月別アーカイブ: 2019年5月

力士血風録-3

 大出俊幸講師の略歴は上部の「プロフィール」をクリックしてください。

 新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
新選組に興味のある方、友の会入会希望者は下記をご覧ください。
http://tomonokai.bakufu.org/
今回は平成二十年四月・二一五号からの掲載です。

力士血風録-3

伊東 成郎

 町中の人通りさえも絶えようとしていたそんなさなか、土地の顔役たちがいよいよ登場してきた。貫禄たっぷりの顔役らは、
八陣と鳶の双方を穏やかになだめ始めた。
また相撲会所からは年寄の大嶽門左衛門が出張り、周囲に八陣の無礼を詫びた。こうして収拾すらつかないような乱闘になり
かけた一件は、辛くも収まったのである。 だが、火事と喧嘩を撃とする江戸の町人たちに、霊岸橋の事件は大評判を呼んだ。
当事者の八陣はますます人気力士となり、さらに番付けは上がり、二段目に付け出されるという厚遇を与えられた。
相手力士たちの中には、八陣の威力に恐怖すら感じる者たちもいたらしい。本所の小梅にあった稽古場では、柏手になるもの
が出ず、ついには外にある石置場にやってきて、巨石を相手に稽古を続けていたという.
そんな八陣は、後年、きわめて数奇な運命をたどる。
ある年のこと、北国への航海中、八陣の乗った船が暴風に遭遇した。その後、船は漂流し、ついに八陣はフランスへとたどり着いたという。
さすがの屈強な体力も病には勝てない。
八陣はかの地で病没し、異国の露と消えていったという。
雑誌『相撲新報』が、明治三十年(一八九七)に伝えた、とある幕末の超個性派力士のエビ.ソードである。


力士血風録-2

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力士血風録-2

伊東 成郎

 甥の八田五郎左衛門も内山同様、好んで力士たちの面倒を見ていたのだろう。
連行された八陣は八田の取り計らいで放免されたものの、浪速雀の耳目を集めた道頓堀での乱闘事件の悪名は、たちまちに広
がっていった。大坂にいては肩身の狭い思いが募る八陣は、活躍の場を江戸に移した。 安政初年のことだったという。八陣は同門の小剣、小天龍と三人で江戸に入った。
追手風春太郎の門下に迎えられ、順調に場所を送っていたのも束の間、場所六日目の日、八陣はまたもや乱撃事件の主役となる。
現在の中央区新川にある霊岸橋の橋際に、かつて大金という料亭があった。この見世に上がり、飽くることなく飲み食いを続けていたさなか、八陣は突然キレた。相方の酌婦がいささかの無礼をしたというのである。
怒り心頭に発した八陣は、大金の使用人たちと激しく言い合った末、皿や鉢ものなどを掴んで投げつけてきた。そのあまりの
激しさに、やがて地元の鳶が駆けつけてくる。
加勢を知った八陣は障子や襖を蹴倒し、鳶たちの気勢をたじろがせようとした。しかし火事場で百戦錬磨の経験を積み、胆気
のあふれる鳶たちも負けてはいない。八陣の猛烈な攻勢に台所まで後退はしたものの、たまたま銅の壷に煮えたぎっていた熱湯を、八陣めがけて投げかけるという荒技に打って出たのである。
だが八陣は防御にも長けていた。
座敷の畳を軽がると捲り、左手で盾がわりに構えて熱湯を避けながら、右手には鉄棒を振るい、獅子奮迅の勢いで鳶に迫ってきたのである。
恐怖に震えながらも鳶たちは、長梯子で八陣を押さえつけようと必死に挑みかかる。
霊岸橋近辺は、大騒ぎとなった。
戸を閉める家々があるかと思うと、老人や子供たちは泣き叫び、道を逃げ惑い、まるで霊岸橋に芋苗怪獣が襲来したかのよう
なありさまになったらしい。


力士血風録-1

 

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力士血風録-1
伊東 成郎

幕末期には、有名無名のさまざまな力士が、伝説的な数々のエピソードを残している。
そんな一人に、八陣和一という相撲取りがいた。
出雲国に生まれた八陣は、いつの頃か大坂に下り、大坂相撲の名力士とうたわれた小野川信蔵の門下に入った。力量無双と称
された八障の威風は、たちまち多くの好角家を唸らせたという。
だが八陣には大きな欠点があった。性格が際立って騎慢だったのである。
ある日のこと、道頓堀の角座に芝居見物に出向いた八陣は、満席のため木戸番から入場を断られた。しかしそこは八陣和一、
制止もものかは、小屋に入ろうとする。

なんとか八陣を留めようと、小屋の中から数人の出方が繰り出してきた。激昂した八陣は、二人の出方を両腕に楽々と掲げ、
両人の頑同志を振子のように激突させて、とんだ大怪我を負わせてしまったという。
この騒ぎに奉行所から捕方が駆けつけてきた。八陣はただちに連行されてしまったのである。
だが、幸いなことに八陣は強い人脈を持っていた。かねてから吟味方与力の八田某にかわいがられ、八田家の食客となってい
たのである。
この八田某とは、八田五郎左衛門の事とみられる。八田は西町奉行所筆頭与力の内山彦次郎の甥にあたる人物だった。
諸式値上げの元凶などとされ、元治元年(一八六四)五月二十日に大坂の天神橋で新選組に暗殺された内山は、当時、奉行所の
一大実力者でもあった。
内山彦次郎は、かねがね多くの力士たちに目を掛けていた。新選組生き残りの永倉新八の証言によれば、内山は「嬢夷の先駆
け」として、日頃から力士たちに樫の木でできた八角棒を持たせていたという。文久三年(一八六三)六月には、この凶器を携
えた力士たちと新選組が、大坂の北新地で激しい乱闘を繰り広げる騒ぎもあった。


新選組が好きでCDをつくりました-3

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新選組が好きでCDをつくりました-3

稲畑 皇子

 夜明け前
近代日本の夜明け前、何もかも混沌とした時代に、一貫して、幕府への誠の義を貢いた新選組へのエールです。

春の小川
総司が、皆と別れて、千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅で 病床にあった時、家のそばを流れていた川が、渋谷を流れていた川につづいていたと思われるので、名作「春の小川」のメロディを、少し取り入れさせていただきました。

再会
近藤勇が、死を前に感じたことは、このようなものであったろうと作りました。

青い空
結善しはや氏が『新選組一番隊沖田総司』の中で、夏目漱石が、修善寺での療養中に、大喀血して、人事不省に陥った時の体験を書き綴っている状況について述べていられて、総司もきっと、そのような気持ちであったかも知れないとお書きになっていられるので、私もそうであってほしいと 歌にしました。

さくら
土方歳三が、最後に五稜郭で、さくらを見た時のことを想い、描きました。

日は赤く
伊東成郎氏が『新選組決定録』の中で、新選組ゆかりの地に立つ時、決まって想起すると書いておられる、村山塊多の詩に曲をつけさせていただきました。

水底の魚たち
月明かりの加茂の河原に立つと、東山、家々の屋根、神社、お寺、すべてのものは、まるで水底にあるように見えて、歌ができました。

一陣の風
大自然の営みは、過去、現在、未来へと永遠に続いているのですが、その中で、まるで一陣の風のように走り抜けて行った人々への挽歌です。
次々と歌を作らせてくださった、新選組の方々、近藤勇様、土方歳三様、沖田総司様に 深く感謝申し上げます。
と言う様な具合で まだまだ私の新選組行脚は 進行中でございます。皆様今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。