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2、「ポール・ブルーム」

第二章

3、「片瀬海岸」

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 3、「片瀬海岸」1947年8月17日(日)

 雪枝とヘンリーは朝から湘南の片瀬海岸に来ていた。ここは戦中、一年半ほど過ごした思い出の場所だった。日米間の雲行きが怪しくなり始めたため、母と二人でアメリカから帰国し、しばらくの間、片瀬にあった親戚の別荘に身を寄せていたのだ。その後、父も帰国しようとした矢先にスパイ容疑でFBIに拘束され、収容所から解放され帰国できたのはそれから一年後だった。そして、麻布に家を借りやっと親子三人の生活を始めた矢先、父が満州勤務を命じられ母と共にハルビンへ。一人になった雪枝は再び片瀬に戻ったのだ。
傍からは「可哀そうな娘」に見えたかも知れないが、雪枝の気持ちは逆だった。片瀬で一人の自由を満喫していたからだ。特に従兄弟たちとはよく遊んだ。従兄弟たちは悪友の様なものだった。色々な「悪いこと」を教えてもらった。その後、彼らが徴兵され空襲も激しさを増したため、雪枝は遠縁を頼って長野県の小諸に疎開したが、そこでの生活は…もう思い出したくないほど惨めなものだった。

「Yuki!スイカを買って来たよ。ほら!」
ヘンリーの声で雪枝は我に返った。
「どうしたんだい?ずっと海を見つめていたね」
「え?うん。ちょっと昔のことを思い出していたの…」
雪枝はスイカにかぶりついた。
「ああ!おいしい!冷たくて…」
二人はスイカの種を砂浜に飛ばし合って遊んだ。
ヘンリーは立ち上がってスイカの種を「プププププッ」と飛ばしながら飛行機のように手を広げて走り回った。
「それ!機銃掃射だ!」
「きゃ〜!」
雪枝が逃げるのをヘンリーは追いかけ回した。
浜辺には米軍人の家族連れや、雪枝たちの様なアメリカ人と日本人のカップルが数組いて、雪枝たちを見て笑っていた。のんびりした平和な日曜日。
「ヘンリー、私たちが片瀬にいる頃ね、この辺の海岸にアメリカ軍が上陸するかも知れないってみんな戦々恐々だったのよ」
「何だって?この海岸に?それはおかしい。いきなり歩兵が上陸することはありえないな。まず空爆や艦砲射撃で相手の戦闘能力を奪っておいて、歩兵が上陸するのはそれからだ」
「そうよね。いきなり上陸して来るなんて、私も変だと思ったわ」
「兵士の犠牲者が増えたら、アメリカの世論は黙っていないよ。特にドイツが降伏した後は、戦争の早期終結を望む声がかなり高まっていたからね」
ナチス・ドイツが降伏したのは1945年5月8日。しかし、太平洋ではその後三カ月余り死闘が続いたのだ。
「本当にバカな戦争をしたものね。私たちは海外にいたから、なぜ日本が戦争に向かって行ったのかよく理解できなかったわ。だから日本がアメリカを攻撃した時、私たちは狂気の沙汰だと感じた」
雪枝は「真珠湾攻撃」の日のことはよく憶えている。戦争が始まったというのに、皆が異様な高揚感を抱いているのが奇妙に感じられたからだ。雪枝のようにアメリカで生活していた者から見ると、まるで小人が巨人に喧嘩を売っているような話だった。日米の国力の差は歴然としていたからだ。
「ところで、Yukiの家はKazokuだろう?Kazokuというのは天皇家に忠誠を誓った人たちと聞いているけれど、君の父上も戦争に賛成だったのかい?」
ヘンリーは「Kazoku(華族)」と日本語で言った。恐らく英語の「Noble(貴族)」と「華族」は違うと認識しているからだろう。
「そうね、これは父から聞いた話だけど、陛下は開戦には反対だったらしいの。『可能な限り外交努力をするように』と度々東条首相にも要請していたんですって」
「すると、軍部が天皇の意志に反して戦争に踏み切ったという事なんだね?」
ヘンリーは自分の抱いていた疑問に関係する話なので自然と言葉に熱がこもった。
「私はそこまで詳しくはわからないわ。でも開戦を決めた会議(御前会議)では、陛下も『開戦はやむを得ない』と認めたのだから、軍部が陛下の意志に反したとは言えないんじゃないかしら?」
雪枝はなぜこんな話になってしまったのか意外だった。のんびりと休日を楽しみに片瀬まで来たのに、選りに選って戦争の話とは…。やはりこの片瀬には戦時中の記憶を呼び覚ます何かがあるのだろうか。
ヘンリーは雪枝が不機嫌になって来たので、そろそろ話題を変えようと思った。雪枝は面白くないことがあると眉間に皺を寄せるのですぐにわかるのだ。
「Yuki、そろそろ何か食べに行こうか?ここから車で5分のところに米軍専用のクラブハウスがあるから、サンドウィッチでもどうだろう」
「そうね。スイカじゃ物足りないわね。行きましょう」

その夜、家に帰ってからも、雪枝の心にはひとつ引っかかっていることがあった。それは、帰りの車の中でヘンリーに頼まれたことだった。
ヘンリーは「戦争に対する天皇の真意を知っている者がいれば紹介して欲しい」と言ったのだ。雪枝自身は戦争中のことなど、もう全て忘れたかったのだが、ヘンリーの頼みに応えたい気持ちの方が強かった。こんな時は父に頼るに限る。10時半ならまだ起きているに違いない。雪枝は電話に手を伸ばした。

その週、土曜日の午後、雪枝が父に連れられて行ったのは六本木鳥居坂を上ったところにある古びた洋館だった。この辺りは空襲を免れたのだろう。鬱蒼とした樹木や雑草が生い茂り、ちょっと見ると廃屋の様な佇まいだ。自然のままにしておく方が良いと考えているのか、あるいは庭師を頼む余裕もないほど困窮しているのかも知れない。
「佐佐本の叔父様にお会いするの、久しぶりだわ。半年くらい経つかしら」
この邸宅の主、佐佐本信忠は元侯爵で昨年まで公職追放の憂き目に遭い隠遁生活を送っていたのだ。父とは京都帝国大学の同級生で、大親友だったため、雪枝は佐佐本家の人々とは幼い頃からお馴染みだった。信忠は気位が高く少々とっつき難いところがあったが、妻の美子は気さくな性格で「ユキちゃん」と呼び可愛がってくれた。
「いいかい。雪枝、今、お前がGHQの将校と付き合っていることは絶対に言ってはだめだよ。信さんは口には出さないが、かなり米軍を恨んでいるはずだからね」
父は心配そうに雪枝の方を振り返って言った。
「大丈夫よ。お父様。私、口は固いからどうぞご心配なく」
雪枝は口にチャックを締める動作をした。
「よろしく頼むよ」
雑草の海の中に浮かんでいるような飛び石を渡り、蔦の絡まる二本の円柱の奥の玄関にたどり着くと、父は古びた木の扉をノックした。すると「ギーッ」と音がして扉が開き、背の低い和服の女性が深々とお辞儀をして出迎えた。
「ああ、ツネさん、ごきげんよう」
「上松様、お嬢様、いらっしゃいませ。どうぞこちらに」
ツネと呼ばれた色黒の家政婦は恭しく二人を奥に案内した。
応接間にはこの家の主、佐佐本信忠が紋付き袴でオリーブ色のソファに腰かけていた。薄い緑色の扇風機がカラカラと音を立てて回っている。
「ようこそ。まあさん、お元気そうで何よりですね。雪枝さんも相変わらずお美しい。さあ、こちらにおかけ下さい」
信忠は少々痩せてやつれた様子だったが声には力があった。白髪交じりのオールバックの髪と手入れの行き届いた口髭が品の良さを引き立たせている。
「美子ももう戻ってくる頃だと思いますよ。ちょっと六本木まで出かけたのでね」
「信さん、早速ですが、先日電話でもお話したように、この雪枝が色々と知りたいことがあるようなので、差支えのない範囲で答えてやっていただけませんか?」
父は信忠の公職追放が解けてまだ間もないのを気遣っているのか遠慮がちに頼んだ。
「あはは、もうここまで来たら何も隠すことはない。洗いざらいぶちまけてしまいましょう。雪枝さんのような若い人たちにぜひ真実を知ってもらいたいと思いますからね。何でも遠慮なくお尋ねください」
信忠は開き直ったのか、妙に明るい表情だった。

雪枝の父にはわかっていた。恐らくヘンリーが職務上色々と知りたがっているのだと。雪枝が急にこんなことに興味を持つのは不自然だったからだ。しかし、現在行われている東京裁判においては「天皇の戦争責任」という大きな議題が挙がっており、佐佐本の話が雪枝からヘンリーを通してGHQに伝わり、少しでも陛下の免罪につながるなら何でもやってみようという気持ちだった。
「それでは、叔父様、まず最初に伺いたいのは『陛下はアメリカとの戦争に賛成だったのか反対だったのか』と言うことですわ」
雪枝はメモ帳を手に質問を始めた。何だかジャーナリストになったような気分がして思いがけなく気分が高揚してきた。
「そうだね。結論から申し上げれば陛下は『渋々開戦を認めた』と言うことになるだろうね。これは側近の者から聞いたのだから間違いない」
そして佐佐本はこう付け加えた。
「しかし、日米開戦の前に日中戦争がずっと続いていたわけだ。だから日中戦争、そして米英との戦争はひと続きと考えるべきだ。陛下は日中戦争の時から陸軍の暴走にはかなり懸念を抱いていらっしゃったんだ。そして、事後報告ばかりする陸軍に対して日頃から不審の念を抱いていらっしゃったんだ」
その後も雪枝と佐佐本の質疑応答は一時間近く続いた。そして最後に佐佐本はこんな話をした。
「これは私が陛下の側近から聞いた話なのだが、ガダルカナル島が陥落した直後だから、あれは昭和18年の2月のことだ。陛下と数名の側近の者が集まって極秘の会議が開かれたことがあった。いや、私はそこには加わってはいないが、その場にいた者から直接聞いたので間違いない。その時『もうこの戦争は続けられないだろう』という話になり、和平への道を探ることで意見が一致したんだよ。もちろん、軍部には内緒の話だ。軍部はまだ連日『戦いは優勢に進んでいる』と勇ましくラッパを吹き鳴らしていたわけだが、そんな『大本営発表』は一般の国民はともかく、我々は全く信用していなかったからね。本当の戦況はかなり深刻な状況になっていたのは陛下もご存じだったはずだ」
すると雪枝は鉛筆をメモ用紙の上でトントンと叩き人差し指を立ててこう言った。
「それでは伺いますけど…佐佐木の叔父様、私がこんなことを言うのは生意気に聞こえるかも知れませんけど、叔父様や他の貴族院議員の中で軍部にまともに意見を言える方はいらっしゃらなかったんですの?」
「これ、雪枝、何を言う。失礼だよ」
父が慌てて口を挟んだ。
「いいや、いいんだ、まあさん。雪枝さんのような率直な人がこれからの日本には必要なんですよ。みんな下を向いてモゴモゴ言っているようではダメだ。雪枝さん、お答えしましょう。正直に申し上げれば我々は怖かったんだ。雪枝さんは226事件をご存じかな?」
雪枝が頷くと佐佐本はさらに続けた。
「あの事件以来、我々はすっかり臆病になってしまったんだ。軍人達は何をするかわからない。異を唱える者を許さない、そんな風潮が生まれてしまったんだ。本来は我々が彼らを抑える立場だったにも関わらず、自分の命や家族や地位を守ることに恋々としてしまったんだ。これは大いに反省するべきことだと思う」
佐佐本はそこまで語ると、呆然と天井を見上げた。重たい本心を吐き出したことで虚脱状態になってしまったのだろう。
すると雪枝の父が付け加えるように言った。
「信さん、僕は戦争を止められなかったのは政治家の力不足だけとは言い切れないと思うな。アメリカから帰って来て一番驚いたのは日本の新聞だったからね。何しろ国民の戦意を煽るわ、アメリカに対する敵対心や憎しみを掻き立てるわで、これじゃあ国民は正しい判断ができるはずもなかっただろうからね。まあ、当時は反対意見など言えば殺されかねない雰囲気だったから、僕も何も言えなかったがねぇ…ははは」
父も胸の内を明かして楽になったのだろう。目元が笑っていた。
その気配を読んだのだろうか。佐佐本の妻の美子が部屋に入って来た。
「まあさん、ユキちゃん、ようこそ。今、お菓子をお持ちしますわ。六本木の青野の鶯もち、お好きでしょう?」
「わあ、叔母様、うれしいわ。青野の鶯もち、久しぶりだわ」
雪枝は和菓子はあまり好きではなかったが青野の鶯もちは別格だった。
求肥で包まれた餡子の甘みと冷たい麦茶は、慣れないインタビューで疲れた頭に心地良かった。
「とっても美味しいわ。叔母様、ご馳走様」
皆で菓子を食べていると、佐佐本は唐突にこんなことを言い出した。
「まあさん、僕は戦争が終わって本当にうれしい。確かに爵位も財産も失ったが、命がある。これは何ものにも代えがたいことだ。まあさん、よく生きて満州から帰って来たね!」
すると雪枝の父も目を潤ませて応えた。
「信さん、僕もうれしい。妻も雪枝も無事だった。そして信さん、美子さん、こうしてまた一緒にお茶が飲める。こんな幸せはない!」
戦時中。甘い物は贅沢品だった。その贅沢品だった和菓子を、何の不安もなく食べられる幸せを一同は噛み締めるのだった。


4、「カムカムおじさん」


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