月別アーカイブ: 2018年10月

ヨダとイサミー幻のツーショット写真-4

 大出俊幸講師の略歴は上部の「プロフィール」をクリックしてください。

新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
新選組に興味のある方、友の会入会希望者は下記をご覧ください。
http://tomonokai.bakufu.org/
今回は、平成十七年九月発行115号から抜粋しての掲載です。

ヨダとイサミー幻のツーショット写真-4

伊東成郎

依田と近藤が、同じ江戸の空気を吸っていた時間軸の中に、現在伝えられる写真を撮影した一日が交差していれば、あるいは
依田が近藤の撮影に同行し、ともに記念写真を撮影した可能性も皆無だとは思えません。なにしろ、江戸城中で対話してすっか
り彼らに魅せられた依田は、関東では史上初の新選組ファンになったような人物なのです。
依田貞孝氏が言う「留守居役」就任の記念写真という撮影理由は、依田の同役就任が慶応三年であることから否定されます(新選組全盛時の近藤の江戸入りは元治元年のみです)。しかし、両者がともにカメラの前に立つ可能性は、慶応四年のごく短い
日々のなかに、確実にあったはずです。
返す返すも、昭和女子大学の研究チームが、依田家でその写真を確認しなかったことが惜しまれます。
現存はしていないかもしれない、およそ半世紀前の記録に登場した幻の近藤勇と依田学海のツーショット写真。さらにそこに沖田総司やら原田左之助やらが紛れ込んでいたのなら、さぞ楽しいだろうと思います。
晩年、依田は往年に江戸城で遭遇した歴戦のつわものたちの姿を、幾度となく聞き返した日記の上に連綿と思い巡らせていた
のでしょうか。
なお、岩波書店刊『学海日録』第一巻には、巻頭に若き日の依田学海の全身写真が収められています。帯刀で椅子に座す依田の足元には、市松模様の絨毯が敷かれていました。
土佐の中岡慎太郎から、新選組の谷万太郎まで、あまたの幕末維新の人物を撮影した京都砥園の大坂屋(堀)与兵衛のスタジ
オで撮影された写真です。市松模様の械毯は、ここのトレードマークでした。


そして依田学海の日記には、慶応四年四月一日に、このスタジオを訪れて「真を写」させたとの記述も残されています。この日
の撮影写真と見てよさそうです。
この依田の写真の席数きが、皆さんもご存じの近藤写真に登場する、あの得意な柄の絨毯と一敦すればと、心底思った次第です。


ヨダとイサミー幻のツーショット写真-3

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今回は、平成十七年九月発行115号から抜粋しての掲載です。

ヨダとイサミー幻のツーショット写真-3

伊東成郎

一月十六日以降、依田の日記には存命中の近藤と土方は再び登場してはきません。
近藤は三条河原の梟首、そして土方は人伝に聞くエピソードの中で依田の心を震わせるのみです。
しかし、決して見逃すことのできない記録がありました。
昭和三十三年のことです。昭和女子大学近代文学研究室のチームが、依田学海の遺族を訪問しました。
当時中野区に、依田の長男美狭古(昭和二十三年没)の子息、貞孝氏(大正五年生)が暮らしていました。
依田について綿密な調査を続けるスタッフは、孫に当たる依田貞孝氏から、貴重な証言を得ていました。
…(貞孝)氏は、祖父学海の没後生まれた由で、父の美狭古や母喜代などから伝え聞く学海の印象を、「大変気むずかし
い人」と語られた。学海が佐倉藩の留守居役を仰せつかった折に、新撰組の近藤勇と会って二人で撮ったチョンマゲ姿の
珍しい写真も同家に所蔵されているとのことである。
「何でも祖父は六尺豊かな大男であったといいますから、愛用の刀もわれわれが抜くのに骨が祈れるほど長いものです。
この刀で幕末には戦のしんがりをつとめたこともあったそうです」
(「依田学海」「近代文学研究叢書」)
なんと、昭和三十三年の時点で、依田家には依田学海と近藤勇とのツーショット写真が所蔵されていたのだというのです。
現存する二点の近藤の写真は、慶応四年の東帰後に撮影されたということが、現在では一般的な認識となっています。詳細な
日時の特定はできないものの、三月一日の甲州出陣以前であることは間違いありません。

先述の通り、江戸城での対面以降、依田の日記に、生きている近藤の記述はありません。接触を伝える記述もありません。しかし、二月二十日の京都出陣までの一カ月あまりの間に、依田には近藤らと再会する機会はありました。
その雄姿に感激した依田は、今一度、彼らの話を聞く時間を持とうとしたかもしれません。江戸留守居役として、生の京都の
戦況を聞くのも、依田にとっては重大事だったはずです。


ヨダとイサミー幻のツーショット写真-2

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ヨダとイサミー幻のツーショット写真-2

伊東成郎

さて、これらの記録の中でやはりもっとも注目されるのは、江戸城で依田が出会った近藤と土方の姿でした。
『学海日録』からご紹介します。
近藤・土方に対面す。
此日 (一月十六日)、新撰組近藤勇、土方歳三にあふ。近藤、去月十八日、伏見にて肩に痛手を負へり。歳三は其手の兵を将(ひきい)て伏見・淀・橋本戦にのぞみ、強の士過半を失ふ。しかれども己は死を脱して之に至るといふ。両人も閣老に謁して再征の議を謀るといふ。極て壮士なり。
敬すべく重ずべし。
よほど印象に残ったのでしょう。依田はこの時の思い出を、後年になってエッセイ集『譚海』にも紹介しています。
皆さんに馴染みが深いのは、『譚海』の記述の方かと思います。同書によれば、鳥羽伏見で近代戦を経験した土方は、このとき「これからはもう、刀や槍の時代ではありません」という名台詞を、依田に語ったとされています。
これ以前の姫神の日記には、慶応二年十二月一日に、人伝に近藤のことを聞いたとする記述をわずかに確認できる以外に、近藤と土方に関する筆記は見られません。おそらくこのときが、彼らとの初対面だったものとみられます。
依田は、譜代藩・佐倉の役人として、将軍家への篤い思いを持つ男でした。京都からぼろぼろになつて敗走しても、なお血気盛んな近藤・土方への依田の敬意は、この短い日記のなかからも、よくうかがえます。
彼らの人間的魅力もさぞかし依田の心に響いたことでしょう。
しかし、依田のスケジュールは急転します。二月十八日、将軍慶喜の助命哀訴の使者の一人として、藩から急きょ、上洛命令
が出されたのです。二十日、依田は江戸を発ちます。そして、十一月十八日に、すでに東京と名を変えた江戸に帰るまで、西国
での長い日々を送ることになります。


ヨダとイサミー幻のツーショット写真-1

 

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ヨダとイサミー幻のツーショット写真-1

伊東成郎

依田学海という人物がいます。
天保四年、下総佐倉藩士の次男として生まれた依田は、若い頃から並外れた学才を持ち、また、岡津の中小姓や郡代官の任にも就きました。慶応三年二月には八丁堀にあった佐倉藩邸で江戸留守居役に任ぜられ、幕末の政局の中で、多くの人物と交流を持ちました。
漢学者でもある依田は、その後、明治四十二年に没するまで、劇作、随筆、小説など多方面に活躍し、明治期の文化の重要な担い手となりますが、その筆歴の中でも重要な一つが、自筆の日記です。安政年間から明治三十年代まで書き綴った膨大なその日記『学海日録』からは、年代ごとの依田の活躍を垣間見ることができます。
依田は晩年の明治三十九年に、自分の日記についてこんな感慨を記しています。
日記は私も五十年来誌(しる)している。別にこうと云って意見も何もあるのではないが、若い時から逢った人の話や、現在見た事などは必ず誌して置く。今日となつて繰り返してみると、共頃の事が明瞭に眼前に浮かんで来て、故人などとも話している様な気になります。
(「余の日記」『文章世界】一巻六号)
そんな依田の日記には、新選組に関する記述もいくつか登場します。

○慶応四年一月十六日
江戸城で近藤勇、土方歳三と対面
○同年閏四月十日
京都三条河原で近藤の梟首を目撃
○明治五年二月二十一日
佐倉の牧場で竹柴保次郎から箱館の土方のエピソードを聞く
○明治二十一年十月十四日
東京中村座で松本良順から山南敬助切腹の際のエピソードを聞く
……等々、いずれも大変に興味深い物語が、依田の日記には綴られています。紙数の関係でここには右記四点の全文を紹介は
できませんが、詳細は拙著『新選組と出会った人々』を、ご参照いただければ幸いです。