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本牧ブルース

第三章

10、「トルネード」

42)「トルネード」1947年12月24日(水)

午後六時。有楽町にあるディックのオフィスの応接室で、雪枝はソファに座りニューズウィークの最新号をパラパラと眺めていた。
ヘンリーが帰国してしまってからもう一か月以上経った。
幸いなことに仕事が多忙を極め、あまり寂しさを感じる暇もなかったが、さすがにクリスマス・シーズンを一人で過ごすのは辛かった。
そんな時、ディックからパーティーの誘いがありこのオフィスで待ち合わせたのだ。
パーティーが始まる七時まであと一時間。そろそろディックが戻って来るはずだ。秘書の出してくれたコーヒーはもう冷たくなってしまっていた。
「まだかしら」
雪枝が壁の時計を見上げた時、急にドアが開いてディックが顔を出した。
「ホウホウホウ!ユキ、ごめん!ソリとトナカイを駐車するのに手間取ってしまって」
「あらあら大丈夫よ、サンタクロースさん。で、もう出るの?」
「そうだね。会場は本郷キャンプだから、ここから30分もかからないが、少し早めに着いてもかまわないだろう。出ようか?」
ディックのソリ…ではなく車は事務所のあるビルの10mほど先に駐めてあった。
「あら、また車、替えたの?」
「ああ、どう?この色」
以前は確かクリーム色だったが今度の車はワインレッドだ。車種は同じフォードだったが今度のは新車らしくまだピカピカと光っていた。
「自分にプレゼントしたんだよ」
「あら、ずいぶん羽振りがいいみたいね」
「まあね」
最初に会った頃のディックはどこか田舎臭さが抜け切っていなかったが、今は着るものも洗練され身のこなしも紳士然としていた。
チャコール・グレーのスーツにワインレッドのタイが良く似合っている。
Chestnut roasting on an open fire, Jack Frost nipping at your nose♪
車のラジオからはナットキングコールの歌うクリスマスソングが流れている。
雪枝は一瞬ヘンリーと過ごしたクリスマスを思い出し、胸がチクッと痛んだ。
「ねえ、本郷キャンプって元は岩崎さんのお屋敷でしょ?」
「ああ、そうだよ。今はGHQが使っている。今日のパーティーの主催者はキャノン少佐だ」
キャノン少佐はG2所属の情報将校でウィロビー少将のお気に入り…つまりヘンリーやケーディス大佐の所属するGSとは対立関係にある人物だった。
雪枝はどうしてそんな人とディックが親しいのか不思議だった。
「ねえ、ディック、あなた、そのキャノン少佐とは友達なの?」
「いや、友達というほどではないが、本牧の店の常連で、同じテキサス出身なんで話が合うんだよ。で、今回もパーティーに誘われたわけさ」
「ああ、同郷なのね。それなら納得だわ」
雪枝はアメリカ時代、テキサスに行くチャンスはなかったが、彼らテキサス人同士が特別な絆で結ばれているのは何度か目にしたことがあった。
その理由は、多分、一時的にではあったが「テキサス共和国」という独立国を作っていたことも関係しているのだろうと想像していた。
つまり「俺たちは他の州の奴らとは違う」というプライドの様なものかも知れない。
それは日本でも「長州出身」「薩摩出身」などと未だに拘る人たちと同類なのだろう。
岩崎邸の玄関前のロータリーが見えて来た。建物全体が電飾で光り、玄関には大きなクリスマス・ツリーとリースが飾られている。
そして、二階の窓にはアメリカの国旗がカーテンのように下がっていた。
その光景はまさに日本が占領下にあることを象徴していた。
ディックは日本人のドアボーイにキーを渡すと、雪枝の手を取って玄関の石段を上り建物の中に入って行った。
パーティーの開始にはまだ間があったが、もうかなりの人でごった返している。
アメリカの軍人とその家族だけでなくスーツを着た日本人の姿も少なくなかった。恐らく政治家や役人、企業経営者達だろう。
らにとっては「米軍とのパイプ」が何より重要なのだから。
「あれがキャノン少佐だ。ユキ、紹介するよ」
奥のホールの入り口に精悍な顔立ちの軍人が立って来客たちを迎えていた。隣にいるブルネットの女性は彼の妻だろうか。
ディックが近づくとキャノン少佐は嬉しそうな表情で挨拶した。
「メリー・クリスマス、ディック、よく来てくれたね。美しい日本の姫君も一緒とは嬉しいね。妻のジョゼットは知っているよね?」
「ああ、もちろんさ。先日も店でお会いしましたよね?」
ジョゼットはうれしそうにディックと握手してこう言った。
「だって、あなたのお店のピッツァ、最高なんですもの。子供たちも大好きよ」
「ところで、ディック、そちらの姫君を紹介してはくれないかね」
キャノン少佐は雪枝に会釈をしながら言った。
「ああ、もちろん。少佐、こちらは雪枝さんだ。私はユキと呼んでいるが…」
雪枝はキャノン少佐と細君に握手しながら自己紹介した。
「初めまして。雪枝・上松です。ユキと呼んでくださってかまいません」
「ユキ…って日本語でSNOWのことですよね?違ったかしら?」
ジョゼットは親しげに話しかけた。
「そうよ。ええと…ジョズィーって呼んでもよろしいかしら?日本語を学んでいらっしゃるの?」
「最近始めたばかりなのよ。せっかく日本にいるんですもの、言葉ができた方が楽しめるでしょ?」
するとキャノン少佐が女性二人に言った。
「君たち、話が合いそうだね。僕はちょっとディックを紹介したい人達がいるので…すぐ戻るよ。ああ、向こうに飲み物が出ているからお好きなものをどうぞ」
ユキとジョズィーはバー・カウンターでジントニックを受け取り、会場の隅のソファに座った
「ねえ、ユキ、あなたディックと付き合っているの?」
「いいえ、そんなのじゃないわ。ただの友達よ」
「そう…まあ、聞いて。テキサスの男には気を付けた方がいいわよ」
ジョズィーは飛び抜けて美人というほどではないが、栗色の瞳と小さくて形の良い鼻がなかなか魅力的だった。
「あのね、テキサス男はとにかく話がデカいのよ。たとえば馬を二頭持っているだけでも『牧場を持っている』とか言うのよ」
「あはは。そうなの?話半分という事ね?」
「半分どころか10分の1くらいよ。でもディックはすごいやり手だと思うわ。あの男はビンゴよ!」
「あはは…ジョズィー、そんな関係じゃないってば」
二人はすっかり意気投合して話が盛り上がった。
しばらくするとキャノン少佐がディックを連れて戻って来た。
「さあ、そろそろパーティーが始まるから、あちらのテーブルにどうぞ。色々な料理を用意したから楽しんで。じゃあ、ディック、ユキ、私はスピーチがあるので失礼するよ」
パーティーは飲み物も食べ物も豊富で、アメリカの豊かさを見せつけているようだった。
食事はビュッフェスタイルでローストターキーやローストビーフ、ハム、ソーセージなどご馳走が所狭しと並んでいた。
バンドが次々とお馴染みのクリスマスソングを演奏し、雪枝は三杯目のジントニックでほろ酔い気分になったので他のカップルに混じってディックと踊り始めた。
ディックはどこで覚えたのかダンスも上手だった。
「さて、皆さん、パーティーも盛り上がって参りましたが、ここでゲストの歌手をご紹介しましょう。ミス・シャーリー・ヤマグチ!!皆さん、拍手を!」
キャノン少佐の声で雪枝はステージを振り向いて驚いた。「シャーリー・ヤマグチ」と紹介された歌手はあの「李香蘭」だったからだ。
「ユキ、彼女を知っているのかい?」
「いいえ、直接は知らないけど、昔、中国名で活躍していた有名な女優よ。本当は日本人でヨシコ・ヤマグチって言うのよ」
「ほお!きれいな女性だね」
ディックはジッとステージの上のシャーリー・ヤマグチを見ている。
バンドがビング・クロスビーのホワイト・クリスマスのイントロを流すと彼女は流暢な英語で歌い始めた。

I’m dreaming of a white Christmas
Just like the ones I used to know

「おお、歌も上手いじゃないか…」
ディックだけではない。会場に集まったアメリカ人も日本人もステージに釘付けになっている。
シャーリー・ヤマグチはクリスマスソングを三曲続けて歌うと、バンドがオリエンタルなメロディーを奏で始めた。
「あら、この曲知っているわ」
雪枝はその曲を昔ラジオで何度か聞いたのを思い出した。父が好きだった曲だ。
するとシャーリー・ヤマグチは日本語で歌い始めた。

あわれ春風に嘆くうぐいすよ 
月に切なくも匂う夜来香
この香りよ
長き夜の泪唄ううぐいすよ
恋の夢消えて残る夜来香

会場の人々はみんなジッと聞き入っている。特に日本人たちはそれぞれの想いを噛み締めるように真剣に聞き入っていた。
ハンカチで目頭を押さえる者もいる。
「ユキ、ちょっと向こうの席に座ろうか」
ディックは奥の方のテーブル席を指差して言った。
「そうね」
お酒もだいぶ回って来て、雪枝は少し休みたい気分だった。
会場のホールの奥の方にはキャンドル・ライトの揺れるテーブル席が用意され、何組かのカップルがすでに座っていた。
ディックは一番奥のテーブルにユキを案内した。
熱帯魚の水槽と観葉植物が置かれたそのコーナーは、賑やかなパーティーとは別のひっそりとした異空間を醸し出していた。
水槽の中をエンジェルフィッシュがふわふわと泳いでいる。
「ここなら落ち着いて話せるね」
「そうね…で、何のお話?」
するとディックはジャケットのポケットから小さな白い箱を取り出した。
クリスマスプレゼントさ」
「あら!うれしい。何かしら」
ディックがその小箱を開けると…ダイヤモンドの指輪がキラキラと輝いていた。
「え!これって…もしかして…」
「そう、ユキ、僕と結婚して欲しい」
ディックはジッとユキの目を見て言った。
雪枝は驚きと同時にむらむらと怒りが込み上げて来た。こんなものでなびく女だと思われたのも悔しかった。
「いらないわ。私はこんなもので釣られない!」
「ユキ、頼むから受け取ってくれ」
ディックは雪枝の手を取り指に指輪を通そうとした。
「やめて!ふざけないで!」
雪枝は指輪をつまむとテーブルの横にある水槽に放り込み、玄関に向かって足早に去って行った。
指輪はゆらゆらと水槽の底に沈み、餌と間違えたのかエンジェルフィッシュがつついている。
「ああ!何てことを!」
ディックは慌てて立ち上がり指輪を拾おうと水槽の中に手を突っ込んだ。
「おいおい、ディック、何をやっているんだ?魚釣りかい?」
運悪くキャノン少佐と妻のジョズィーが通りかかったのだ。
「いや、ちょっと落し物を…」
ディックは紙ナプキンに包んだ指輪をポケットに突っこんで平静を装おうとしたが、二人には通用しない。
「はっはあ、さては姫君に振られたかな?」
キャノン少佐の言葉は鋭かった。
「ディック、あなたの姫君はものすごくプライドが高いから、モノで釣るのはムリよ」
ジョズィーの言葉も図星だった。
「大丈夫。荒馬には慣れているさ」
ディックは努めてショックを隠そうとした。
「いいぞ!それでこそテキサス・カウボーイだ!」
「あら、あなた、女は馬なんかじゃないわよ。ユキはトルネード(竜巻)よ。簡単に思い通りになるはずはないわ」
ディックは下を向いて唇を噛んだ。しかし、その心は燃えていた。
「次は必ず…必ず」
久しぶりに大きな獲物に遭遇した漁師のような心境だった。

雪枝は帰りのタクシーの中で呆然していた。アルコールの酔いだけではない。頭の中の嵐が収まるのを待っている状態だった。
乗った車の運転手が無口なのが幸いだった。
「青山五丁目まで」
「はい」
そう言ったきり何も話さない。
家に着いたらシャワーを浴びて早く寝よう。運良く明日は仕事がある。
仕事に没頭すれば、この不愉快な気持ちを紛らわすことができるだろう。
雪枝はヘンリーと過ごした昨年のクリスマスを思い出していた。今頃は家族と共に楽しんでいるのだろう。
胸が締め付けられ対向車のヘッドライトが滲んで見えた。
「お客さん、青山五丁目ですよ」
運転手の声で目覚めた。少しの間だが眠ってしまったらしい。
「あっ、ごめんなさい。その信号の手前でいいわ」
家からは少し遠いが歩いて帰ろう。夜風で少し頭を冷やしたかった。
I’m dreaming of a white Christmas
雪枝は歩きながらホワイト・クリスマスを口ずさんだ。
「悪いことをしてしまったかしら…」
雪枝はディックのクリスマスを台無しにしてしまったことを後悔し始めていた。
でも、起きてしまったことは仕方がない…雪枝は空を仰いだ。
何事もなかったかのように星々が瞬いていた。


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