月別アーカイブ: 2019年7月

『新選租銘々伝』郷里での啓之助-8

大出俊幸講師の略歴は上部の「プロフィール」をクリックしてください。

 新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
新選組に興味のある方、友の会入会希望者は下記をご覧ください。
http://tomonokai.bakufu.org/
今回は2018年6月1日発行の160号からの掲載です。

信州松代市 道中記
『新選租銘々伝』郷里での啓之助-8

稲葉春義 満里子

象山記念館と象山神社

 象山記念館
この寺から西方にだいぶ歩くことになるが、千曲川支流に近いところにある次の予定の象山記念館へ。さきに述べた一本の電話をこの記念館にしたことで松代市におとずれることになった館内は、象山の制作したと伝えられる遺品、遺筆などが、部屋いっぱいに展示され、とくに幕末期の悲劇で知られる人の「及門録」の大きな表示板は非常につよい印象をうける。真田宝物館の収蔵名なども展示されていると聞いていたがわからない。受付も電話をかわした人ともおもえず、ざっと拝観して次へ。

 象山神社
象山記念館からすぐの象山神社。昭和十三年 十一月三日県社(御祭神 佐久間象山)建立、ここでは、象山を「ぞうざん」とよぶ。ひろい神社は、象山生誕地旧邸跡 こうぎてい
「高義亭(こうぎてい)」(安政一年から九年間蟄居自宅)ここで高杉晋作、久坂玄瑞、中岡慎太郎などそううたる人物が訪れた建造物。また「煙雨亭(しゆうえんてい)」は、京都三条木屋町、象山最後の住居の茶室を移築した建物。当日、神社のお札所受付の人と、明石からのわれわれの話と、おたがいに話がはずみ、毎年、佐久間家の子孫のかたも参加の慰霊祭もあり、京都からくる人たちも、土地の人々といろいろな話がでることなどの話、象山の息子〝略″が新選組にいたことなどに〝びっくりした″にわれわれもおどろいて笑いあいー。かえりに前澤英雄『佐久間象山の生涯』を求める。
つぎに、神社内をあしばやにみてまわり、つぎの「松代城」=川中島合戦の海津城跡に。


新選租銘々伝』郷里での啓之助-7

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『新選租銘々伝』郷里での啓之助-7

稲葉春義 満里子

蓮乗寺ー佐久間家書捷寺

 真田宝物館の次の予定は、宝物館からは東の市のはずれの松代藩関係の寺町へ行く。とくに真田家菩提寺として市の代表的な長国寺があり、ここには歴代藩主の墓、重要文化財の左甚五郎の破風、狩野探幽筆画などで市の史跡寺院とい
われる。しかしわれわれはこの寺にちかい蓮乗寺へ。
さびれた感じのする正門から奥にあるのは本堂と思えたが、人影もないので、次の予定のためお寺にはあいさつは省略。
寺の右一画にくぎられて案内板とともに象山親子の墓所があった。大正十一年京都から象山、四国松山から息子の略の墓がならんで分葬された。墓前の白い菊の花にさす、ななめの太陽のひかりと、風の冷たさが身に感じたことであっ
た。とくに四国松山の無縁真の恰の墓碑と、京都の父の立派な墓碑とは対照的だったがここでは多少の大きさの違いは感じたものの、ともにならんだ親子の墓碑銘を京都、松山を思いながら調べ、カメラにおさめた。親子の墓碑銘。
・佐久間象山塔所(平成十四年九月二十七日詭べ)京都正法山妙心寺大法院(真田家菩提所) 法名 清光院仁啓守心居士 正面 象山佐久間先生墓 石面 孝子格建 左面 元治元年季七月十一日残 昭和三十年六月建立・松代市蓮乗寺(平成十四年十月三十日調べ)・佐久間象山墓 正面 象山佐久間先生墓 石面 大正十一年十月十五日 京都妙心寺内大法院より分葬ス  同墓所象山墓石側に、・息子略墓があり 正面 佐久間略君墓 石両 君誇ハ格幼名ヲ格二郎卜云フ象山佐久間先生ノ嗣子ニテ嘉永元年十一月 十一日松代二生ル明治六年伊預園松山裁判所ノ判事トナリ同十年二月二 十六日任地二於テ没ス享年三十 左面 大正十一年十月十五日 伊預園鷺谷ヨリ合葬ス 激動の幕末時代に、故郷松代から遠く、ともに別々の土地で不慮の死をとげ、-不帰の人となった父と子はようやく、故郷に帰り着いた。
清澄な空気のつめたさを感じっつ、人影もない墓前の菊の花に手をあわせる。そしてお寺の本堂らしき方にむかって一礼してこの寺をあとにした。


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信州松代市 道中記
『新選租銘々伝』郷里での啓之助-6

稲葉春義 満里子

真田宝物館-2

佐久間象山、妻順、格二郎の各写真(象山が 文久三年どろ撮影したとの説があり、格二郎十五才くらいか、しかしよくかれの人物 評にみる写真)・松山での恰二郎の墓。説明書つき。来館のき ぼうの写真 撮影年月日と撮影者不明。墓石は下半分が草むらのスナップ写真。(銘々伝に記載)説明書があり、〝象山先生嗣子 格の墓、墓碑銘″の説明があった。
・象山暗殺後、門下、親類者たちによって、「口上覚(こうじようおぼえ)」「暗殺事件関係」「格二郎家督相続 書」など当時提出し却下された書。この書の内容はよめず、しかたなく写真のみ。
・佐久間象山の暗殺当日に使用した〝西洋馬具ゼッケ〃 (血痕のついた、とあったがわれわれにほわからず)・象山が外出時に使用した羽織・象山暗殺の際に、京三条小橋にはりつけられたといわれる「斬奸状(ざんかんじょう)」
われわれには内容は読みきれず、ほかにも格二郎の関係資料が用意されてあった。写真の北村氏に連絡、帰りのあいさつのとき〝この際ですから展示場を見ておかえりください〃といわれ、また、  (日)のここの施設事務所たよりの「六連銭(むつれんせん)」第9号/平成十五年三月三十一日発行のパンフレットをいただく。展示所をまわったが、目についたのは、川中島合戟の武田信玄、ほかに秀吉、家康、三成などの戦国武将たちや真田家歴代の古文書、火砲の甲胃武具、刀剣(特に重文の青江の太刀とか、秀吉からの刀剣類)また、全国的に人気の、真田幸村遺品などの展示品があり、もうすこし時間をかけて見ておきたかったと後に思う。
ただこの日、目にとまったのは、壁に有名な真田家家紋の説明板があり。海野・真田家独特の家紋として、ふるくから〝六連銭(むつれんせん)″また〝六文銭(ろくもんせん)″ともよぶ。紋の意義は、戦にのぞむ武士の決死の覚悟をあらわしたものであると説明書にあった。われわれは以後、銘々伝には、六連銭とすることにした。真田宝物館でやはり12‥00を過ぎていた。さいわいに、ちかくにそば名物の「日暮し庵」という店があり、昼食をとる。