築地本願寺盆踊り

 このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

築地本願寺盆踊り

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

毎日お暑い日が続きますね。
そんな酷暑の中、築地本願寺で盛大な盆踊り大会がありました。
花見サロンに7月末にお邪魔した時、築地本願寺を見下ろすと庭に何やら舞台ができて、ぼんぼり提灯が飾られ始めているではないですか。
正門の掲示を見ると7月31日から8月2日まで盆踊り大会があると書かれていました。
花見先生のお話によると、毎年屋台がたくさん出て相当な人出だそうです。
屋台も築地の場外市場のお店が出るとのこと。
<何だかとても美味しそう!>
という先生のお話にがぜん興味がわき、娘を誘って行ってきました。
始まるのは7時くらいからですが、早くに行って席の確保が必要です。
6時に行き、まず席を確保、娘が来るまでビールも飲めずに待ちました。
娘がやっと来て、早速ビールを買ってきましたので、今度は私が食料を物色しに屋台を探索に。
松露の卵焼き、お好みやきのようなイカ焼き、焼き鳥、鮎の塩焼き、枝豆等々を買い席に戻って、それからはのんびりお囃子を聞きながら、江戸のお祭りの雰囲気を味わいました。
あっという間にすごい人出で、テーブル席だけではなく芝生の上にも、また階段にも人があふれていました。
さて7時になったら盆踊りが始まり、お囃子の大太鼓のリズムがずしんとお腹に響きました。
舞台櫓の上では、いなせなお兄さんや若い娘さんなどが、時々お爺さんも交代に大太鼓が叩き、東京音頭やよくわからない盆踊りの曲が流れ、舞台櫓の回りを皆さん踊っていらっしゃいました。
楽しそうでしたよ。
来年はぜひ皆さまも花見サロンにいらして上から眺めてもそれなりに華やかですし、会場に行っても楽しいですからお勧めです。

盆栽美を堪能しました。

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盆栽美を堪能しました。

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

この7月に2度ほど大宮盆栽美術館に行きました。
この美術館は大宮の盆栽村の一角にあり、今は外国でも盆栽はブームになっていて外国人も多く訪れるそうです。

なぜ盆栽村と言われるかというと、戦時中に東京の盆栽職人がこの地に集結して疎開したからです。
私はどちらも研修の帰りに寄ったので、最初から関心があって行ったわけではなかったのですが、思っていた以上になかなかいい美術館でした。
なにしろ盆栽をつくづく眺めるのは初めてでしたので、何がいいのかよくわかりませんでしたが、なんともこの空間は心静まる、「あ~~! いいなぁ!」と思わせる場所でした。

私はボランティアガイドさんから「盆栽の起源は中国と言われており、2000年以上の歴史があり、 日本には平安時代から鎌倉時代あたりに渡来し、それ以来日本の文化として多くの人々に愛され続けた」ということを聞いて、その歴史を初めて知るという体たらくでした。
この盆栽美術館のコレクションギャラリーは、プロローグ、ギャラリー、座敷飾りという、3つの空間から構成されていました。
説明書にはプロローグでは、盆栽文化への導入部として、盆栽と深く関わりのある盆器、水石、絵画資料、そして歴史・民俗資料といった作品等を月替わりで展示しています。続くギャラリーと座敷飾りが盆栽の展示空間となり、ギャラリーでは5席、座敷飾りでは3席の盆栽を季節に合わせ、週替わりでご紹介しています。
とありました。またこの中は撮影禁止でした。
 次に盆栽庭園に行きました。
説明書には盆栽庭園には常に40~50点の盆栽を展示しています。盆栽を360度すべての方向から見られる場所もありますので、盆栽の正面と背面の違いもご覧いただけます。ひときわ目立つ当館最大の盆栽、五葉松「千代の松」は、日のあたり方を調節するため回転式展示台に飾られています。
中央のあずまやと、本館2階の盆栽テラスからは、通常より高い視点から盆栽庭園を見ることができます。と書かれていました。
庭園では写真撮影ができたので、何点か写真をとりました。
展示されている盆栽には、樹齢1200年とかが何点もあり、400年、600年というのはざらでした。
手入れはやはり大変で手間のかかるものだそうですが、そうして何百年も育ててきているのだと思うと日本人の自然に対する心に感じ入るものがありました。
政治家が外国の要人の接待に使うこともあるそうです。吉田茂、岸信介、佐藤栄作などといった首相は何度も訪問しているし、実際にご自身でも素晴らしいコレクションをお持ちだったそうです。
そういった方々の盆栽も展示されていましたが、いったいいくらの値がつくのかは私などには想像もつきませんが、そういう下世話な推測はここでは止めて、純粋に心から日本の文化の盆栽の美しさに感激致しました。

奏楽堂での演奏会でした。

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奏楽堂での演奏会でした。

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

先日お友達のお嬢さんが上野の奏楽堂でマリンバの演奏会に出演するというので、聴きに行きました。
いつもは外から見るだけでしたが、初めて中に入り有名な奏楽堂のホールを目の当たりにしました。
ここが日本の西洋音楽のメッカというだけあって、建物自体も素晴らしいものでした。
また舞台中央に据えられたパイプオルガンも今回は聴くことはできませんでしたが、歴史ある貴重なものでした。
ホームページには下記のような説明がありました。
旧東京音楽学校奏楽堂の歴史
 本館は、東京藝術大学音楽学部の前身、東京音楽学校の校舎として、明治23年(1890)に建造され、日本における音楽教育の中心的な役割を担ってきました。
2階の音楽ホールは、かつて瀧廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台です。
創建から80年近く経過した昭和40年代(1965~)に入ると、建物の老朽化が目立つようになり、校舎を都外へ移設する構想が持ち上がりますが、昭和58年(1983)に台東区が東京藝術大学から譲り受けることとなりました。そして、昭和62年(1987)に現在の地へ校舎を移築・復原し、「旧東京音楽学校奏楽堂」として一般への公開を開始しました。さらに、昭和63年(1988)には、日本最古の洋式音楽ホールを擁する校舎として、重要文化財の指定を受けました。
以来、旧東京音楽学校奏楽堂は、「生きた文化財」として、建物の公開のほか、演奏会や音楽資料の展示を行ってきました。
平成25年(2014)4月より保存活用工事のため休館していましたが、平成30年(2018)11月にリニューアルオープンいたしました。
パイプオルガンについて
 舞台正面のパイプオルガンは、大正9年(1920)に徳川頼貞侯がイギリスから購入し、昭和3年(1928)に東京音楽学校へ寄贈したものです。パイプの数は1,379本あります。現在では珍しい空気式アクション機構(ニューマティックアクション)を有し、コンサート用としては日本最古のパイプオルガンです。現在でも、その演奏を聴くことができます。
以上を読んで初めて知ることばかりでした。
今度、ぜひパイプオルガンの演奏会に行ってみたいと思います。

初夏の葛西臨海公園

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古河藩家老・鷹見泉石資料展のご報告です

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

梅雨の晴れ間の13日土曜日に葛西臨海公園に行きました。
この公園は大空のもと紺ぺきの海が広がる東京湾に、緑と水と人のふれあいをテーマに五つのゾーンを配して誕生した公園だそうです。
昭和60年1月から葛西沖開発土地区画整理事業の一環として着手され、平成元年度にその一部約38ヘクタールがオープン。平成6年4月には鳥類園ゾーン、平成7年7月には展望レストハウス「クリスタルビュー」、平成13年春には観覧車がオープンしたとのこと。
また、葛西海浜公園にも隣接しており、行楽地としては海だけの公園ではなく緑の色あいの濃い公園となっています。
何しろ京葉線・葛西臨海公園駅で下車、海に向かって真っ直ぐ歩いて行きクリスタルビューにたどり着くと目の前に東京湾があるんです。
東京駅からたった15分でこんなに素晴らしい景色が広がっているんなんて信じられないです。
私は観覧車には乗りませんでしたが、乗った友人によるとディズニーランド、お台場、スカイツリー等々東京一望ができたそうです。
多分日本一の観覧車なのではないでしょうか?
海に面しているのに、本当に緑の多い綺麗な公園です。
水族館はクロマグロの遊泳で有名ですが、様々な生物が展示されていてとても興味深いです。
家族連れ、カップル、友人の仲間などで人人人でした。
また予約しておくと海辺でバーベキューができるので、そこも人気のスポットでした。
何も用意してこなくても食べられるので、便利ですね。
園内をぐるっと回る可愛いバスのような乗り物があり、子供たちには大人気でした。
これに乗り好きな所で降りては遊べますから、歩くのが苦手な人にはうってつけです。すっかり童心にかえることができる公園でした。
これから夏に向かってすごい人が来場するのでしょうね。

古河藩家老・鷹見泉石資料展のご報告です

このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

古河藩家老・鷹見泉石資料展のご報告です

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

久しぶりに古河市に行きました。
鷹見泉石のご子孫の鷹見本雄氏が「政治家・鷹見十郎左衛門忠常(のちの泉石)の実像は・・・」という講演をなさるということで、古河市地域交流センター(はなももプラザ)に出かけました。
鷹見本雄氏は幕末史研究会で知り合い、度々企画展や講演会にお邪魔しています。
今回も丁寧な資料を作成されていて、古河市民にとってわかりやすい内容だったのではないかと思います。
鷹見泉石は古河藩の家老で、蘭学者でもあった幕末期の政治家です。
その膨大な資料は古河歴史博物館に展示されています。
鷹見泉石関係資料(国指定文化財)については
古河歴史博物館に寄託されていたもののほか追加分を含めた鷹見家歴史資料約1万点が、平成14年に鷹見家から市へ寄贈され、翌平成15年、そのすべてが市指定文化財となる。それらのうち、古河藩家老であった鷹見泉石の職務および学問的関心から作成・収集された資料3,153点(内訳は文書・記録類686点、絵図・地図類768点、書籍類466点、書状類912点、絵画・器物類321点)がその歴史的価値により平成16年、国の重要文化財に指定された。当時の政治・文化・外交の中枢の動きを知る第一級の資料群である。

ということです。一回見学しただけでは不十分なので、また今度ゆっくり資料を見てみたいと思います。
今回は「はなももプラザ」という別の会場での講演でしたので、初めて訪ねました。
その会場に古河屋台という素晴らしい屋台が展示されていました。
この屋台は天保6年(1835年)に下野国(栃木県)で制作されたものを復元したものだそうです。
説明板によると
江戸時代から昭和40年代まで、雀神社のお祭りの期間には、この屋台の上で神楽や歌舞伎が演じられました。神への奉納儀礼の場であるとともに、娯楽の少なかった時代に、庶民を楽しませてくれる「舞台」の役割も果たしていました。
とありました。
また近くには日光街道があり、道しるべが四つ角にたっていました。
古河という町は史跡があちこちにあり、気になるところがたくさんです。
古河市は茨城県ですが、その一角だけが埼玉県と栃木県に挟まれれているという地勢です。
日帰りで十分史跡探訪ができますので、どうぞ足をお運びくださいませと古河市に成り代わって宣伝させていただきます。