白内障手術記-8

白内障手術記-8

花見 正樹

 9月に入って少しは涼しくなるかと思ったのに涼しいのは朝晩だけ、日中は30度を超す真夏日で、まだまだ熱中症への注意は必要不可欠です。それでも9月は新学期、ランドセルを背負った子供たちに負けないように頑張らなければ、と気持ちだけは張り切っています。
それにしても、地球上にひしめく69億人の人々の何と騒々しいことか。米中貿易摩擦、北朝鮮の度重なるミサイル発射、香港の人権問題に端を発したデモと大集会と衝突と暴動、中東での相も変らぬ武力衝突・・騒がしいのは地上だけではありません。米国の宇宙軍創設で、もはや見上げる空の彼方の宇宙空間すらすら戦場に化けかねないのです。
こんな時に、ゴマ粒ほどにも値しない私ごときの目の手術の話題など全く無意味なのですが、それが一概にそうとも言えないから世の中は面白いのです。手術が終わってから知ったのですが、私の目の手術の執刀医は、白内障の世界的権威で知られる赤星隆幸医師だというのです。
生憎とこの業界に詳しくない私ですから、そんなこととは露知らず、SU院長の直接手術を希望したのに、手術日の折り合いがつかず、止むを得ず客員執刀医・赤星医師の月1出張の日曜日に手術を受けることになったもので、私から望んだことではないのです。
それが、私の白内障手術を知った知人数人からの推薦を受けていた秋葉原のM記念病院、そこの執刀医も赤星医師であることを知って、これも何かの因縁と思わずにはいられません。
手術日が決まってからは、数日ごとに予約しての予備検査があり、手術仲間の顔ぶれと順番はいつも同じで、待合室での会話は賑やかです。中には、すでに片目の手術を終えた者も何人かいて、一様に「よく見えるよ」と得意気です。これでは、これから手術をする身としては期待に胸が膨らむのも無理はありません。
このような経緯を経て手術に及んだ私ですから、手術後は見えない目が「見えて当たり前」の浮き浮きした気分で一夜を過ごし、手術翌日の月曜日朝、奇跡の喜びを味わうべく、足取りも軽くSU眼科に向かったのです。

この朝の二階の予約客専用待合室は、手術仲間の明るい笑顔に溢れていて、病院というより高齢者専門のスポーツジムの休憩室という雰囲気の賑わいです。やがて、眼帯を外された患者間仲間の「よく見える!」の歓声の輪が次々に広がり、私の眼の前にもついに白衣の天使が現れました。
こうして、大仰に顔半分を覆ったていた眼帯を外される瞬間、周囲の仲間の、「すごく見えるぞ!」の声援に期待で胸の鼓動は高まるばかりでした。しかし、その私の期待とは裏腹に、天使の手はしごく事務的で、「痛かったらご免なさい」と眼帯を縦横に止めたテープを容赦なくむしり取ります。しかも、眼帯を外した瞬間、すぐ見えている左眼を閉じて、眼帯を外したばかりの右眼で周囲を見廻したところ、なんと、見えすぎの感激どころか、目の前が明るくぼやけて霞むだけ、人の顔すら見分けがつきません。私は、奈落の底に突き落とされたような絶望感に見舞われ、心は真っ暗闇、しばし言葉を失いましたが、見える左眼を見開くと、私の反応に気づいたらしく、天使が屈託ない笑顔のまま少しだけ同情する口調で「すぐ見えるようになりますよ」と言い残して立ち去ったのです。続いて、院長の「手術後診察」が始まるのですが、私だけが手術に失敗したとしたら? なんだか一人だけ取り残された暗然とした気分でした。

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白内障手術記-7

白内障手術記-7

花見 正樹

最近、社会問題化している高齢ドライバーの事故、それに対する社会の風当たりは大型台風並みに高まるばかりです。
お陰で私の周囲の隠居仲間の間では免許証返上組が続出、まだ隠居にはほど遠い現役熟女などの間でも免許証返上が流行中とか。我が家も例外ではなく、子供達は、親である私に向かって無礼にも免許証返上か、免許書き換え中止かの二者択一を迫って苦言のオンパレード、車に関しては私は四面楚歌の中で身を縮めています。

警視庁ウェブサイト「高齢運転者が関与した交通事故発生状況(平成28年中)よると、10万人あたりの死亡事故件数を年齢別の事故の起こしやすさがわかります。
1、16~19歳13.5人/10万人。 2、80歳以上、12.2人/10万人。 3、70~79歳、5.4人/10万人。 4、20~29歳、4.8人/10万人。 5、60~69歳、3.7人/10万人。 6その他。
以上でみると、19歳以下、80歳以上が要注です。
私は83ですから家族の反対も無理はありません。
家族からみれば、家から駅まで歩いてもたかが13分、散歩に丁度いいし、隠居溜まりの築地に行けば乗り物には不便がない、その築地もそろそろ撤退したら? と本物の隠居扱いになりつつあるのです。
私には男の孫がいて小学校5年生、友達と映画や博物館に出かけることも増え、父親離れ祖父離れの年齢にはなりますが、何といっても孫にとってのイナカは我が家、一人で遊びに来られるようになって、アウトドアー仲間の私が免許証がなかったら・・・こう考えると、免許証は私にとっての必需品なのです。
私の手術前の目は、緑内障悪化の右眼視力は裸眼で0.01、眼鏡使用で0.15でした。左眼も緑内障ですが、こちらは失明の心配はなく、裸眼で0.2、眼鏡使用で0.5.両眼の眼鏡使用でかろうじて0.6.このままでは免許証の書き換えは無理です。そこで年甲斐もなく、視野を悪くしていると思われる白内障の手術に踏み切ったのです。
6月16日(日)の午後、視力の弱い右の眼から手術が始まりました。
頭から頬にかけて防水キャップを被ってテープで止め、腕には抗生物質の点滴、暗い部屋で椅子を倒して上を向いた病人衣服の私の顔に向けられた光の輪は煌々と明るく、そこに光る金属が何か知る由もないが顕微鏡を使って濁った水晶体を取り除き、新しい水晶体と取り換える極めて緻密な作業が行われているのは間違ありません。チョキチョキと傷をの細かく何かを刻む不気味でリズミカルな音と、大量の消毒液の流れる音がかすかな執刀医の呼吸とともに聞こえ、視界がぼやけた眼は光の輪。の中に動く手術の一挙一動を懸命に追うのだが、薬で膨張して焦点の定まらぬ視野はただぼんやりと経過を眺めているだけ。麻酔が効いて痛みはなく、手術は呆気ないほど短時間で済みました。執刀医の「成功です」の声に送られ、視野がぼやけて残念ながら顔も名札も見えぬ看護師に優しく手を引かれて、術後の休息と点滴の始末のために、準備室の深々と個別ソフアにへたと座り込んだ時は一気に緊張もほぐれました。そこで、やっと安堵の気分で前後の手術仲間とも冗談を交わしてくつろぐことが出来ました。手術後の眼には金属(アルミ)キャップが被せられ、明日の来院までは外せません。

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白内障手術記-6

白内障手術記-6

花見 正樹

  大型台風10号通過の影響もあってか日本列島はすっぽりと熱帯に覆われ、埼玉県熊谷市では、ついに41度を超えました。これでは蒸し風呂、快適な夏どころではありません。もっとも甲子園球児の熱中症をもものともしない活躍を思えば多少の熱さは我慢できます。さて、お盆休みも終わって週明けからはまた新たな気分で仕事です。
開運村も開村してはや十年、それを記念して通信講座に用いていた講座を、そっくりそのまま「独学講座」として公開することにしました。ただし、以前に予告した料金とは少し異なります。
今までの1講座約3万円を、何講座でもダブって学んで1万6千5百円(税込み)で学習できるようになります。ただいま準備中ですが、早くも問い合わせが続いています。
私の目の手術の経過ですが、すこぶる順調、パソコンが眼鏡なしで使えるという若い時からのド近眼がウソのように改善され、家での日常生活には眼鏡なしという信じられないような現状です。これもSU眼科の皆様の協力による手術の好結果、たとえ免許証の書き換えが不可能だったとしても、小説書きに専念できる環境は整いつつありますので感謝感謝です。長年に渉って集めた戊辰戦争関連の資料は書斎からも溢れて山積みにされ、以前からの書きかけ原稿もまだパソコンに未収納のまま放置されていますが、近距離30~40センチに焦点がピタリと合った今、もはや何の迷いもありません。
ただ、ライフワークの長編小説に入る前に、開運道の占い全集1冊の出版予定がありますので、今年いっぱいはまず、弟子&講師陣の力も結集して、来春には世に出したいと願っています。
あれもこれも眼が見えればこそ、銀座の眼科で脅された失明の危機はどうやら遠のいたような気がします。この思いはあの日から始まりました。

 本年6月16日(日)午後1時過ぎ、お仕着せの囚人服(医療衣)に身を包んだ私は、右腕に注射の針を刺したまま抗生物質の点滴を注入された哀れな姿で、車付きの点滴機器を針の刺さった方の手で引きずりながら刑場に向かいます。背後から、私に續く建具屋のAさん達の惜別の声が「行ってらっしゃい」などと明るく薄情に追ってきます。
この日は、午前中が左目手術の方、午後からが右目手術で私は午後の部の4番目、点滴中にパンと飲料各種の支給があって何とか空腹は避けられました。
キリストは重い十字架を自分で背負ってゴルゴダの丘への坂道を登ったことを思えば、点滴途中の準備室から手術室までのたった数メートル,群衆から石も投げられず罵声も浴びせられず、しかも心優しい(と信じる)白衣の天使に手を引かれて、これなら死んでも? いや、よくありません。
ともあれ、2週間ほどの準備期間を経て、死刑台とも思える電機椅子に座らされ、深呼吸して覚悟を決めました。ここで執行人がボタンを押せば、一瞬の痙攣で私はあの世に逝くのです。
普通はその前に牧師が登場してなにかもっともらしい一言を・・・と思っていると、すぐ横から聞きなれた声がします。どうもSU院長が近くにいて死刑執行人に囚人の生前の悪行を教えているらしいのです。それによって刑の軽重が変わるのかもしれません。暗闇の中で、私の耳には、「この方は緑内障がひどいから…」と聞こえました。たしかに私の不注意です。「ハイ」と短く答えた執行人はおもむろに凶器を手にし、その冷たい刃の光が一点に集中したライトの明かりに無気味に光って、いよいよ私に迫ってきました。

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白内障手術記-5

白内障手術記-5

花見 正樹

どうやら関東地方も梅雨が明けました。
農業でも建築業でもない私が、天候に左右される職業を持っている、と言っても誰も信用しません。
もちろん、釣りではありません。九州・球磨川の大鮎釣りは、下手な鮎釣り師の私など単なる道楽にしか過ぎません。しかも、この天候に左右される仕事は、この季節に限定されるのです。
この傾向は35年前から続いていて、私は7月下旬限定の季節労働者なのです。
種明かしをしますと、昭和59年(1984)4月にスタートした山口放送(KRY)ラジオの「土曜いい朝お早うワイド(現在の土アサ)」内の私の占い番組が、夏の甲子園野球の県大会予選の実況とダブると、占い番組が消滅して私の出番が失せるのです。したがって、この季節の土曜日の天気は、朝早くからテレビなどで調べ、山口方面が100%降雨ナシと知ると、早朝からアウトドアー、河原に到着した車中の携帯に、局からの「本日は野球中継」の聯絡があり次第、残念そうな声で応じて、さっさと清流に身を乗り入れるのが、この時期の楽しみだったものです。
ところ、今年のように天候不順で雨が多いと、山口県も地区予選の中止が続き、せっかくの土曜ボーナスが消えて、いつも通りにラジオの仕事があるのです。例年3回ほどは休めるのに、今年はわずか一回だけ。それもギリギリまで天候がはっきりせず自宅待機の指示が出て、有難みはゼロでした。もっとも、今年は眼科通いの身ですから土曜の朝から解放されても何も変わったとはありませんでしたが気分は違います。
これからの季節、高校球児が用いるアルミ合金の金属バットの大半は、花見化学がドイツから輸入販売している金属錯塩染料でアルマイト加工法で染めたもの、選手の活躍が楽しみです。
さて、今週も月曜日は眼科です。
眼科に通うと、初めは何が何だか分かりませんでしたが、通いなれた常連になると、作業の流が分かるらしく、病院の退出時間がわかるらしいのです。
眼科での検査には、度数、眼圧、視力、視野検査などがあることは前回に述べましたが、それに加えて眼内撮影、血圧、血液検査、点滴なども始まって、手術への準備も心構えも徐々に盛り上がってゆきます。
眼科に通った方ならあの不気味な瞳孔を開く目薬を点されてからの幾つかの検査を覚えているかと思います。私は検査は忘れましたが瞳孔が開いて横断歩道がまともに歩けなかった濃霧状態視野の恐怖だけが強く印象に残っています。検査後5時間は車の運転を禁じられていますが、5時間以内の運転は間違いなく自殺行為で事故は必至、他人にも迷惑を掛けますので、私はきちんと5時間を1秒でも過ぎてからハンドルを握ることにしています。それで、よく見えるのか? と問われると困るのですが、ただ、こればかりは自己責任ですからいつでも安全運転を心がけています。
SU眼科には5人の医師を含めて約100人ほどの職員が勤務していますが、何度か通っていると何んとなく服装で職種の違いがわかるようになります。医師はどこでも同じですが長白衣、看護師は白衣の上下で全体の20%以下の18人ほど。その白衣上下の上に空色のカーデガンを着ている女性が婦長格らしく、きびきびと同僚に指示を出したりしています。
こまでは何となく識別できましたが、上着がが空色で下が白、上下共に空色など、様々な服装の組み合わせがあるようで准看護師や技師、事務員などの区別が分かりません。分からなくても何も困りませんが、待ち時間が退屈だからこんなことを考えるのです。
念のために申しあげますと、私はJALとも縁がありましたが制服マニアとは無縁です。

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白内障手術記-4

白内障手術記-4

花見 正樹

 大相撲名古屋場所の千秋楽は相変わらずのモンゴル勢同士の決戦で鶴竜が白鵬に圧勝して優勝、4大関の休場もあって盛り上がりには欠けましたが、小兵力士の活躍など見どころもありましたので相撲人気はまだ続きそうです。
台風の影響で九州・四国に加えて中国地方は大雨による被害続出でお気の毒、心からお見舞いを申し上げます。
この季節のこの雨は、私にもほんの少々影響があります。理由は単純、山口地方に雨がなければ、夏の甲子園野球大会に向けて、県大会での熾烈な熱戦が繰り広げられ、その実況ラジオ放送で私の占い番組が臨時休業、骨休みができるのです。
先週の13日(土)は晴天で野球実況、おかげで私は休養でしたが昨日20日(土)の山口地方は雨、準備は万全で問題はありませんがちょっぴり残念でした。
それにしても。京都のアニメスタジオへの放火事件は悲惨すぎます。被害に遭われた方々には深い哀悼の意とご冥福を捧げ、ご遺族の方々には心からお見舞いを申し上げます。
さて、私の白内障手術記は、私自身の不摂生と怠慢が災いして好結果とは言い難い状況ですが、それでも緑内障末期で手術を断られた過去を持つ私に、救いの手を伸べて手術OKの大英断を下されたSU眼科の院長には感謝するばかりです。
 白内障の手術をされた方は私の周囲には沢山いて、皆さん簡単に「手術は15分ほどで日帰り」と軽く言い、それによって自分がいかによく見えるようになったか、を強調します。
それを鵜呑みにした私も迂闊でしたが、初日草々、そんなに甘くはないことに気付き、ガックリと気落ちしました。
度数検査、眼圧検査、視力検査、視野検査などが適度な待ち時間を交えて延々と続いた後に院長診察に辿り着くのです。これが何日も続いてから、ようやく手術へのゴーサインが出るという段取りなのです。おかげで眼科友達も出来ましたし、医師・看護婦・技師など職員とも徐々に馴染んで手術への心構えが出来つつありました。
そんなある日、ちょっとした手違いが生じたのです。
手術前の院長出勤での内検診がなんと芹洋子さんの池之端コンサート当日と重なってしまったのです。
コンサートは午後からですが時間的には間に合いません。
その日以外にはSU眼科での内科検診はありません。手術日を延期するのも感心しません。
そこで、窮余の策が提示され、SU院長の紹介状持参で他の日に近くのK病院で内心電図など必要な内科診療を受けて目の手術に支障がないことを証明しなければならないしいのです。
ところが、どうしたことかK病院の検査で、血圧が174,179などと高血圧と不整脈が発見、診断され、早々に入院治療をと勧告され、予期せぬ出来事に仰天したものです。それでも、内科検診の目的が眼の手術であることを話し説明して、内科の結果では眼科の手術には支障がない、との内諾を得て、K病院からSU眼科院長宛ての親書を預かって、よやく心穏やかにK病院を退去したものです。

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 白内障手術記-3

白内障手術記-3

花見 正樹

7月とも思えぬ涼しい日々が続いた一週間、お体に不調はありませんか? 梅雨時は体調を崩しやすいものです。お互いに健康第一ですね。
私は目さえ治れば万全です。
受付で所定の手続きを終え係員から8番の番号札を預かり、おなじ番号のゼッケンに座ったまでが前回でした。
さて改めて受付をみると、事務室の内部で立ち働く白衣の女性たちの会話から察して、どう見ても事務員らしくないのです。受付といえば普通は事務員が椅子に座って質疑応答の末に書類を書いたりするものですが、このSU眼科では少々趣が違うようです。
事務室内で受け付けとして働いているのは看護師や観護助手など医療従事者らしく、要領を得た短い会話で、次々に押し寄せる来院客を巧みに捌いています。しかも一人が一人を受け付けて奧に下がると、次の職員が次ぎの客に対応して次々に作業手順が書類に書き込まれて現場に回されていくから、いくら患者が増えようとも手の空いた者が次々に対応するから受付での混雑は目立たないのです。
そういえば私も、初診の書類記入は「あちらで」と言われて、少し離れた場所にある台の上で書き、目が合った職員に手渡しただけで、受付のカウンター前には1秒ほどしか立ち止まっていません。これはまさに天文3年(1575)の初夏、長篠の戦いで織田信長が武田の騎馬隊に用いた三段備えの戦法そのものです。これだと新手の敵には新手の銃で対応できるから戦線に停滞はないのです。
「うーむ、SU眼科は手ごわい・・・」
病院嫌いの私だけに病院が珍しいだけに実は興味津々、これからどうなるのか? 失明も覚悟の上です。
病院といえば5年ほど前に銀座4丁目交差点近くの馴染の歯科に歯石削除に行って以来久々のことです。その時は新任の研修歯科医が、私の上部右端の歯が少々ぐらついたのを見て、すかさず「これ抜きましょう!」と鬼の首でも取ったように嬉しそうに職業病丸出しの笑顔を隠そうともしません。それ以来歯科医は行かず、その歯も臨終の折は自分で力任せに抜き、うがい消毒で看取りました。その時は歯を食い縛って頑張らず、口を開いて頑張りました。
今回の目の手術の場合は条件がまるで逆です。こちらから探し求めて藁にもすがるような気分での訪院です。
医者嫌いが祟って緑内障での失明寸前と判明、ままよ支罪したら整体業と一念発起して整体師範まで上り詰めてはみたが整体は施術も指導も時間がかかり過ぎて、平均寿命超えでオマケの余生を楽しむにしてはマイナーすぎます。
それに、好きな絵画鑑賞や観劇、旅行や釣りからも縁遠くなるばかり、目の前50センチに絶世の美女がいても霞がかかっておぼろげに見えるだけ、さらにパソコン仕事に支障が出ていましたから、悪質な緑内障持ちの私に「白内障手術OK」のゴーサインを出してくれたSU眼科の院長はまさに「地獄で仏」、拝むような気持で待合室のイスに沈んでいました。開業は9時からと聞いていましたが、定刻より早めの8時50分ごろ名前を呼ばれて待合室を離れて別室へ移動、この時、瞬間的ではありますが、榎本武揚と別れの水盃を交わして出撃し箱館一本木関門で戦死しますが、その時の心境の千分の1ほどの覚悟が試の片隅に浮かんだのを感じました。

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白内障手術記-2

白内障手術記-2

 さて東武線春日部駅西口から駅前交番の南側に聳え立つ銀杏の大木に度肝を抜かれて駅前広場を横切るとスクランブル交差点があり、その信号を左折するとタクシーの運転手が示唆したコンビニの裏側に出ました。なるほど、これなら店内を横切れば近道なのは間違いありません。大雨の日なら店内を横切れば少しは濡れないで済みますが、その分、濡れた傘の雫で店内を濡らしてしまいます。その場合は何か買い物をすることで良心の呵責は薄らぐかと思います。そのコンビニの裏の手前右側角が自転車駐輪場で一日100円、「これは安い!」と思ったのですが生憎と私は自転車を持っていません。それに栗橋の我が家からは20キロ以上はありますから自転車では無理です。その駐輪場を右折して、すぐまた居酒屋「むさし」の手前を左折すると、広い駐車場が二つ並び、その先の角にSU眼科の4階建ての立派な近代建築風の建物がありました。どうも、私が想像した閑静なイナカの小さな眼医者さんとは無縁のようです。
その建物裏の駐車場の半分がSU眼科の来客用無料駐車場になっていて、私がそこを通ったと午前7時50分にはまだ満車になっていませんでした。私が早すぎたのです。
SU眼科の建物の角をさらに右に回って玄関口を見ると、8時半受付のSU眼科の玄関シャッターはまだ閉まっていましたが、3段ほど上がったシャッター手前の踊り場にはすでに高齢者男女7人ほどがたむろしていて賑やかに談笑していました。一番乗りどころではありません。私が皆さんに挨拶をすると、見慣れない顔で分かるのか、挙動不審で分かるのか、私を眼科初心者と見抜いたらしく、眼科通いのベテランらしい風貌の私よりは若そうな高齢者の男が「もうすぐ、15分にはシャッターが開いて中に葉入れますから」と、親切なのです。受付開始にはまだ40分もあります。そこでの会話で分かったことは、花粉症などで眼科の患者が多いときは、病院の玄関から400人以上が並んだことがあり、診察の医師も院長を含めて3人いるとのこと、しかも県内に二つの分院を持つ、県内有数の眼科だとか、これは喜ぶべきか悲しむべきか。こうして待つ間。私も眼病仲間の初心者として、諸先輩の経験や助言を聞きながらいつの間にか眼病仲間となっていることに全く違和感がない自分に気づき愕然としました。なるほど、病院の門を潜った者は、こうして病人になってゆくのです。
やがて時間が来たらしく、屋内から白衣の男性職員が表れて、シャッターを開いたときは、すでに30人ぐらいの患者が集まっていましたが、屋内に入ると実に順序良く来訪順に並んで、受け付けの数人の女性職員に予約券や診察券などを出し、受付で配布された番号順に、待合室の長いすの背もたれに張られた番号順に座って、検査が始まるのを待つことになります。
初回ということでまだ診察券もない私も、所先輩患者に交じって8番のゼッケンの張られた長いすに腰を沈めた瞬間、私はもう紛れもない眼科患者という病人に成りきっていました。

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白内障手術記-1

白内障手術記-1

いよいよ目が見えなくて来客でも人違いの連発で、友人主催の会合にも出席できなくなりました。 私は根っから丈夫に出来ているのか自分が患者として病院にゆくのはここ数十年、人間ドッグと歯医者以外では全く記憶にありません。
昨年の1月19日に母を看取るまでは毎日のように病院通いでしたが、医師や看護師は別として病院の建物は苦手です、
母は要介護度1のままの老衰死という103歳、立派な大往生でした。
それに引き換え、とっくに平均寿命を超えながら、まだ眼病などを治そうとするケチな自分にいささか嫌気がさしています。
数年前、著名な銀座のT眼科での診察では、緑内障&視野狭窄症に白内障、手術は諦めて薬で進行を遅らせるのが良策との託宣でした。
たしかに、緑内障が右眼の中央まで浸食しているから手術は無理、というT院長の言葉には説得力がありました。
とくに右眼は失明寸前とのことで、長年のパソコン仕事のツケが回ってきたのを感じて、目の不自由は覚悟していました。
私はすでに平均寿命を超えた高齢者ですから、今さら失明を恐れる気持ちは毛頭ありません、
そのために整体の師範の資格まで得て意気軒高、怖いものなしなのですが、免許証がなくなるのは困ります。
それに、目が見えなくなると、自分の信条に反する事項があり、少々不都合なことが生じます。
それは、私の三大生き甲斐の「もの書き、弟子育て、大鮎釣り」の殆どが実行不能になり、自らの信条に反することになるからです。
この中で視野が不自由になっても出来るのは「弟子育て」だけですが、それも、こんな年寄りでもいいという好奇心旺盛な入門者がいればの話です。
パソコンも原稿用紙も目が不自由では使えませんから小説は無理、大鮎釣りも河原歩きや激流入りが無理ですから諦めるしかありません。
これらを承知で整体の道を選ぶ決意をしたはずの自分ですが、いざとなるとその決心が大揺れにぐらつき始めました。
悪魔の囁きか天使の声か判然とはしませんが、「それでいいのか?」と、声なき声が聞こえます。
そこで、医者嫌いの仮面をかなぐり捨てて終活前の悪あがきの眼科探しです。
これでは生きていても意味はありませんので、何とか治す努力だけはしたいと思い立ちました。
そこで、ダメで元々ですから、娘達の協力も得て、緑内障を悪化を承知で、手術をしてくれる眼科を探すことにしたのです。
銀座のT医師は、緑内障が目の中いっぱいに広がっていると白内障の手術で「失明する」場合がある、との理由で手術を断られています。
末娘が、あちこちの友人知人から情報を集めて、数軒の眼科をリストアップして来ました。
その中から。これだ! と思ったのが、今回、私の眼科通いの舞台になる埼玉県春日部市のSU眼科です。なぜS眼科と呼称しないかというと、同じ地区で覇を競い合うライバルにSA眼科があってS眼科の表現だけでは紛らわしいからです。
私がSU眼科に電話をしたとき、受付の女性は、私が緑内障はかなり進行中と伝えたのにすぐ反応して、{院長にお伺いしてみます」と、ほんの十数秒の間を置いただけで「院長が直接診察しますのでX曜日にどうぞ。朝X時から受け付けております」と明るい声で即答です。
この返事の速さから推し量ると、従業員数人でお客の少ないカンコ鳥が啼く閑な眼科を想像して、これなら自分にピッタリと意を強くしたものです。なにしろ私は、成人して以来、眼科は銀座のT眼科一度だけ、ただ混雑ごった返し状況の印象しかないのです。
ついでに、その春日部市のSU眼科に初めて電話したときのこと、私は「駅からタクシーでどのぐらい?」と気軽に聞いたところ、受付の女性は、すかさず「タクシーですとと15分ほどです」、確かにそう聞こえたのです。娘がパソコンから印刷してくれた地図もあったのですが、私はこれで安心しきっていました。
当日、東武日光線春日部駅西口からタクシーに乗って「SU眼科へ」と告げると、運転手が気の毒そうな表情で、「付き添いがいないと不便ですね」、です。私が聞きとがめて、「何も不便してないけど?」と言うと、今度は運転手が「目が見えるんですか?」と驚いています。
私が憮然として「見えますよ」、そこで運転手は私の間違いに気づいたらしく、駅前広場の一角を指して、「SU眼科なら、そこのコンビニの店内を突っ切ると、すぐ先ですよ」と呆れ顔でした。
買い物がないのでコンビニ店内の素通りはしませんでしたが、SU眼科は駅から徒歩2分の至近距離、タクシーは全く不要です。
、あるいはJRのどこかの駅からだとタクシーで15分なのか、市内に数軒の分院を経営するSU眼科だけに、その別院が駅から車で15分の距離にあるのだと思いますが、春日部の駅名を言わなかった私が悪いのです。でも、これは未だに謎です。
この項つづく

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周囲に感謝です。

周囲に感謝です。

花見 正樹

最近、高齢者の交通事故が目だって私も肩身の狭い思いをしています。
いま83歳半ばで平均寿命を超えた私は、隠居生活の日々ながら、もう少し世の中のお役に立ちたいと思っています。
私はつね日頃から、三大生き甲斐を周囲に公言しています。
それは、もの書き、弟子育て、大鮎釣り、この三つなのですが最近は少々雲行きが怪しくなってきています。
もう残された時間はわずかなのに、まだまだ時間があるような錯覚が自分の中にあるのが現状を誤らせているのです。
最近、あちこちで高齢化社会になっても元気であれば出来る職業の上位に「占い師」がランクされています。
そのために、入門希望者が跡を絶たず、占いで稼ぐ方は弟子任せですが、教える立場としては少々未練があるのです。
教え方にも進歩がありますし、時分の遺伝子が世のため人のために役立つのですからそう簡単には断り切れません。
もう一つ、生涯現役で働ける職業に{作家}という肩がきもありますが、書かない作家では意味がありません。
したがって「弟子つくり」と「もの書き」を両立させることが出来れば三大生き甲斐の二つは解決します。
問題はもう一つの生き甲斐{大鮎釣り」です。日本最大激流の球磨川(熊本県)に身を乗り入れて掛けてこその大鮎釣なのに、ここ数年は師匠と呼ぶ大分市在住の相棒が病気休養のためと自分の目が極端に悪くなったために、地元の若手名手(熊本&鹿児島)の世話になって、危険な荒場を避けての釣りですから大鮎どころではありません。いよいよ年貢の納め時なのです。
それでも地元や仲間の人情が大好きなので、下手な釣り師ながら球磨川通いが止められません。困ったことです。
あれこれ悩んでいると、降って湧いたように「芹洋子うたごえサロン鹿児島公演」のイベント企画です。
立案者は鹿児島在住の有力者でもあるお弟子さん、鹿児島県芹洋子後援会の会長に西郷隆盛の直系ご子孫にお願いしての本格的なコンサートです。まだ企画の段階で詳細は何も決まっていませんが、私の釣行スケジュールと合致するとしたら天の運、三大生き甲斐はまだまだ続くことになりそうです。しかも目の手術は数日後から7月で済み,足場も目印も見えるようになりすです。
それにしても、こうして好きなことを目いっぱい楽しめる人生・・・これも周囲の皆様のお陰と感謝するばかりです。

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早くも猛暑

早くも猛暑

花見正樹

真夏並みの猛暑が日本列島を襲った5月26日の日曜日、来日したばかりの米国・トランプ大統領は、早朝からゴルフに興じ、大相撲を観戦し、六本木の居酒屋で炉端焼きとはあまりにもタフ過ぎます。これに負けてたまろかと安倍総理も頑張っていますが、その表情からは明らかに精気が失われていて早くもギブアップ状態、これえでは二人でコソコソ話し合っているであろう貿易摩擦問題絵も一方的に相手のペースに押しまくられるのは必定、日本の農家や酪農家、自動車業界の絶望的な悲鳴が聞こえてくるのも間もなくです。ゴルフの成績はともかく、勝ち誇って上機嫌なトランプ大統領と負け犬ポチ風の苦虫をかみつぶした表情の安倍総理の顔色を見れば、8月の選挙後の交渉の焦点で何らかの下打ち合わせで妥協があったと推測してもおかしくはありません。
両国国技館で行われた大相撲夏場所は千秋楽を待たずに優勝を決めた平幕の朝乃山が、結果的に12勝3敗の好成績で初の殊勲賞と3度目の敢闘賞を獲得するという離れ業を見せてくれました。
私の友人が設立した千賀の浦部屋は、またしても怪我に祟られ優勝候補だった貴景勝は休場が続いて沈没、これで千賀の浦部屋は元の静けさを取り戻した様子です。
ここでもトランプ大統領は主役でした。トランプ米大統領はアメリカ合衆国大統領杯を朝乃山に授与してご満悦、格闘技ファンであることは表情を見れば、義理付き合いの安倍総理との差は歴然です。
さて今日27日(月)は日米首脳会談と、令和初の国賓を招いての宮廷晩餐会、どちらも重要な行事です。
日米首脳会談を終えた安倍総理とトランプ大統領による共同記者会見の内容は少々食い違っていました。
安倍総理は「日米同盟は世界で最も緊密な同盟関係と、rトランプ大統領との蜜月時代を強調しましたが、トランプ大統領はにべもなく「「日本とアメリカの同盟はこの地域のみならず、世界の安定と繁栄の礎」としながらも「われわれ側の目標は日本との間の貿易赤字を削減することと、アメリカからの輸出を促進するために貿易障壁を取り除くことだ」と明言しています。
安倍バ総理のトランプ大統領ベッタリ追随の姿勢は、相手にその気がないだけに、いずれ国益を損なうことになるのは火を見るよりも明らか、私はそう感じます。ただ、トランプ大統領の自国優先のコケ脅し外交もまた米国の国益にプラスに作用しているようにも思えません。宮廷晩餐会では、慣例に倣って牛肉ステーキになったそうですが、当初の予定では那須野御用牧場で育てた羊の肉がメインディッシュと報道されていただけに、案外、トランプ大統領だけには牛と称して羊の肉を供したかも知れません。しかも、それを知っているのはシェフ長だけ。ただ、平安時代の歌人までも調べた博識のトランプ大統領だけに、羊頭狗肉ならぬ牛頭羊肉にすぐ気づいたはずです。それがとてつもなく美味だったりして。ここで大統領は周囲を見渡して疑心暗鬼に陥ります。日本人は牛肉と称して羊を食しているのではないか? あちこちにあるという牛丼の店も中身は羊肉に違いない。そこでトランプ大東呂は熟慮した結果、頭の中で、日本に対する牛肉の大量輸入の押し付けは撤回、帰国したら酪農家に牛から羊への転向を示唆しよう・・・こう考えたと推測します。これで日本の酪農家は一安心、こうなるかどうかは保証の限りではありませんが、季節狂いの猛暑がもたらした、真夏の夜の夢の一つではありません、羊のステーキをトランプ大統領が食べたのは事実です。嘘だと思った人は宮廷料理を賄うシェフ長かトランプ大統領のどちらかに直接訊いて確かめてください。
小説家は嘘を言わない・・・私はいま壮大なウソを真実に織り交ぜて作家活動に邁進中です。

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