Welcome Guest 
メインメニュー
サイト内検索
ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録
[ リロード ]   [ トップ | 一覧 | 単語検索 | 最新 | ヘルプ ]

Counter: 2248, today: 6, yesterday: 5

3、「片瀬海岸」

第三章

4、「カムカムおじさん」

36)23
4、「カムカムおじさん」1947年9月19日(金)

雪枝は早めに仕事を切り上げ帰宅し、カンパリソーダを飲みながらラジオの前に座っていた。6時から始まる「カムカム・英会話」の時間にヘンリーがゲストで出るのだ。
「カムカム・英会話」はNHKラジオの人気番組で、毎週月曜から金曜の午後6時から15分間放送されていた。その絶大な人気を支えていたのは「英語を話せるようになりたい」という当時の日本国民の切実な願いもあったのだが、人気の中心は「カムカムおじさん」こと平川唯一氏の気さくなキャラクターと軽妙なトークだったのは間違いない。
雪枝も時々、仕事から早く帰った日は耳を傾けていた。平川氏は10代でアメリカに渡りハウスボーイをしながら英語を学んだという経歴の持ち主だったが、彼の英語にはいかにもアメリカ育ちらしい明るさとユーモアが感じられて雪枝も共感するところが多かった。
そして、もうひとつ人気を盛り上げたのはテーマソングだ。誰でも知っている「証誠寺の狸ばやし」のメロディに乗って「カムカム エブリバディ、ハウドゥドゥユウドゥ アンド ハウアーユウ?」と唄われるテーマソングは当時の日本人の耳には新鮮に響いたのだ。
さらに、この番組には週に一回ゲストが招かれ、平川氏のインタビューが行われるのだが、これがまた人気を盛り上げた。ゲストの多くは米軍人、軍属、時には民間人だったが、それぞれのゲストが語る「アメリカ人の生の声」はフィクションではないだけに当時の日本人には非常な興味を持って迎えられた。

振り返ればハードな一週間だった。前週から今週初めにかけて日本列島に大きな爪痕を残したカスリーン台風のせいで、雪枝の仕事は山積みだった。飛行機の欠航が相次ぎ、旅客や荷物の輸送が滞り、それらのフォローに追われ毎日残業が続いたのだ。もちろんヘンリーに会う時間などもなかった。もっともGHQの方も台風の後始末で忙しく、ヘンリーもデートの時間などあろうはずもなかったのだが…。
そのような時、唐突にヘンリーから「ゲストで『カムカム・英会話』に出る」という話を聞いたので、雪枝は大喜びだった。そもそもこの出演依頼はヘンリーの上司であるケーディス大佐に来たらしいのだが、大佐は多忙を理由に断り、代わりに部下のヘンリーを推薦したらしい。雪枝はケーディス大佐の出演も悪くないと思ったが、大佐の話はやや理屈っぽい点と話し方が少しばかり威圧的なので、聴いている人たち全てに好印象を与えるとは思えなかった。きっとヘンリーのソフトな話し方と声はラジオからも魅力的に響くに違いない。

いよいよ6時になった。例のテーマソングが聞こえてきた。そして平川アナウンサーが流暢な英語で本日のゲストを紹介した。「GHQ民生局のヘンリー・デュボア少佐です」。
すると紹介されたヘンリーは日本語で挨拶した。
「ニホンノミナサン、コンバンワ。ヘンリートモウシマス。ドーゾヨロシーコ」
最後の「どーぞよろしーこ」以外は問題ない挨拶だった。
そして平川アナウンサーのインタビューが始まった。
「デュボア少佐、あなたはアメリカのどちらの出身ですか?」
「ああ、ヘンリーと呼んでください。私が生まれたのはメイン州ポートランドです。アメリカ東部、ボストンの北にあり、ロブスターで有名なところです」
「メイン州は私も、一度だけ行ったことがありますよ。あそこのロブスターは最高ですね」
「はい、実は私の父がレストランを経営しておりまして、ロブスターは店でもお勧めのメニューでした」
雪枝は、以前、ヘンリーの父親のレストランの話を聞いたことはあったが、残念ながらアメリカにいる間にロブスターを食べるチャンスはなかった。
ロブスターの話で盛り上がったところで平川氏はヘンリーにこんな質問をした。
「それでは、ヘンリー、あなたがお父上の店を継がずに軍隊に入ったのはなぜですか?」
「実は子供の頃は店を継ごうと思っていたんですよ。でも大学に進んで勉強している内にもっと世界を知りたいと思い、ヨーロッパに短期留学したり、旅行しているうちに
『レストランを継いだら故郷の街で一生を過ごすことになる』と思い始めたんです。で、父に打ち明けて…」
「では、今はお店は?」
「はい、妹とその夫が継ぐ予定です。父は今60歳ですがまだ現役ですからね」
「そうすると、ヘンリー、軍隊に入る前、あなたは何になろうと思っていたんですか?」
「はい、貿易の仕事に就きたいと思っていたんですが、丁度その頃、ヨーロッパで戦争が始まり、色々考えた末、軍隊に志願したんです。私のフランス語の能力が何か役に立つと思ったので」
「フランス語と言えば、あなたのデュボアと言う名字はフランス系の名前ですよね?」
「はい、メイン州はカナダのフランス語圏であるケベックとつながっているんですよ。で、ここは元々アメリカ合衆国独立以前からフランス系の住民が多い地域で、今でも家庭ではフランス語を話している人たちがたくさんいます。私の家もそうでした。ですからフランス語は英語と同じように母国語なんです」
「それは羨ましいですね。子供の頃から二つの言語を話していたとは」
平川氏は心の底から羨ましそうな声で言った。
「いや、ミスター平川、これは宿命ですよ。フランス語ができなかったら私は軍隊には入ろうとは思わなかったでしょうし、軍隊に入らなかったらこうして日本に来ることもなかったわけですから」
これを聞いた時、雪枝は思わず涙ぐんでしまった。
「そうよ、ヘンリー、そして私と会うこともなかった…」
ラジオの放送時間はあと5分だった。
「それではヘンリー、最後の質問ですが、あなたがこの日本に来て一番印象に残ったのはどんなことですか?」
「そうですね、たくさんあって話し切れませんが、まず、日本の皆さんが想像していたよりもずっと友好的なのに感動しました。戦争中に作り上げられたイメージとは全く違いましたね」
「ヘンリー、それは我が国も同じですよ。何しろ戦時中アメリカ・イギリスは『鬼畜』と呼ばれていましたからね。そしてアメリカ兵たちが日本に上陸したら、男は奴隷、女は乱暴されると思われていたんですから」
「ミスター平川、それはどこの国でもあるでしょう。いわゆるプロパガンダと言うものですね。そして、もうひとつ、これは私の仕事に関することですが、日本の新しい憲法を作るお手伝いができたことは本当に一生の思い出になるでしょうね」
「おお、日本国憲法ですね。ではヘンリー、この憲法のどんなところが印象に残りましたか?」
「それは何と言っても『戦争をしない』と宣言したことですよ。こんな憲法は世界で初めてでしょう」
「確かに私も憲法のその部分は印象に残っています。しかし、ヘンリー、あなたは日本がこれからも戦争をしない国でいられると思いますか?」
「うーん、それはわかりません。それは日本の皆さんが決めることですから。しかし、ひとつ言えるのは、日本国民の皆さんがこの憲法を守ろうとする政治家を選び続ければ、それは可能だと思いますね。日本の皆さんは貴重な選挙権を手に入れたのですから」
「ありがとうございます。ヘンリー、今日は忙しいところ番組に参加していただき感謝しています。最後にひとこと、ラジオの前の皆さんにお願いします」
「Thank you!ニホンノミナサン、アイシテマス!」
「皆さん、ヘンリー・デュボア少佐でした!」

雪枝は放送が終わった後もしばらく呆然としていた。あのヘンリーがラジオの向こうから話していた…それだけでも信じられない気持ちだった。
すると電話が鳴った。父からだった。
「雪枝!ラジオ聞いていたよ。良かったじゃないか。わかりやすくて。きっと聞いていた人たちも楽しめたと思うよ。でね、今度、ヘンリー君を家に招待したいと思うんだ。
どうだろう?」
雪枝は驚いていた。どちらかと言うとヘンリーに対しては冷ややかな態度を取っていた両親だったが、何かが変わったようだ。おそらく今まで頑なだった母の気持ちがほぐれたの
かも知れない。
「あら、きっとヘンリーも喜ぶわ。土曜日か日曜日、どちらかになると思うけど、話してみるわ」
「ああ、ヘンリー君は日本食は大丈夫かい?天ぷらなんかどうだろう?」
「いいわね。天ぷらは彼も好きよ。お父様、ありがとう。また連絡するわ」
電話を切ってから、雪枝は考えていた。人間の気持ちはちょっとしたことで変わるものだと。あの頑固な母が好感を持つくらいだから、ラジオを聞いた人たちもきっとヘンリーに良い印象を持ったに違いない。雪枝は今さらのようにマスコミの持つ力の大きさを感じていた。

雪枝がヘンリーと会ったのは翌週の水曜日だった。仕事も早く終わったので6時に銀座のバー「氷川」で待ち合わせたのだ。
6時5分過ぎに雪枝が店に着くと、バーでひとりビールを飲んでいるヘンリーの姿が目に入った。
「Yuki、何だか久しぶりの様な気がする」
「そうね、お互いに忙しかったわね。ああ、河村さん、私にマティーニをお願い。オリーブ3つ入れてね」
「かしこまりました」
河村と呼ばれた初老のバーテンダーは丁寧に頭を下げた。
BGMのチェンバロの音色とシャカシャカというシェイカーを振る音が相まって不思議な空間を作り出した。
「Yuki、実はサプライズがあるんだ」
「何?私の方もあるんだけど…あなたからどうぞ」
「じゃあ、僕の方からは…これ!」
ヘンリーはバッグの中から封書や葉書の束の入ったビニール袋を取り出した。
「え?何、これ!」
「ファンレターだよ。ほとんどは日本語なので読めないが、僕宛に来たものだ。300通くらいあるよ」
「え?ファンレターって?もしかしてこの前のラジオの時の?」
「そう!僕もびっくりしているんだ。たった15分話しただけでこんなに反響があるなんて…」
「でも、ヘンリー、あなたの声もお話も素敵だったわよ。私もファンレター出そうかしら」
「あはは!ちょっと見てよ、これ!」
その手紙は…きっと一生懸命書いたのだろう。英文がびっしりと書いてあった。そこには「自分も英語を勉強しにアメリカに行きたい」と言う14歳の少女からの切実な内容が綴られてあった。また、ある老人からの葉書には「アメリカは大事な友達です。ありがとう、ヘンリー」と、これも英文で書いてあった。
「すごいわね。やっぱりラジオは偉大だわ」
「うん、僕も日本で大スターになるとは夢にも思わなかったよ。ところでYuki、君の方のサプライズは何だい?」
ヘンリーは嬉しくてたまらないらしく、ビールをグッと飲み干すともう一杯オーダーした。
「あなたのサプライズほどすごくはないんだけど、私にとってはとても嬉しいことなの」
「ほお!何だろうね」
「まず、この絵葉書。これはドイツから来たのよ」
その絵葉書には森の中に建つ古城が写っていた。
「ああ、これはハイデルベルグ城だね」
「そうなの?有名なお城なのね。でね、ヘンリー、『おねま』って憶えてる?」
「ああ、もちろん。確か君の親戚で、新橋でバーをやってた…」
「そう!で、彼女は今はドイツ人の恋人と一緒にドイツで暮らしているのよ。フランクフルトですって」
「ああ、知っているよ。その恋人ってハンスと言う男だろう?」
「あら?話したかしら?」
雪枝はヘンリーがハンスを知っているのは意外だった。話した覚えはないのだが…。
「いや、彼は我々の調査リストに入っていたから憶えているんだ。彼はナチではないね」
「あら、そういう調査をしていたの?そうよ、彼はヒトラーやナチを嫌っていたわ」
「うん、日本でもナチの活動をしていたドイツ人は戦犯として逮捕されたんだ」
「そうだったのね。でね、おねまはハンスとレストランをオープンする準備をしているんですって。良かったわ、無事で。今は幸せだって書いてあったわ」
「良かったね。しかし、ドイツも今や二つに分かれてしまって、なかなか復興も進んでいないようだ。生きていくのは楽ではないだろうね」
「そうね。知ってるわ。『鉄のカーテン』でしょ?」
「そう。我々はスターリンの野心を甘く見ていたかも知れないな」
(どうしても話が政治問題になってしまうのね…仕方がないけど)
雪枝は、黙っておねまのことを思い出しながら、ジンの香りのするオリーブをかじっていた。
「でね、ヘンリー、もうひとつのサプライズは、この手紙なの」
「え?誰からだい?」
「久子姐さん」
「というと…つまり」
「元の竹田組組長の…」
「ああ!ドラッグで身体を壊していたんだったよね?」
「そう。で、今は生まれ故郷の静岡で静養中なのよ。でも薬を止めてから随分元気になって来て…彼女は元々学校の先生になりたかったのよ」
「ええ?それは初耳だ」
「だから、途中で諦めた勉強をまた始めるんですって。私、安心したわ。あのままじゃ姐さん死んでしまうと思ったから」
「良かったね。みんな新しい人生を歩み始めているんだね」
ヘンリーはビールの泡を見つめながら言った。
(新しい人生…でも…私たちの関係は?)
雪枝はその言葉を口には出さず、ただ黙ってヘンリーの手に自分の手を重ねた。


5、「静岡」


XOOPS Cube PROJECT