月別アーカイブ: 2019年6月

真田宝物館-1

大出俊幸講師の略歴は上部の「プロフィール」をクリックしてください。

 新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
新選組に興味のある方、友の会入会希望者は下記をご覧ください。
http://tomonokai.bakufu.org/
今回は2018年6月1日発行の160号からの掲載です。

信州松代市 道中記
『新選租銘々伝』郷里での啓之助-4

稲葉春義 満里子

真田宝物館-1

”六文銭(ろくもんせん)”で名高い真田藩十万石城下町、長野県松代市へ、愛媛県松山市同様はじめて行くことになった。松代市は、川中島合戦場跡、真田藩関係と、まちなかは史跡、文化財ありとパンフレットにあるが、われわれの目的は観光ではなく、佐久間象山は真田幸村はどには人気はないようだが、象山の息子への探訪でおもいがけない行程となった。のちの反省でずいぶんと欲のふかい計画すぎのおもいがしたが、今回はH・Mふたりで。松代への行きかたがわからず観光案内所に。
その結論は、平成十四年十月二十九日明石から大阪梅田へ、大阪梅田~松代 長距離バス利用。
この夜、一泊(長野市宿) 二日間の予定。十月三十日 松代市へ長野駅から市内バスで真田宝物館へ。帰宅は松代、長野駅から深夜バスで22‥33分発-大阪梅田翌朝6‥15着となる。
以上が案内所での調べ。

真田宝物館

当日(三十日)は昼間のバスなので途中の景観は観光気分で、とくに木曽駒ヶ岳の雪景色に、若いときのアルプス登山をおもう。しかし
われわれは気候の変化に気がつかず、のちの松代市の夜の寒さにはまいることに。宿泊したホテルのロビーにストーブがあったことに明石と
ほだいぶちがうとびっくりする。翌日、予定どおりの市内バスで、有名な川中島合戦場案内版前をすぎ、約束の9‥00開館の卓異田宝物館学芸
員北村氏に面会する。展示館より別口の展示用品の保管場所らしい一部屋に、われわれ希望の調査資料をおいた机とわずかな場所に案内され。あいさつもはどほどに、今日の予定のせつめいと同時に、われわれのためにお手数いただいたお礼と、四国松山でのこと、無縁墓の佐久間格二郎のことを説明させていただき、北村氏からは、遠く明石からの来館の謝意と資料の説明、写真は自由に、時間Ⅶゎれわれの都合でかまないとのことで退室された。用意いただいた資料は、われわれの気づかいすることのないようにとのど配慮か、われわれがつかいやすそうにおかれてあった。


『新選租銘々伝』郷里での啓之助-4

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その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
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今回は2018年6月1日発行の160号からの掲載です。

信州松代市 道中記
『新選租銘々伝』郷里での啓之助-4

稲葉春義 満里子

B4サイズ大ほどの立派な表装つきで明治四年そうそうのページに〝佐久間烙二郎″なる名を見る。特に社中入社日に、”六月三日″とあり。
福沢諭吉が「新銭座」から三田に転居して同年六月三日に、三田義塾をひらいたとされ。なんと啓之助は「三田義塾第一期生」といえるわけ
だ。ほかに、編者のはしがき、解説のコピーを許可され退出する。外にでて初めての中之島をあるいてみたが、雑木林らしきところにてんて
んと〝ダンボール族″が多くみえ、早々にひきあげる。.かえりみちは、佐久間恰二郎の義塾への入塾(当時は入社といった)を見てただびっくりであった。のちに、彼の妻となる人物の住まいにつらなることも知り、おおきな資料の発見であった。(新選組友の会ニュース126号〝三浦啓之助余話″にかれの妻について拙文を記載)つぎに、平成十四年九月三日大阪市立中央図書館へ。昨年松代からいただいた六枚のコ
ピーの真田一族と家臣団-田中誠三郎氏の著書をまたも兵庫県立図書館でさがしていただ.いた。
FAX以外のことも知りたい-。大阪へ。この図書館で・田中誠三郎『真田一族と家臣図-とその系譜をさぐる』信濃路・官本仲『佐久間象山』岩波書店・太平喜間多『佐久間象山』吉川弘文館・前澤英雄『佐久間象山の生涯』 (この本はの ちの象山神社で紹介購入)
・釣洋一『和洋暦換算事典-幕末編』新人物往
来社(この先生の著書との出会いはびっくりであった。この本で、新・旧暦のことを知りたく思っていたところ、大型本だったので、この図書館でのコピー資料整理中の机の下段においてあったのを偶然みつけることができた!)そうとうな枚数でコピー機を独占するわけにもいかず、
ほかの人との合間で、ほぼ夕方まで昼食を忘れるほど図書館員を気にしながらのコピー作業の一日だった。


『新選租銘々伝』郷里での啓之助-3

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今回は2018年6月1日発行の160号からの掲載です。

信州松代市 道中記
『新選租銘々伝』郷里での啓之助-3

稲葉春義 満里子

そして銘々伝執筆のときになってから松代での資料が大きい影響力をもつことになるのだが、この時点では思いもせずにいて、銘々伝の
資料のため、この松代市に行くことに。
松代といえば、テレビドラマなどの〝川中島の武田信玄〟しか知らなげわれわれが市内を歩くこととは夢にも思わぬことであった。
『新選組史跡事典』は平成十四年初秋どろ出版され、立派な表装の本にびっくりしながらほかのひとの文章を読む気分で、おちつかない日々
もまもなく、『新選組銘々伝』執筆を。史跡事典での反省もできぬまま一年後の出版に、前年の〝四国松山道中記″ならぬ〝信州松代道中記″となった。まずは、銘々伝の資料について、兵庫県立図書館にて、史跡事典時で途中となっていたつづきの文献をあらためてよむ。
勝海舟-海舟日記二十一巻(勤草書房)
松浦玲1海舟関係(中公新書)
愛媛県史人物(愛媛県)
鵜飼新一-朝野新聞の研究(みすず葦居)
愛媛新聞百二十年史(株愛媛新聞社)
愛媛県医師会史-コレラ(愛媛県史)
明治初期の官員録、職員録-第二巻
例のどとく〝にぎりめしもちで″で図書館へ。
(下記写真は福沢諭吉です)

ほかに啓之助が慶応義塾創始者の福沢諭吉に世話になったと〝壬申戸籍″より知り、読書案内からの福澤手帖より「福澤諭吉自伝」ととも
に、福揮研究センター『慶応義塾入社帳』慶応義塾(第一巻明治編)なる文献を偶然知り、兵庫県立図書館調べで、大阪府立中之島図書館に
あることを調べてくださり、紹介いただく。平成十四年八月二十三日大阪府立図書館へ。有名な中之島公園に、明治九年創設、建物は西洋建
築として重要文化財指定とか。著書から複写することに著作権法上面接が必要と知り、当図書館三階古典籍室で面接、身元確認、使用目的の
書類提出とともに、担当者との話し合いで『慶鷹義塾入社帳第一巻明治編』のコピー複写許可。


『新選租銘々伝』郷里での啓之助-2

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今回は2018年6月1日発行の160号からの掲載です。

信州松代市 道中記
『新選租銘々伝』郷里での啓之助-2

稲葉春義 満里子

大出氏からの『新選組銘々伝』の執筆には、〝-史実を根幹におき、著者の感情を駆使した隊士の伝記を〃 このど指導をくみとり、少々自分なりの自由な解釈もゆるされるとかんがえ、するとなんとなく肩の荷もかるくなったようにかんじた思いがありました。大出氏の因島での執筆厳命の平成十四年六月から翌十五年一月十日まで、原稿初稿、再稿、再々稿‥また写真提示校正と-ようやくOKとなったしだい。できあがった印刷文を見て、ただびっくりするのみ。
しかし、これほどに執筆内容に目をとおしてい
ただき、はずかしくもあり、冷や汗とともに感謝の念でいっぱいでした。
一、資料から浮かび上がる三浦啓之助の人物像。
二、三浦啓之助の墓碑で四国松山へ行ったことから、さらに資料をもとめること。
三、生まれ故郷の信州松代で啓之助を知りたい。
この三点をなんとかむすびつけたい。その思いをもとに、はじめての長野県松代ゆき準備にかかった。

「新選組銘々伝」に関する飼料

 長野県松代市には、松代藩士佐久間象山に関係があることから佐久間家に関する資料が残されているとの思いで最初に、観光案内所のパンフレットより電話をすると、応対のかたがこの記念館には、佐久間象山の遺墨、遺品など展示しておりますが、文献資料は以前ありましたが、いまは〝松代藩文化施設管理事務所″に、松代藩、真田家の施設管理をまとめており、本部は真田宝物館内にあり、事務所の電話番号を紹介していただき、さっそく電話、利根川氏というかたに松代藩士佐久間象山の息子である佐久間烙二郎についての資料を知りたいとお願いした。すぐさまFAXで、平成十三年十月十一日付で、送信枚数六枚とともに、〝烙二郎のお墓関係はP155~、上段から下まで記載があります〃云々のメモとともに送ってくださった。のちにわかったことだが、田中誠三郎『真田一族と家臣団1その系譜をさぐる』信濃路、からの抜粋で、すぐさまお礼の電話をすると、「他にも資料はあり、一般公開には、真田宝物舘(ここで初めてこの宝物館を知り、のちに多大なお世話になる)に申し込んでください。」と、また、「研究のためならば、写真撮影などは予約すれぼできます」と、真田宝物館内の電話と担当のかたを紹介していただき、ほかに恰二郎のお墓の写真もありますといわれ、思わず「えっ」。しかしこの時点では、史跡事典での墓さがしはすでに完了していたため、松代市の佐久間家菩提寺蓮乗寺の墓と思い違いをする。FAXの文面により、三浦啓之助についての新選組関係資料、佐久間家戸籍、伊予松山での墓碑銘などの出典先が前述の著書からであることがわかり、いままでの疑問がはれた。


『新選租銘々伝』郷里での啓之助-1

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信州松代市 道中記
『新選租銘々伝』郷里での啓之助-1

稲葉春義 満里子

 たんなる思いつきの電話(平成十三年十月十一日)から、戦国時代の川中島合戦で有名な信州松代市へ平成十四年におとずれた。真田十万石の城下町はまた、佐久間象山にかんする史跡・資料の宝庫でもあった。そして啓之助が父象山の薫育をうけて、年少時代をすごした土地でもある。昨年おとずれた松山市同様、啓之助にかんする資料を期待しての今度は、〝松代道中記″となっていく。『新選組史跡事典』でほ、啓之助の墓の存在を四国松山で確認でき、成果を得ることができたので、はじめての体験でホっとしてまもなく、『新選組銘々伝』に「三浦啓之助」の執筆の命をうけ、どのように対処すべきかでのまよいのスタートだった。
平成十四年、大出氏いちれんの行事のひとつ、因島自由大学に参加したおり、直木賞作家井出孫六先生から、(『終わりなき旅-中国残留孤児をめぐつて』特別講演)啓之助の墓碑さがしの話をもとめられ、したたらずの話が気になり、後日あらためて写真や説明詰も整理し送らせていただいたが、先生から、ど丁寧な返書とど自身の著書『小説佐久間象山』の紹介をいただき、また佐久間象山研究家で著名な学者と知り、はずかしい思いをした。さっそく『小説佐久間象山』を読み、示唆をうけ、新選組以外の幕末時、国事に動いた人々の資料集めをした。そして三浦啓之助の人物像を別の姿からみることができるよう長野県松代市へ行ってみる必要性をじたしだい。四国松山で知った別の啓之助同様、松代でも知ることができるかもしれないとの思いを期待してさっそく、この松代行きのため、図書館にもなんどか通った。