龍踊り(じゃおどり)を楽しみました!

このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

龍踊り(じゃおどり)を楽しみました!

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

皆さま、龍踊りはご存じですよね。
長崎や横浜の中華街でよく踊られているのがニュースなどで放映されています。
長崎は「おくんち」という九月にあるお祭りの時に、どこかの町会が出るのですが毎年ではありません。
中華街は新年のお祭りの時に踊っています。
大型連休の最後の日に、「ミニ咲いた祭」というさいたま市のイベントで龍踊りが披露されました。

東龍会という長崎出身で龍踊りが大好きという人達で構成されている会が特別出演です。
その会に私の友人(もちろん長崎出身)が、出演するので見に来てと誘われたので大宮駅そばの公園まで行ってきました。
金の玉を龍が追いかけるのですが、結構重い龍を10数名の人達がまるで龍が本当に動いているかのように踊るのです。
そして龍が退場すると「持ってこーい!持って来い」と観客が掛け声をかけるとまた龍が戻ってきて踊るのです。
体力の限界まで踊り手は戻ってきてアンコールにこたえます。
今回は観客がこちらの人なので、「持って来ーい」コールが今一でしたが、長崎のおくんちではそれはそれはすごーい「持って来ーい」コールがあるので、力の限り踊ります。
またこの「咲いた祭」はいろんな団体が踊ったり、歌ったり、演奏したしたりでした。
その中でひときわ目立ったのが、サンバのグループでした。
初めて生でみたのですが、なかなか綺麗で華やかでしたよ。これでまた、明日への元気が横溢した感じです。

北軽井沢から温泉三昧!

このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

北軽井沢から温泉三昧!

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

令和になった5月2日に北軽井沢に行ってきました。
大宮から新幹線に乗って約40分、軽井沢に着きました。
下車したとたんに空気が美味しくなり、浅間山がみえました。

宿泊先は北軽井沢のお友達の別荘です。
軽井沢からバスで約50分、旧軽井沢まではとても車が多くさすが連休中だと思いましたが、山を登って行くにつれ、車は減って行きました。
白糸の滝、浅間牧場などを通りながらどんどん登って行くと周りの景色は木々が多くなり、うっそうとした林の中を通って行きました。
ようやく旧北軽井沢駅のあるバス停に着きました。この北軽井沢への線路が無くなったために車を利用するしかなくなりました。とてもおしゃれな駅でこの周辺が町の中心地だったそうです。
友人が迎えに来てくれて彼女の車で別荘まで行きました。その道すがらに浅間山がとても綺麗に大きく見えました。この時の浅間山が一番きれいで大きく見えるのですが電線がどうしても入ってしまうのが残念でした。
今回、北軽井沢へ行った大きな理由は温泉三昧をしたかったからです。
早速着いた晩は地蔵川温泉に行きました。いつも行っていた絹糸の湯がリニューアル中とかで行けなかったので初めての温泉でしたが、北軽井沢駅のすぐ近くでした。
地蔵川では趣の違う3種類のお風呂があり、それは敷地内にある鉱泉を利用したお湯で源泉自体は低温なので加温してあり、ゆっくりと温まるという感じです。またシンボルのライオンが一際目立つ大きな露天の岩風呂が庭園に囲まれてあり、夜空を見ながらのんびりつかりました。
翌日は鹿沢温泉の紅葉館に行きました。
床に木の板が敷かれた歴史を感じる源泉かけ流し大浴場(炭酸水素塩泉)があり、湯温が高いので、まず何杯も体にかけ湯をして熱いお湯に体が馴染んでからお湯に入りました。約2時間ほど入っていて、そのせいでしっかり体を温められました。
この宿の日帰り温泉の料金にお蕎麦付きで一人1200円というコースがありましたので、昼食におそばを食べました。それからまた温泉に入りましたが、今度はさすがに2時間は入れなかったので1時間くらい入り満足して帰りました。露天風呂はありませんでした。
3日目は半出来温泉の登喜和荘に行きました。この温泉の源泉は「恵の湯」と呼ばれ、露天風呂・内風呂ともに掛け流しの温泉です。
名前は半出来という名称ですがその効能は多種にわたるそうで、塩分を多く含んだ泉質の効果があり湯温はあまり熱くなりませんでしたが、ゆっくり入ると湯上り後も体がポカポカでした。
目の前に吾妻川が流れていて、混浴の露天風呂に入ると川を眺めながら入れるのですが、私たちが行った時はすでに男性が入っていたので、女性専門の露天風呂で我慢しました。
でもお庭にとてもすてきなたくさんのお花が咲き乱れていて、なんとも素晴らしい雰囲気の半出来温泉を心行くまで楽しみにました。
帰りにその吾妻川にかかっているつり橋を渡ってみましたが、揺れたりしたので少し怖かったですが、景色は素晴らしかったです。
10連休の中の2泊3日を温泉で過ごせて幸せでした。

ポルトガルから北スペインへ-10(最終回)

このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

ポルトガルから北スペインへ-10(最終回)

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 安土桃山時代から江戸時代に至るまで,ポルトガルは南蛮渡来の貿易品だけでなく実に様々なものを日本に伝えました。例えば,16世紀末,豊臣秀吉はきらびやかな刺繍を施した深紅のビロードのマントやカッパなどの南蛮ファッションを好んで着用し,家臣にも勧めたと言われています。京都では,ポルトガル人が着ていた袴(カルサン)や下着(じゅばん)などが,庶民の間で大流行し,南蛮モードを安価で仕立てる店まで出現したそうです。また,当時の日本人が初めて見聞きする品物にはポルトガル語がそのまま使われ,徐々に日本人の暮らしになじんでいきました。今でも日常的に使われるボタン(botao),パン(pao),タバコ(tabaco),てんぷら(tempero),こんぺいとう(confeito)などは,ポルトガル語が転じて日本語になったものです。
しかし何故、豊臣秀吉や徳川家康がキリスト教布教やスペイン・ポルトガルの危険性を知り得たかと言うと、当時日本に勢力を伸ば始めた『イギリス』が警告してきたからです。 イギリスとしては、この期にヨーロッパで勢力が衰えつつ有るスペインとポルトガルを排除して、隙あらば日本を侵略しようとしていたのではないでしょうか。
ちなみに戦国時代に日本に来ていたスペインやポルトガルは、日本人を奴隷売買の商品にして豊臣秀吉の逆鱗を買ったことは周知の事実だし、不正に権益を得た金鉱山から、金を大量に持ち出していたこともポルトガルが日本との貿易から排除された理由だと思います。
1860年にまた日本との通商修好条約が調印され、またお付き合いが始まったわけです。実際にポルトガルに行ってみて、風土がとても日本と似ていると思いました。
海に囲まれて平地が少なく、坂、山が多かったです。またその景色はとても美しかったです。私が行った間は、気候は乾燥して暖かかったです。体力と時間があったらまた行きたい国でした。
記念に16世紀初頭より3百年かけて建設したポルトガル建築の最高峰といわれる世界遺産でもある白亜の大寺院・ジェロニモス修道院の写真を載せて、ワインと景色に恵まれたポルトガルから北スペインへの旅情記を閉じさせて頂きますていただきます。


最後まで旅行記にお付き合い頂きまして有難うございました。

宗像信子。

ポルトガルから北スペインへ-9

このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

ポルトガルから北スペインへ-9

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 私達の旅行記も次回が最終となります。
私がポルトガルを旅行先に選んだ理由は、ポルトガル人が最初に日本に来て、日本に海外の風を吹かしたことと、私自身がヨーロッパ大陸の西の果てに行ってみたかったからです。
私は九州の西の果ての長崎の島で生まれたので、何かそこに共通するものがあるかと思ったからです。
もう皆さまご存知のことではありますが、日本とポルトガルの歴史に少し触れてみます。
ポルトガル人が日本に初めて到来したのは1543年,ポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着したからです。その時、鉄砲(火縄銃)の技術が日本に伝わりました。その6年後ポルトガル国王の命でイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエル(スペイン出身)が鹿児島に上陸し,日本にキリスト教を伝えました。1550年からポルトガルは,日本・中国・ポルトガルの間で「南蛮貿易」をスタートさせ,戦国武将の織田信長や豊臣秀吉らもそれを後押して経済基盤を強化していきました。しかし,一方で,西国大名が南蛮貿易で財力を増したり,カトリックに改宗したキリシタン大名が出現したりするようになり,これに危機感を抱いた江戸幕府は,海外貿易を制限し,キリスト教の信仰を禁じるといった鎖国政策に転じました。そして,1639年,江戸幕府はポルトガル船の入港を禁止することになりました。
(注)写真は、リスボンのベレンの塔・Santa Maria de  Belém です。

ポルトガルから北スペインへ-8

このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

ポルトガルから北スペインへ-8

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

今回の旅行の最後の目的地はシントラ宮殿です。
リスボンから電車で約40分、ロカ岬と同じ方向にあります。
高さ33メートルの2本の煙突が目印の王室の夏の離宮です。
何かの雑誌でシントラ宮殿の美しい写真を見たことがあり、ポルトガルに行ったらぜひ行ってみたいと思っていました。
実はこの旅行のオプショナルツアーにこのシントラ宮殿の見学がありました。
しかしその費用が結構高かったので、娘が自力で行こうと言い出し、電車に乗って行きました。
その電車の旅もなんだかローカルで行き帰りとも座ってのんびりしました。
駅を下りてからは、その宮殿の塔を目指しながら結構坂道を登って役20分ほど歩きたどり着きました。

おとぎ話から抜け出したような「ペナ宮殿」があり、その周辺は様々な緑豊かな庭園で囲まれていて、さすがに世界遺産になったと思いました。
イギリスの詩人バイロンが「エデンの園」と讃え、19世紀のポルトガル建築の傑作と言われています。
また宮殿の中も素晴らしく時間をかけて見学し、その写真を全部アップすることができないのは残念ですが、まるでアラビアンナイトの気分になれました。
お城までの山登りと宮殿の中の見学で喉もかわき、疲れたのでその周辺にあるカフェに入り、娘と二人でポルトガル最後の観光を終え地ビールで乾杯しました。
乾いた喉に冷たい美味しいポルトガルビールがとっても心地よかったです。