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4、「カムカムおじさん」

第二章

5、「静岡」

5、「静岡」1947年9月27日(土)

午後3時、雪枝は静岡駅のプラットフォームに立っていた。先日、元竹田組の組長:竹田久子から電話があり、ぜひ一度遊びに来て欲しいと言われたのだ。
この週末はヘンリーも出張で会えないので、時間を持て余しそうだったところにちょうど良く誘いがあったのだ。
東京駅を出たのが11時過ぎだったから4時間近くかかったことになる。途中、何度かウトウトと寝てしまったが富士山はしっかりと見ることができた。
駅の改札を出て右に進むと広場になっていた。東京の新橋周辺ほどではないが、闇市のような屋台がずらりと並んでおり買い物客でごった返している。
「迎えの車って何色かしら?」
久子は電話で迎えが行くとしか言ってなかったので、雪枝はじっと待つしかなかった。爽やかな風が仄かな潮の香りを運んで来る。たまには一人旅も良いものだ。
「雪枝さん!」
急に呼ばれて我に返ると目の前にモスグリーンの軍用車の様な小型トラックが停まっていた。
「あっ!あなたは!タカさんでしょ?」
久子の竹田組にいたタカが運転席からひょっこりと顔を出していた。相変わらず日焼けした肌に白い歯が目立つ。
「お久しぶりです。雪枝さん」
「あなたもこっちにいるの?」
雪枝は久子が組を解散したのでみんなバラバラになったと思っていたのだ。
「へえ…色々ありやして、この夏からこっちに来てます。まあ、とにかく乗って下さい」
雪枝が助手席に乗り込むと、トラックは走り出した。
「こっから10分ぐらいです」
トラックは一本道を砂埃を上げながら走った。
「この先に登呂遺跡があるんで東京から学者さんとか新聞記者とか色んな人が来るんですよ」
登呂遺跡のことは雪枝も新聞で読んで知っていた。戦時中に偶然発見され、約2000年前の人々の住居や田畑、丸木舟などが発掘されたのだ。
雪枝は富士山の見えるこの場所で生活していた古代の人たちのことを想像した。
トラックはいつの間にか大通りから細いわき道に入っていた。
「このちょっと先です」
竹藪を抜けると鶏小屋の向こうに大きな茅葺の家が見えた。

久子が玄関先に出て手を振っていた。以前より血色も良く元気そうだ。雪枝は車から降りると駆け寄って久子を抱きしめた。
「あらあらユキちゃん、苦しいわ。そんなにぎゅうぎゅう締めたら」
「だって…久子姐さん、死んじゃうと思ったんだもの」
「あはは、私はそう簡単には死なないよ。さあ、中でゆっくりしてちょうだい」
畳は古びてはいたがりっぱな造りの座敷だった。おそらくこの辺りの旧家なのだろう。
座敷で久子と向き合って座っていると、障子を開けて男が入って来た。
「お茶をどうぞ」
「あら!あなたは…ヤスさん!」
その男は久子の組の若頭のヤスだった。
「へえ、ご無沙汰してます。雪枝さんもお元気そうで」
「うれしいわ。ヤスさんにもお会いできて。タカさんもいるし、みんなそろっててすごいわ」
「ユキちゃん、今日はゆっくりしてってね。泊まって行くでしょう?離れにお布団用意しておくから」
最初は日帰りのつもりだった雪枝も、久子が勧めるので泊まる方に気持ちが傾き始めていた。明日は日曜日だし特にやることもない。
「姐さん、それではお言葉に甘えて泊まらせていただきます」
「良かった!ユキちゃん、今夜は飲みましょう。お酒もたっぷり用意してあるし、タカが魚のいいのを持って来てるからね」
それから一時間ほど雪枝は久子と話し込んだ。久子は一時は教員の道に進もうと思ったらしいが、もう諦めたと言っていた。今は、ヤスとタカも一緒に居酒屋をやろうと思っているらしい。
「やっぱりね、ユキちゃん、私みたいに一度裏に入っちゃった者は堅気になるのは無理だってわかったのよ。今さら子供たちを教えるなんて勘違いもいいとこだわ」
「姐さん、私、姐さんはいい先生になれると思うわ。世間の裏も表も知っている先生なんて、滅多にいないじゃない。諦めることはないと思うわ」
雪枝は久子が教員への道を諦めたのを残念に感じたので、何とか引きとめようと思った。
「あのね、ユキちゃん、私がやりたくても世間は認めてくれないのよ。教員の免許を取る以前に履歴書だけで引っかかっちゃうし、たとえ免許が取れてもどこが雇ってくれる?」
確かに久子の言うとおりかも知れない。世の中は型破りな人間を嫌うものだ。雪枝自身も帰国子女と言うだけで、日本の社会から弾き出されて来たので良くわかっていた。
「さあ、それじゃあそろそろ始めましょうか?」
久子がパンパンと手を叩くと若い女が部屋に現れた。
「ああ、ナミちゃん、こちら雪枝さん。東京のお嬢様だから失礼のないようにね。そろそろ始めるってタカにも知らせて来て」
ナミと呼ばれた女は日焼けしていたがなかなかの美形で、年の頃は多分20代半ばくらいだろうか。
「はい、わかりました。雪枝さん、どうぞごゆっくり」
ナミは笑顔で挨拶した。花が咲いたような…という表現がピッタリの笑顔だった。
(わあ、ナミさん、魅力的!)
雪枝はナミとぜひ友達になりたいと思った。
「きれいな方ですね」
すると久子はにやりと笑みを浮かべながらこう言った。
「タカがあの娘に惚れちゃってね、それで東京に帰らないでここに残るって言い出したのよ」
「ええ?タカさんが…」
雪枝は驚くと同時に一人の男の運命を変えるほどの魅力がナミにはあるのだと、改めて思った。
ナミは台所からグラスとビールの瓶を持って戻って来た。
「姐さん、雪枝さん、タカさんが今つまみと刺身を用意してますから、ちょっとお待ちくださいね」
ナミは慣れた手つきで二人のグラスにビールを注いだ。
水商売の経験があるのだろうか、雪枝はナミの愛想の良さが板についたものであることに気づいていた。しかし、いきなりそんなことを聞くのも不躾なので黙っていた。
そのような雪枝の気持ちを察したのだろう。久子はナミが台所に戻るとこんな話をした。
「ユキちゃんも勘がいいからわかるだろうけど、あの子は苦労してるんだよ。熱海で悪い男に引っかかっていたのをヤスとタカが助け出してやったのさ」
「え?じゃあその男は…」
雪枝は驚いて声をあげた。
「あはは。ちょっと痛い目に合わせてやっただけよ。チンケなヒモ野郎さ」
雪枝は一瞬、ヤス達がそのヒモ男を海に投げ込んでしまったのかと思ったのだ。
「でね、しばらくウチに置いてたらタカが惚れちまったのよ。まあ、あの通りの器量良しだし元々の生まれも悪くないのよ。軍人さんの娘だって言ってた」
色々な運命があるものだ。雪枝は驚くことばかりだった。
料理が次々と運ばれて来て、酒盛りが始まった。とても東京では手に入らない活きのいいアワビや鯛の刺身
久子と雪枝、そしてヤス。しばらくしてからタカも加わった。雪枝は家に帰る心配もないので大いに飲んだ。
しばらく取り留めのない話をしながら飲んでいると、いつもは無口なタカが酒の力を借りて話し始めた。
「あれは開戦の少し前だったな。俺はその頃、築地にいたんだ。仲買だよ。でもって、その日は東条さんが来るってんで、朝から掃除したり片づけたり大変だった。で、昼ちょっと前に、東条さんが馬に乗って現れたんだ。みんなたまげたね。そんな事をする奴はいなかったからね。馬だよ馬!で、組合長が案内して回ったんだけどね、そん時、東条さんが組合長に『なんで東京にこんなに魚が少ないんだ』って聞いたんだよ。そしたら、組合長はみんなの気持ちをぶちまけたんだ。『魚を獲りたくてもガソリンが足りなくてどうしようもない』ってね。そうしたら東条さんがいきなり組合長を怒鳴りつけたんだ。『ガソリンだって?もっと早く起きてもっと働け!』ってね。みんなそん時は何にも言わなかったけど、あれは頭にきたな。後で思えばあんな奴が指揮してたから戦争に負けたんだな」
タカはその時のことを思い出したのか苦々しい顔をしてビールをグッとあおった。
「タカ、そりゃひどいね。あたしらヤクザもんだってそんな無茶は言わないよ」
久子は頷きながら言った。
するとヤスがニヤリと笑いながら言った。
「姐さん、もう俺たち足を洗ったんで、ヤクザもんとか止めましょうや」
それを聞くと久子も言い返した。
「だったら姐さんって呼ぶのもおやめくださいませね。ヤス…じゃなかった…康之さん」
その言葉づかいが妙に可笑しかったのでみんなで大笑いになった。
「で、タカさんは戦争中も築地にずっといたの?」
雪枝はこのタカという男に興味が湧いたので尋ねた。
「いやいや、とんでもない。親父が千葉で漁師やってたんで、船が徴用された時戻って手伝ったんですよ。小笠原とかグアム、サイパンあたりまで物資を運んだんですよ。食糧とか弾とかね。んで、戦争が終わる前の年の暮、小笠原の帰りにアメリカさんの飛行機に機銃掃射受けてね、親父は弾が当たって海に落っこったんですよ。船は沈まなかったけどね、しばらく探して親父を引き揚げた時にはもう死んでたんですよ。もちろん、アメリカの飛行機は憎かったけど海軍にも腹が立ったね。何だって漁師まで狩り出すんだってね。俺たちゃ魚を獲るのが仕事でね、兵隊の手伝いに身体を張るつもりはなかったからね」
タカはその時の悔しさを思い出したのかグラスの酒をグッと飲みほした。
「あら、タカさん、ごめんなさい。イヤなことを思い出させてしまって…」
雪枝は自分の迂闊さを恥じた。
「いいのよ。ユキちゃん、もう全部済んだことなんだから。みんな何かしら抱えて生きてるのよ。私たちが死んだ人達の分もしっかり生きてあげればそれでいいのよ。ここにいるヤスだってすごい過去を背負ってるんだから。ヤス、ユキちゃんにあんたの話をしてやんなよ」
ヤスは自分に矛先が向くのを予想していたのか、落ち着いた表情で雪枝の方に向き直って話し始めた。
「雪枝さん、俺、実は脱走兵なんです。親父は公務員だったんすけど、俺はガキの頃から不良で中学出たあとは親父のコネで工場で働き始めたんですけど…いや、金属加工の工場で、もう仕事がつまんなくてねぇ…でもって、知り合いが満州で会社始めるってんで工場やめて満州に渡ったんですよ」
雪枝はここでまたしても「満州」という名前が出て来たので改めて日本人にとって「満州」の持つ特別な意味について考えさせられた。そのイメージはアメリカ人にとっての「アメリカン・ドリーム」に近い「理想郷」のようなものなのだろう。狭い日本から飛び出して実力次第でのし上がれる新天地。
「でね、満州に渡ったはいいけど、思ってたほど景気は良くない。最初はまっとうな商売やってたけど段々もっと儲かるモノに手を出し始めたんでさぁ。雪枝さんは阿片って知ってますか?」
「もちろん知ってるわ。麻薬でしょ?」
「そう、麻薬。それをシナ人たちに売ってね、ボロ儲けですわ。でね、そのヤクの元締めは関東軍の軍人さんなんですよ。なにしろ満鉄で堂々とヤクを運んでたんだからね、ヤクザより阿漕ですわ。あははは」
雪枝は軍人たちが阿片の密売をしていた話はヘンリーからも聞いたことがあったので、あまり驚かなかった。
ヤスの話は続いた。
「まあ、その後色々ヤバいことになったんで、内地に戻って海軍に入ったんです。俺は機械に強かったんで木更津飛行場の整備に回されてしばらくそこにいたんすけどね…」
ヤスはここでグッと酒を煽った。
「ある晩、飲み屋で憲兵隊の奴と喧嘩になっちまって、一升瓶の割れたので首を刺しちまって、そのまま逃げたんですよ。夜通し山ん中走って、そうしたら、その夜空襲があったんです。運が良かったていうか何というか、大騒ぎになってね、誰も追っかけて来なかったんですよ。で、そのまんま東京まで逃げて新橋のガード下で3日ほど寝泊まりしていたら…」
すると久子が口を挟んだ。
「ウチの旦那が目を付けてね、ちょうど若いもん集めてた時だったから、『こいつは使えそうだ』ってね、連れて帰ったのよ。そうこうしてるうちに終戦になってね」
「ほんと、竹田の親分にはお世話になりやした」
久子は今は亡き夫のことを思い出したのか目を潤ませていたが、急に背筋を伸ばすと大声で言った。
「もう湿っぽい話はナシにしよう。さあユキちゃんももっと飲んで。ナミももう台所はいいから連れて来な。みんなでパーッと飲もう!」
楽しい宴会は夜更けまで続いた。


「赤狩り」


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