言しています。
安倍バ総理のトランプ大統領ベッタリ追随の姿勢は、相手にその気がないだけに、いずれ国益を損なうことになるのは火を見るよりも明らか、私はそう感じます。ただ、トランプ大統領の自国優先のコケ脅し外交もまた米国の国益にプラスに作用しているようにも思えません。宮廷晩餐会では、慣例に倣って牛肉ステーキになったそうですが、当初の予定では那須野御用牧場で育てた羊の肉がメインディッシュと報道されていただけに、案外、トランプ大統領だけには牛と称して羊の肉を供したかも知れません。しかも、それを知っているのはシェフ長だけ。ただ、平安時代の歌人までも調べた博識のトランプ大統領だけに、羊頭狗肉ならぬ牛頭羊肉にすぐ気づいたはずです。それがとてつもなく美味だったりして。ここで大統領は周囲を見渡して疑心暗鬼に陥ります。日本人は牛肉と称して羊を食しているのではないか? あちこちにあるという牛丼の店も中身は羊肉に違いない。そこでトランプ大東呂は熟慮した結果、頭の中で、日本に対する牛肉の大量輸入の押し付けは撤回、帰国したら酪農家に牛から羊への転向を示唆しよう・・・こう考えたと推測します。これで日本の酪農家は一安心、こうなるかどうかは保証の限りではありませんが、季節狂いの猛暑がもたらした、真夏の夜の夢の一つではありません、羊のステーキをトランプ大統領が食べたのは事実です。嘘だと思った人は宮廷料理を賄うシェフ長かトランプ大統領のどちらかに直接訊いて確かめてください。
小説家は嘘を言わない・・・私はいま壮大なウソを真実に織り交ぜて作家活動に邁進中です。

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令和の幕開け

令和の幕開け

花見 正樹

 令和元年の幕開けを心から祝福します。
平均寿命を超えて3年余、生きている間に新元号になるとは思いもしなかっただけに少々戸惑っています。
平成天皇とは年令もさして変わらず、太平洋戦争終結からAI時代到来までの激動の時代を共にしただけに、平成天皇のご退位は、生涯現役で生きてきた私にとっては、喉元に短刀を突き付けられて引導を渡されたような衝撃を受けてもいます。令和の
それでも隠居仲間を牽引して今までしぶとく生き抜いてきた自分としては、そう簡単には引き下がれません。
時代の変遷を直視しながらも自分は自分らしくさらに開運への道を切り拓き、その先に何があるかを見極めて人生を全うしたいと腹を括って心新たに令和時代の流れに慌てず騒がずゆっくりと身を入れて行く所存です。
私にとって、昭和は、泳いでも泳いでも岸に辿り着けない悠々たる大河、平成は足元をがっしり固めないと命に関る激流でした。ならば、平成の激流から枝分かれした令和なる未知の流れは一体全体いかなるものか? 山間の清流でイワナ釣りを楽しんでいるとき、つい滝を遡ったり瀬を渡ったりしながら獲物を追って夢中になり、天候の急変での豪雨で鉄砲水と謂われる濁流に呑み込まれて一命を落とすことも稀にはあります。そう考えると、令和に入って世の中が一気に良くなるような期待感のお祭り騒ぎはあまり感心できません。
令和の流れが、清流なのか濁流なのかは、消費税がアップされ、オリンピック狂騒後の日本経済の疲弊と、ほぼ間違いなく襲来するであろう東海大地震、さらに、米中対決後の宇宙戦争、米朝か中東紛争から端を発しての第三次世界大戦があるとしたら? これは対岸の火事どころではありません。高みの見物どころか日本も参戦することになり、日本列島は再び戦禍に見舞われて壊滅状態に見舞われます。
そうならないための国民の象徴として天皇の存在がああります。
安倍内閣以降も日本の政治家は、都合よく天皇家を利用して国内だけでなく国際社会の荒波をも乗り越えてゆきます。
そのためにも皇位継承の儀式は古式に則って、仰仰しく行なわれねばなりません。
天皇家の血筋が北朝か南朝か由緒正しきかどうかなどは枝葉末端のことで、いま大切なことは皇位の継承です。
令和元年初日の5月1日、新天皇即位に際して「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」という儀式が行なわれました。
古代から伝わる天皇即位の証となる「三種の神器(さんしゅのじんぎ、さんしゅのしんき、みくさのかむだから)」移譲の壮厳かつ神秘的な儀式です。
三種の神器と聞いて、私が懐かしく思い出すのは、私が成人した頃の豊かさの象徴とされた家電製品・電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビ(白黒)の三種です。その後、10年もしないうちに庶民の「三種の神器」は高度成長の波に乘って、3Cと呼ばれる「カラーテレビ、クーラー、マイカー」と変わりました。
 ところが皇位継承に伴う「三種の神器」は文明の利器とはほど遠い古代から皇室に伝わる家宝として大切にしてきた鏡、勾玉(まがたま)、刀剣の三種で、正式な名称は、八咫鏡(やたのかがみ)、 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、 草那藝之大刀(くさなぎのたち)です。
テレビでは、太刀と勾玉が新天皇が譲渡されて、皇居からお住いの赤坂御所に移られる所が実況されました。
アナウンサーは、剣(つるぎ)と勾玉(まがたま)が新天皇と同じお車で移動されたことを報じていましたが、歴史好きの人々は、それら行事に用いられる神器は全て形代(代用)であることをとうに承知し、それを許容しています。
私の祖にも神官がいて我が家は神道ですから、水没した草薙剣に代わる剣を、草薙剣の形代(代用)として、御魂遷(みたまうつ)しの儀式によって神器としての霊力を新たにしたもので、その物の形代をさらにもう一剣加えて、元剣を伊勢神宮の神庫に秘匿し、もう一報の形代が、本日皇居から東宮御所にお移りになったもので、ここには何の不条理も存在しません。
これら「三種の神器」は、数々の争いによる奪い合いで権力の象徴となりますが、最も脚光を浴びたのが源平による壇ノ浦の戦いです。
それにしても、「三種の神器」をめぐる皇族の殺伐たる争いで日本の歴史が動いていたのを知れば知るほど、これだけでムキになって書物を調べる気持ちになれるとは今更ながら驚きです。
この続きはまた来週、この10連休もあと7日、悪い目を駆使して書斎を漁ること8時間、自分が今更ながら本が好き、文章を書くことが好きということをイヤというほど知らされた一日です。すでに夕暮れ、その成果は来週に。
こうして令和の初日は書物に埋もれて終わる気配濃厚です。平成最後の昨日も思いっきり好きなことに没頭しましたから、二つの元号を跨いで大いに楽しんだことになります。

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平成の悔い、令和への覚悟

平成の悔い、令和への覚悟

花見 正樹

いよいよあと数日で年号が代わります。
 気分一新、過去は過去として今後が楽しみ、新しい時代の流れに乗って何ができるか、これからが楽しみです。
と、ひとまず気合を入れて令和の時代を迎えます。
ただ、時代の流れに乘れない場合はどうするか? これも考えてみました。
最近、とくに時の流れが高齢者の私には少々速すぎるように感じます。脳学者は、高齢になると時間の流れを早く感じるのは、脳に与える刺激が少ないからだ、と言います。しかし、私は意識して刺戟を増やしているつもりですが、それでも一週間、一ケ月、1年があっという間に過ぎてしまいます。まったく「光陰矢のごとく、何もかも成り難し」です。
そこで、私は思いつきました。老化現象で記憶力が減って、あれもこれも片っ端から忘れてゆくから時間の経過が早く感じるのではないか? そう考えると全てが納得、自分の頭脳のマイナス現象が時を速めていたのですから自業自得です。
それでも、個人の思惑などに関係なく時は進み、平成から令和へと時代は着々と移り行き、新旧入れ替えの世代交代も着実に粛々と進みます。これが世の倣いとは知りつつも、老兵は消え去るのみ、とは悟りきれずに儚い抵抗を試みる所存です。
私は平成時代入りを50代前期の働き盛りの最盛期で迎えました。 当時は図に乗っていて思慮も浅く、そこから20年もあれば、自分の目標は全て達成できると信じていました。ところが今、平成の終末を目前にして、我が身のあまりの不甲斐なさに気づき愕然として身が竦む思いで立ち竦むだけ、成すすべもありません。
このままでは死ぬに死ねない・・・とはいえ、老いは着実に肉体を衰えさせ気力を萎えさせます。
その肉体衰えを、て、精神の高揚が辛うじて老化の前に壁となって立ち塞がっていている気配です。その自分のこころはまた一方では残酷で、己の不甲斐なさに容赦なく鞭打って咤激励し、我が身を奮い立たすべく追い詰めます。
私は家人との約束で、「忙しい」「疲れた」「時間がない」を一切、口にしない約束をしています。それは、私の生活の全てが趣味道楽の類であり、誰に頼まれたものでもなく、自分が好きでやっている事象ばかりだからです。
それらに関わっている友人知人親しい身内は一様に「時間をつくれ」と忠告してくれますが、では何を削ればいいのか? それを考えて無駄時間の断捨離を考えると、他人の目からみる私の日常と、私の考える時間づくりでは、理解できないほどの大きな隔たりがあることに気づきました。私の周囲の誰もが、本人自身は別として考えますので、それを個々に照らし合わせると切り捨てるものなど何一つありはしないのです。

かなり、私と親しい友人が、ある時にふと、「釣りは時間のむだ使いの最たるもの」と喝破したことがあります。そう言われると一言もありません。まったく空と樹木に囲まれて流れる水に身を浸けて、たかが鮎ごときに自分の大切な時間を奪われているのです。それもガキ時代から数えて70年以上、かつては四季を通して海や川に通った日々を入れると、人生の数分の1の時間は、魚に奪われていたのです。その対象は正月のタナゴ釣りに始まって、寒バヤ、寒ブナ、イワナ、ヤマメ、オイカワ、キス、鯉,クロダイ、メジナ、鮎、セイゴ、スズキ、ナマズ、雷魚など、自分が手にした獲物がなおさら憎く思えてきます。こうなれば、その恨みを晴らすべく、令和の時代になっても大アユ釣りに怒りをぶつけるのが当然、これで釣りはやめられなくなりました。
しかも、現在の私の下手な大アユ釣りは晩夏の一週間だけ、たいした問題ではありません。
この程度の枝葉末端の時間をカットしたところで、大作が書ける道理もありません。しかも、今の私には、人に会ったり、人の世話をしたりする無駄な時間が大切に思えて仕方ないのです。しかも、「私に「もっと上手に時間を作れば」と忠告してくれる友人知人ほど私の時間を共有し食い潰しているのです。
そこでまたふと気づきました。私はいままでは有言不実行で、プレッシャーを感じ恥を搔いて参りましたが、令和に入ったら、不言実行、仕事は水面下で行ない、人には結果だけ知って頂く、これで自分らしく生きられます。
ここでようやく結論が出ました。
怠けず奢らず語らず欲張らず焦らず、「穏やかに日々を過ごす」、これが私の令和に向けての覚悟です、
宜しくお願いします。

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勝ち組、負け組

勝ち組、負け組

 大相撲は千秋楽を迎えて横綱白鵬が圧倒的な気力と意地を見せて全勝優勝、大阪場所は幕を閉じました。
同じ大阪ながら、甲子園では、春の選抜高校野球の熱戦が始まり、早くも悲喜こもごものドラマが生まれています。
勝つも負けるも紙一重、甲子園には魔女が潜んでいるらしく、圧倒的な強さで県大会を制した強豪チームが、初回の一つのエラーで浮足立っての大量失点、まさかと思われるような負け方で甲子園を去ってゆくのも残酷無無慈悲な魔女の仕業・・・実力差ではないのです。
そこでふと、己れの人生を省みて、男はいつも魔女に操られて生きていることに気付きます。
いまさら、山の神と魔女が同一人物と名指しはしませんが、魔女は男どもの周囲にうじゃうじゃといt隙あればエラーを誘い大量失点に結びつけようと虎視眈々と爪を研ぎ牙を磨いて機を狙っているような気がします。
それでも私はいま何とか高齢化社会の一員として無事なのは・・・と、ここでまた気付くのです。私は情けないことに、魔女にも相手にされなかったからこうして無事に生きてこられたのです。そう思うとチョッピリ淋しい気もしますが、ここまで来たら贅沢な悩みと思われますから、魔女とはつかず離れずの関係で、と言い直して魔女の呪縛だけはご勘弁いただくことにします。
相撲でも野球でも勝者の輝きは当然ですが、敗者の口惜し涙も輝いて見えることがあります。
これは、人生も同様です。
きっちりとした勝敗のケジメはありませんが、こうして老いの目で周囲を見渡すと男社会の勝ち組と負け組の区分けはとっくについているにも関らず、過去の勲章をブラ下げて虚勢を張って老残の身を晒している友人知人に気付き、自分もその仲間であることに気づいて愕然とします。しかも私には職業的な勲章すら何もないのです。
私には孫が6人いて、桜が芽吹くこの季節になるとさまざまなドラマが生まれます。
今年も、息子の長女が中学卒業=高校受験の孫娘がいて、ハラハラしましたが無事に志望校に入学、これで一安心です。
かと思えば、長女の次女がハワイで挙式、孫の動向に右往左往しまくっています。
と、今のところ、孫に関しては勝ち組、勝手な自己評価ですが・・・

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苦難を乗り越えて

苦難を乗り越えて

 この週末、朝晩は寒い日が続くとはいえ猫の額ほどの我が家の庭の遅咲きの梅がようやく花開いてほぼ三分咲き、早速メジロのツガイが蜜を求めて現れました。次はウグイス、と心弾ませてカーテンの隙間からガラス戸越しに見ていると、なんと急降下で現れたのは図体の大きいオナガのツガイ、その脅しの声を背に二羽のメジロは羽音も忙しく飛び去ってしまいました。
今年は梅の実を収穫したら蜂蜜で漬けて、食べ頃になったら築地サロンに持ち込み、梅好きの来客に食して頂く予定です。
ところで、この開運村も開村してほぼ十年、ようやく花開く春を迎えて賑やかさを増しています。
開運村のホームページは、バラックづくりの家がまばらに建つ貧しい過疎地の寒村から始まって、移民の受け入れが良策だったのか、いまはちょっとした観光地の様相を呈して定住者も続々と数を増しています。
思えばこの約10年間、コツコツと地道に村の発展に尽くした甲斐あって、今や千客万来の盛況となっています。
それもこれも、これまで私を支えてくださった開運村HPへの来訪者の皆様、HPにご寄稿くださる講師の皆様のお陰です。
それに加えて、新たに掲載コーナーを開設された大原裕美講師、菜月講師、芹洋子顧問兼講師、3人それぞれが個性豊かですから、開運村がますます発展するのは間違いありません。
前記3人の共通点は、3人それぞれが驚くような苦難を乗り越えて今日の盛栄があるという事実です。
大原講師は現役のアナウンサー時代に過労と家庭的な事情でウツになり、職を辞して2年間の闘病生活の後、苦難を乗り越えてアナウンサーとして復帰し、見事な活躍を見せています。
菜月さんは少女時代に両親の離婚という不幸な出来事に見舞われ、自分は母方、弟は父方と家族が離散、父にひきとられた弟は父の都合で幼くして児童養護施設に預けられます。それを伝え聞いた菜月姉ちゃんは、母に泣きついて、弟が一人では可哀そうだからと、自分から望んでその施設に入って弟の面倒を見て育ちます。その艱難辛苦を乗り越えて定時制高校を卒業後、天性の美貌と語学や立ち居振る舞いやマナーに磨きをかけて、23歳でミス日本、24歳でミス・インターナショナル日本代表、世界69ケ国代表と覇を競って世界5位、25歳で開運道講師の道を選んで、人を幸せに導く「開運道アドバイザー」として活躍中です。
歌手の芹洋子さんは、子供の頃からマスコミび登場している国民的歌手として知らぬもののない国民的歌手で、代表的な「四季の歌」は海外でも広く歌われている名曲です。その芹さんは、今から26年前に交通事故で頭に重傷を負って危篤状態に陥り、生死の境を彷徨って生還し、記憶喪失という最悪の状態から立ち直って歌手としてカムバック、高齢とは思えぬ若さを保って美声の歌姫を続けています。
かくの如く、苦難を乗り越え、逆境をプラスに変えた3人の異才を迎え、従来の身近なお弟子さん達に囲まれた私としては、平均寿命を超えたから引退などと言ってもいられません。老骨にムチ打ってでも、開運村を皆様の集う「NET上のパワースポット」として更なる発展を目指すことに頭を切り替えました。

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水ぬるむ春近し・・・

水ぬるむ春近し、されど心躍らず。

立春が過ぎても寒さは一段と厳しさを増しています。
それでも気象庁の予想では、この週明けにも関東地方には春一番が訪れるようです。
となれば、水ぬるむ季節の到来も間もなく、以前の私なら胸のときめく季節でした。
それは、3月1日が待ちに待った渓流の解禁日、源流のヤマメ、イワナを求めて前夜から山に入る楽しみがあったからです。
渓流釣りの相棒は栃木県鹿沼地方の漁協幹部で私と同年のF氏、夏になると鮎のオトリ屋も始めるという川魚好きのこの地一番の豪農の主でした。表現が過去形なのは、このF氏が糖尿病の合併症で急死、すでに八年になるからです。
以後八年、私は渓流釣りを中断して九州球磨川の大鮎釣りだけに釣り人生の全てを賭けています。
思い起こせば小学生の頃から釣り好きの父親のお伴で海、川、池と片っ端から釣り歩きました。ただ、当時の住居が千葉県市川市だったこともあり、市内の釣り会に入っても渓流釣りがありません。
夏は五井や木更津周辺の河口近くの川で小鮎の餌釣り、房総半島丘陵地帯の養老渓谷で清流の川魚を楽しむ程度でした。
それが、十代の終盤に登山に凝って週末になると山歩きの日々でした。そこで、山奥の源流に泳ぐイワナやヤマメを散見して渓流釣りも登山の楽しみに組み込んだのですが、登山より渓流釣りのほうが面白くて沢登りに転向、何度も滝つぼに転落しました。
その後、沢登りも引退し、渓流釣りと鮎釣りのダブルヘッダー、8年前から鮎だけの楽しみになりました。
もっとも私の場合は季節に関係なく春めいた気分でいますから、つねに心は弾んでいます。
これが若さの秘訣・・・残念ながらそれは自信がありません。年相応に無駄な年輪を重ねているだけの今日この頃、いまさら反省しても仕方ない、と諦めか悟りかはんぜんとしないまま今日という日も過ぎてゆきます。

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