隠居仲間の求める人生の目的は?

隠居仲間の求める人生の目的は?

 私が住む埼玉県久喜市にも2月9日(土)の朝から夜半までハラハラと少量の粉雪が舞いました。路面には積もるほどではありませんが家々や野天駐車の車の屋根にはほぼ2センチほどの積雪を見ましたが10日(日)の午前中には跡形もなく消えました。
先週、この欄で、相変わらず同じ言葉の繰り返しですが、私の三大生き甲斐は、もの書き、弟子育て、大鮎釣りで変わらないが、今年は力の入れ方の配分が少々変わったことを報告しました。
すると、長らく疎遠で最近また付き合いが戻った友人から、「人生の目的変更ですかな?」との突っ込みメールが届きました。
その友人は私より少々若いのに何事にも舌鋒鋭く論理的、何を言っても反論され論破されるので、何となく面倒になって、私は君子でもないのに「危うきに近寄らず」とごく自然に縁遠くなり年賀状のやりとりだけになっていたのです。
このメールにはまだ返信をしていません。ここで一言でも反論すれば、虎視眈々と狙い撃ちをと身構えている相手の罠にまんまと引っかかって、暫くはメール交換に明け暮れた過去の愚を再現するからです。
したがって、ここは穏便にこの一文を相手にも読ませて、立ち合いの肩すかしで空を泳がせ、相手の力みを利用して土俵の外に弾き出して完勝を狙う作戦と、手の内を明かした上で私の『人生の目的』について応じることにしました。
もちろん反論を受け付ける気はありませんから、メールは無駄とご承知おきください。
私の人生の目的は、いつもの口癖に出る『三大生き甲斐』ではありません。
臨終に際して「楽しかった、有難う」、この気持ちで人生の幕引きをと願うだけです。
死は不慮の災難や心臓発作や脳梗塞などで突然訪れることもありますが、この私の一念は変わりません。
昨年も一昨年も、昨日も今日も、多分明日も将来といつでも、「楽しかった、有難う」なのです。
前述の友人(多分、この一文にも目を通されていると思いますが)と疎遠になった経緯も思い出しました。
以前は、同じ話を耳にタコが出来ても聞き続ける余裕があったのに、私も高齢化して気が短くなって相槌うちの米つきバッタになり切れなくなったのです。私には一流企業の重役などという輝かしい過去はありませんから、いかに華々しく国際社会で活躍したかを語られても返事のしようがありませんから、ただただ頷くか感心するだけですが、最近はそれにも飽きました。
前述の友人がその典型でしたが、ある日、ふと私に質問を振ったのです。
「最近、成すこともなく、人生に退屈してるんだが、なにかいい手はないだろうか?」
ここでつい、「なにか趣味を」とか平凡なことを答えて失笑を買い、一方的な妙な論争に巻き込まれた記憶があります。
相手は墨絵や書道、和歌にも通じ、大手広告代理店の管理職の現役時代には海外で活躍した強者ですから、何でも出来るはずですが、確かに何もせずに都民限定高齢者優待パスを利用して毎日バスや都営地下鉄を利用してデパートの無料画展巡りや友人の事務所めぐりなどしかしないのは確か、これに「新たな趣味を」は釈迦に説法でした。多分、相手の求めているのは、仏教でいう『悟り』の世界ではないかとも推察できて、悟りとは縁遠い雑駁な日々に追われている自分とは別世界に生きている友人の存在に気付いたのです。
そう思って周囲の隠居仲間を見まわすと、大半の友人が企業戦士の一員として活躍した経歴の持ち主で、功成り名遂げた過去について語り合うことで悠々自適の日々を過ごし、人生の目的について語り合って結論のない論争を楽しんでいます。
ここでふと気づきました。私の隠居仲間の人生の目的は、学歴、職歴、戦果を含めて「過去を語り会える仲間探し」ではないか、と。そうなると、そこで対等に渉りあえる経歴の主は限られますので、その目的もまた意義のあるものに思えてきます。
そう考えて周囲を見回すと、隠居仲間の夫々が海千山千の企業戦士出身で、今は既に生活に余裕があっての無為無職、あくせく働く理由など何もないからこそぶらぶら出来るのです。
これでは、私のように「楽しかった、有難う」では単純すぎて人生の目的という深淵からはほど遠くなり、隠居仲間の大半が求める、永遠にエンドレスでなければ意味がない人生の目的論戦に参加する資格もないのも無理はありません。
そこで、この一文に目を通すであろう友人に一言、私の非を詫びて「どうぞ、仲間と語り合うことを人生の目的に」、これで幕引きとさせて頂き、論争で損なう時間さえなければ、いつでも熱い珈琲と冷えたビールぐらいの用意は・・・といつもの自分に戻って、またあくせくと自分の仕事に戻るのです。

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