ナイヤガラ瀑布!

このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

ナイアガラ瀑布!

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)
今年の夏はとても暑い日が続き、うんざりしてしまいました。
せめて旅行では涼を伴うところに行きたいと急遽思い立ち、カナダを選びました。
それも一度は実際に見てみたいと思っていたナイアガラの滝に行きました。
今回も娘と二人旅でした。エアーカナダに乗り、トロントまで直行便でした。空港からはバスに乗り時約1間半でナイアガラに到着しました。
ホテルに荷物を置き、早速ナイアガラの滝を見物に行きました。

途中カナダのビールで夕食をとり、坂をおりて10分くらいで滝にたどり着きました。
目の前で見る滝のなんと大きいこと、そして美しいのです。
夜でしたので、左のアメリカ滝は緑、右側のカナダ滝は青とライトアップされていてそれはそれは綺麗で雄大な景色でした。
また15分間でしたが、花火があがり、日本で花火大会に行っていませんでしたので、夏の風物詩をカナダで体験しました。

滝については皆様ご存じですので説明はいたしませんが、実物を目の前にするとその大きさ、水の量、勢いには圧倒されました。
テレビや写真では何度もみ見ていましたが、やはりそこに実際に立ってみるとその存在感はすごいです。
翌日は船に乗って滝までクルージングです。
カナダ側から乗った私たちは赤のビニールカッパを着て赤い集団です。
反対側のアメリカからの船は乗船者が青のビニールカッパを着ていて、赤の集団の船と青の集団の船が次々と滝のそばまでいきました。
右舷に乗ると水しぶきが浴びられるということだったので、早速右舷に行きました。
本当にカナダ滝のそばまで行ったら、滝のような(けっしてシャレではございませんが)水しぶきをたくさん浴びました。

水はそんなには冷たくありませんでしたが、とっても気持ちがよかったです。マイナスイオンも浴び、肺の中が洗われるようでした。
私たちは滝へのクルーズができたので、滝の裏側への観光入場はありませんでした。これは冬場の観光のようです。
この滝のそばには橋があり、その橋の真ん中がアメリカとカナダの国境で出入国検査をしているという珍しい橋でした。
まえからあこがれていた滝にお目にかかれて幸せな2日間でした。

 

甦る仁のこころ 合同慰霊祭・特別記念講演 余談~8

このコーナーは安司弘子講師(左)と宗像信子講師(右)の担当です。

白河戊辰150周年記念事業
~「甦る仁のこころ 合同慰霊祭・特別記念講演」余談~8

安司 弘子
(歴史研究会白河支部長)

2014年9月、歴史仲間が率いる「白虎隊の会」長崎支部が白河・会津を訪問。市内の史跡を案内し、友人にとっては既に馴染みになった「山の寺」での手作り懇親会でおもてなしをさせていただきました。
友人は私からのイベント案内や自身の企画で、これまで10回も長崎から馳せ参じてくれている得がたく有難い同士です。

翌10月には「会津・白河慰霊の旅」として、吉井克也さんを中心に活動する「白虎隊の会」下関支部のご一行がお出でになり、長州藩士の眠る長寿院はじめ戊辰ゆかりの場所にご案内。
戊辰の時、東山道先鋒として長州藩の諸隊を率いたのは中隊長の楢崎頼三です。諸隊士たちは白河の民衆と盆踊りを楽しみ、帰郷後にも懐かしんでそれぞれの地元で踊りました。
150年の時を経たいま山口県内の80カ所以上で踊られつづけ、「白河踊り」と呼ばれているのは奇跡としか言い様がありません。楢崎は白河で右手に銃弾をうけ負傷しましたが、会津戦争後、自刃白虎隊士でただ一人蘇生した飯沼貞吉を自分の所領地に連れ帰り養育しました。
このとき楢崎から貞吉の世話を頼まれたのが、吉井さんの曾祖母に当たる高見フサでした。
この旅は、会津の長州に対する長恨が語られ続けて現代に至ることへの、ある種の警戒心を持った旅であり長年の懸案だったということです。

遡って、2013年2月には「白河踊り調査団」が萩市を訪問しています。調査団の一員だった私は白河踊りの研究家中原正男さんとお目にかかり、その研究成果をご教示いただき顕彰してきました。その一つとして歴史春秋社刊のムック本『白河』に中原さんの研究成果を寄稿していただくなどしています。

同年4月、元萩市医師会長で「長州と会津の友好を考える会」代表の山本貞壽さんが野村萩市長の親書を携え「八重の桜・復興支援ツアー」と題し、20数名の一団を率いられました。
念願の吉田松陰が東北遊歴の折りに宿泊した旅籠(現旅館)を見学し、鈴木白河市長も列席した交流会では「白河踊り」をともに踊り盛り上がりました。前述の「調査団」が接待メンバーとしてお迎えしたのは言うまでもありません。
山本氏はこのとき差し上げた冊子『官軍戦没兵士の墓遍路』(金子誠三著)に強い関心を示されました。
山口県内で是非配本したいと切望されましたが、既に残部は無く急遽500冊を復刻。この500冊はすべて山口県下に配られました。
「白河踊り』の研究家中原正男氏とともに白河市と萩市の交流の下地を作られた山本氏の活動は、8月、「萩市民号」での公式訪問という形に結実し、市長を含む40名もの萩市民が来白されました。
9月、さらに山本氏は自身が所属する萩医師会の仲間たちをお連れ下さり、長州兵墓のある長寿院に再び参拝しました。

つづく

甦る仁のこころ 合同慰霊祭・特別記念講演 余談~7

このコーナーは安司弘子講師(左)と宗像信子講師(右)の担当です。

白河戊辰150周年記念事業
~「甦る仁のこころ 合同慰霊祭・特別記念講演」余談~7

安司 弘子
(歴史研究会白河支部長)

司馬先生に関連する事項はまだ続きます。。。
2014年8月26日、BS朝日で『にほん風景物語 司馬遼太郎と会津・白河のみち〜「街道をゆく」を歩く〜』が放映されました。これに先駆けて、現地情報などで少しばかり協力させていただいたお陰で私は撮影時に居合わせることが出来ました。
このときの旅人は作家の山本一力さん。
忘れられない光景があります。
知らない方ばかりのところに駆けつけ場違いな感じがして戸惑っていたとき、野菜の詰まった大きなレジ袋を下げて一人の女性が現れました。
近くの産直で購入されたものでした。
福島県は、原発事故による風評被害のまっただ中で、福島の野菜を避ける風潮が地元住民にもあった頃です。
その女性の姿を見たとき、私は感情がこみ上げてきて思わず声をかけました。「白河で野菜を買って下さったのですか?有難うございます!」
そして、しばらくお野菜や料理の話など主婦同士のような会話をするうち、「もしかしたら山本に何かお話があったのでは?」と。

そう、一力先生の奥様だったのです。すっかりスタッフの一人だと思い込んでいた私は、もう本当にビックリしました。
さすがは作家の奥様、観察眼があるのですね。もっとも当時私は「戊辰戦争白河口の戦い」の啓蒙に携わる「桜プロジェクト」のスタッフでしたから、少しでも白河の特異な状況を知っていただけたらとパンフレットや資料を携えていたのでした。
撮影中の一力さんに代わって奥様がiPadに記録して下さったのは長州に伝わる「白河踊り」でした。
そして、数ヶ月後、奥様から思わぬご連絡が。
もっとお話を聞きたいのでまた白河に行きたいとのことでした。
ご夫婦で取材に来て下さったその日、ひとりで応対することに危惧を感じた私の傍には博識な白河の重鎮、人生の達人である金子誠三先生がいらっしゃいました。
お二人は金子先生のユーモアを含む会話に魅了され、すっかりファンになられて私の目論見は大成功。
そして、私たちもご夫妻の飾らず控えめなお人柄に心底感激しました。
さらに、ちかく萩市で講演予定があるとお聞きし、「白河踊り」の研究家中原正男さんと講演会の会場で面談していただけるおまけ付きとなりました。
その後白河図書館での講演会をへて、つい先日にも白河にお出でいただく機会があり、改めて素晴らしいお人柄を実感できました。嬉しいご縁がつづいています。

つづく

甦る仁のこころ 合同慰霊祭・特別記念講演・余談~6

このコーナーは安司弘子講師(左)と宗像信子講師(右)の担当です。

白河戊辰150周年記念事業
~「甦る仁のこころ 合同慰霊祭・特別記念講演」余談~6

安司 弘子
(歴史研究会白河支部長)

2013年9月、白河市民会館で講演会「八重の時代と新選組白虎隊」を開催。
作家で時代考証家の山村竜也氏が「八重の桜と新選組」を、白虎隊士飯沼貞吉の孫・飯沼一元氏が「八重の桜と白虎隊」の演題でお話しくださいました。

なお、山村氏は「八重の桜」の時代考証を担当されています。
また、近藤勇の生家子孫宮川清蔵氏と井上源三郎子孫井上雅雄氏らによる天然理心流の演武も併せておこなわれました。    このイベントに全国から集まってくれた歴史仲間たちは、前日、那須で集い、青木周蔵別邸や大山巌・捨松の別邸、大山家墓所を見学、土地の古老から板室の戊辰戦争についての言い伝えを聞くなどして白河に移動しました。

2014年1月から私は福島民報新聞の読者コラム欄「民報サロン」に6回連載の機会をいただき、うち2回は戊辰白河戦争をとりあげ「『八重の桜』のたまもの」・「白河踊りが結ぶ縁」と題して書かせて頂きました。
2014年2月、講演会「戊辰戦争と司馬遼太郎」を開催し、司馬先生の最後の番記者だった週刊朝日編集委員の村井重俊氏に語っていただきました。                      郷土史家の荒井忠秋氏も「戊辰戦争 歴史の裏通り」をテーマに、戊辰白河戦争のエピソードなどを披瀝されました。       この講演会は、かつて白河が経験したことのない積雪70センチという豪雪に見舞われた日でした。                地元の人たちは家から外に出られないほどの最悪の状況で、主催者側の私自身も色々と手を尽くしてやっと会場に辿り着くことが出来たのでした。
村井氏をはじめ、遠く関東方面や静岡などからの参加者が前泊さ
れたことでようやく開催に至ったという忘れられないエピソードとなりました。
したがって聴講者はもちろんわずか。ですが、少人数の参加者が集った懇親会は格別の一体感でした。                          余談ですが、前述の『司馬遼太郎の街道』や『週刊 司馬遼太郎』は村井重俊氏が主筆として記事を書かれており、また氏には著作『街道をついてゆく』がありますのでお読み頂けたらと思います。

つづく

甦る仁のこころ 合同慰霊祭・特別記念講演・余談~5

このコーナーは安司弘子講師(左)と宗像+信子講師(右)の担当です。

白河戊辰150周年記念事業
~「甦る仁のこころ 合同慰霊祭・特別記念講演」余談~5

安司 弘子
(歴史研究会白河支部長)

「八重の桜」が放送される中の2013年5月から週刊朝日が『司馬遼太郎の街道「白河・会津のみち」の世界』を連載。
戊辰戦争120年の節目に司馬先生に講演をしていただいたことから、当時のことにも触れています。
記事には白河城(小峰城)のはじめの主と終わりの主として、中世時代に約400年ものあいだ白河地方を領有した「白河結城氏」の末裔結城直樹氏と幕末の白河藩主阿部家の現当主阿部正靖氏を紹介しており、阿部家家老子孫の平田重樹氏も同席しての取材でした。
また、結城氏の居城だった白川城を、国重文結城家文書(90通)の研究家でもある佐川庄司氏と、私が私淑する白河の重鎮金子誠三氏にご案内いただき、石碑や祠が震災で倒れたままになっている状況も紹介。
坂本龍馬の従兄弟・沢辺琢磨が初代の司祭を務めた白河ハリストス教会には司馬先生も訪れており、管理人の大寺浩さんが説明されています。
さらに、西郷頼母の研究家で稲荷山に「蝸牛歌碑」を建てた堀田節夫氏と西郷頼母の弟の末裔である山本英市氏の話も掲載。
堀田氏が亡くなった今、時々思い出す取材の情景です。
週刊誌での連載はその後ムック本『司馬遼太郎の街道1』となり再び書店に並びました。

週刊朝日は以前にも白河を取材し、2009年『週刊 司馬遼太郎』~徳川慶喜の孤独~の章に掲載。
今『白河大戦争』の著作が売れている植村美洋氏(ペンネーム・白川悠紀)と、司馬先生招致に奔走した一人で『街道をゆく』の挿絵画家須田剋太氏から絵を貰ったという、ハリストス教会と向かい合う書店「昭和堂」の主人鈴木雅文氏にも会っていただきました。
この項では「白河・会津のみち」の文章から〈白河の庶民は戦争の時は息をひそめて済むのを待ち、戦闘がおわると、そのつど両軍の戦死者を埋葬してやった。以後、白河は、ほとんどが無縁仏になったこれら戦死者の墓を百二十年間まもってきたのである〉と引用し、司馬先生が白河を「人情敦煌の地」とまで表現していることを取り上げてくれました。
そのご、この記事も週刊朝日ムック『司馬遼太郎の街道Ⅴ』に修められました。

つづく