パリ祭の 永さん偲ぶ 車椅子

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

パリ祭の 永さん偲ぶ 車椅子
(2016/08/02)
二日
永六輔さんが亡くなつた。ここ数年、七月にはNHKホールのパリ祭を楽しんできた。パリ祭の生みの親の一人だが、晩年は車椅子での登場が多かつた。石井好子さん、芦野宏さん、戸川昌子さんに続き、彼岸に。
朝顔もほおずきすももう過ぎて

釣り人も 陰を求めて 糸を垂れ
(2016/08/10)
ハゼ釣りか。隅田川から住吉神社裏側に引き込まれた運河で、竿を構える人たち。釣り人たちの後ろを、参院選投票所に向かう人た
ち。安部政権に対する審判は?

朝顔もほおずき市も もう過ぎて
(2016/08/13)
下谷の朝顔市、浅草寺のほおずき市。下町の夏の風物詩も今年は気づいた時には終わつていた。かつて門前仲町の和風の店「久寿乃
菓」では、朝顔の鉢植えが毎年、客から届けられた。「朝顔の宅配便を待つ女」。

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やさしさを形に
・杉本準一郎さんの個展に寄せて
∥「人生八管」一五年
正月・創刊号
縁あ信楽生愛知県知多市在住彫刻家杉本準一郎さん(六六)と知り合つた。人と人を結ぶ縁はお酒の席で生まれるという、我が交友録の二貝を記しておきたい。
岐阜県・関ケ原で関ケ原製作所を経営する矢橋昭三郎社長は、上京するたびに、門前仲町の和風の店「久寿乃菓」を訪れ、静かに酒を呑む。大型工作機械を製造する会社の広い敷地を利用して、「にんげん村」の名称で芸術・文化活動を展開し、経営者というより文化人的な風情。その矢橋社長を、女将さんの河俣くに子さんに紹介されて関ケ原を訪ね、そこで杉本さんの彫刻を知った。杉本さんは二〇妄竺月二七日から二月一日まで京都・三条の「ギャラリーモーニング」で個展273を開く。パンフレットに何か文章を寄せてほしい、と依頼され、以下の文章を送った。

セミが鳴く 特捜の名を 久々に

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

甘酒は 八海山に 義理立てて
(2018/07/04)
映画「空飛ぶタイヤ」を見た目本橋コレドに、新潟・八海醸造の店があり、甘酒を買う。蔵元を訪ねた一〇年以上
前から、ずっと季刊誌『魚沼へ』が送られてくる。

セミが鳴く 特捜の名を 久々に
(2018/07/05)
文部科学省局長の情けない汚職。財務省の文書改窟や官僚の偽証に、おとがめなしでは国民は納得しない。

素麺に 紫蘇の葉添えて 涼をよぶ
(2018/07/05)
夏の昼食は時々、冷たい素麺。紫蘇は知り合いが自宅の庭で育てた。何年か前、京都を旅行し三千院や寂光院を見
物した際、大原あたりで紫蘇を栽培する畑が目についた。

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お江戸下町落語事情-5
=「人生八馨」一五年秋季号・第四巻

五階建てのビルのオーナーで、日本舞踊など多彩な趣味を持つ小林由美子さんが随時企画している「サロン・ポリフォニー」。ビル四階のスペースを利用して多様な文化的催しを、と始めた。連れ合いの友人から紹介された。
 ここも高座は即席で、三十人ほどの椅子席が並べられ、家族的な雰囲気。やってくるのは真打の二代目桂伸治さん。もう三回ほど噺を聞いたが、実は先代の桂伸治さんは大学時代に利用していた西武池袋線の車内でよくお見かけし、なんとなく親近感があつた。いまも桂伸治さんは東久留米が住まいで、話の合間に、ローカルな話題も散りばめられる。
演題ふたつが終わると、同席の落語研究家が簡単に解説し、参加者との一間一答などで落語の知識を深めることも出来る。「真打の語源は?」 などの質問が出たり、サイン入りの団扇が抽選で当たつたり、また次の機会も聴きにこようか、という気分にさせてくれる。
ちなみにこのサロンでは、ジャズの世界で有名なサックス奏者、坂田明さんの「ミジンコの話」を聞いたのも印象的だった。ポリフォニーの命名通り、いろんな文化を提供する場を、という小林さんの意図は、下町の人々に受け入れられているようで、中で落語が重要な役割を果たしているのも嬉しい。
最後に、私の下町暮らしを語るにあたって避けて通れないのが門前仲町。北海道・士別出身の草野笑子さんが差配する居酒屋「笑福」がある。書評の巨人、故・草森紳一さんも常連客だつた店で、かつて二階の座敷で定期的に落語の会を開いていた。三遊亭園龍さんらが出演していたといい、記念の単行本 「ばつてら深川『笑福』女将が綴る半生記」 に、その思い出が記されている。
笑う門には福来たる。おあとがよろしいようで。

クラス会 額紫陽花が咲いている

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

クラス会 額紫陽花が咲いている
(2018/07/02)
 東京五輪の年に入学した大学のクラス会。古稀を過ぎても気持ちは入学当時と変わらないような。みんなが俳句か川柳を作り、出来栄えを競い、近況報告。

バングラの 悲惨痛恨夏暑く
(2018/07/03)
ラデシュの渡連正人・大使夫妻は連れ合いの友人。遊びに来て、と誘われた地で日本人七人が犠牲になるテロ事件。夫人は母親の見舞いで心時帰国していたが、急速、現地に。世界に安全な場所はなくなつた。

ァヴェマリア 暑さ忘れてヴァイオリン
(2018/07/03)
前橋汀子さんの定期コンサート。サントリーホールを埋めたフアンは彼女の演奏に、この夏最高の暑さをしばし忘れた。前橋さんは毎年、三千円の入場料で音楽フアンの拡大を図る。前半は緑、後半は紅いドレス。

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お江戸下町落語事情-4
=「人生八馨」一五年秋季号・第四巻

 小松さんは、その後、骨董の店を閉めて、勝開橋近くのマンションに住み、時折、自宅で「なずな美術サロン」を開くようになつた。
今年二月には、このサロンに「歌も女」改め「日るね」となつた「いまが旬。受けてる落語家」や漫談家を招いて、仲間うちの寄席を催してくれ、喜んで参加した。
日るねさんは、四日市南高校卒、玉川大学文学部芸術学科中退。二〇〇八年三月に「三遊亭歌る多」に入門、園歌師匠のもとで苦労を重ねた。固歌師匠は、歌奴と名乗っていたころ、「山のアナ、アナ」 の落語で一世を風摩したことを覚えている向きも多いのではないだろうか。日るねさんはフェイスブックを活用して、正式の寄席のほか、「落語カフェ」での高座日程などをPR。師匠からフェイスブックは禁じられている、とつぶやきながら、さわやかな色気の香る写真も交えて活動報告を続けている。
「落語を歩く 鑑賞三十一話」(矢野誠一著、河出文庫)に収められた落語「佃祭」に次のような記載がある。「佃 島の歴史は、寛永中にさかのぼる。御膳御用直参の漁夫として、白魚の漁を行わせるため、摂津国西成郡佃村
から三十四人の漁師を住まわせたのがこの島の起こり」。寛永では徳川家光の時代になるが、言い伝えでは家康が江戸開府に当たつて摂津の漁師を住吉神社とともに入封したとされ、落語の舞台にもなっている。
もうひとつ、落語との縁を紹介したい。隅田川を渡った向こう側の日本橋人形町の一画にも、時折、案内をいただく即席寄席がある。

梅雨ならば コロポックルの蕗の葉を

梅雨ならば コロポックルの蕗の葉を
(2014/07/02)
 秋田魁新報社140周年祝賀パーティー。「こまち」で秋田へ。梅雨はお休みか、秋田も厳しい陽射し。秋田県立美術館で藤田嗣治の大壁画 「秋田の行事」 や、妻マドレーヌをモデルに猫と横たわる乳白色の裸婦の絵を見る。往復八時間、緑の中の旅。

濡れ鼠 夜道をチャリで駆ける梅雨
(2014/07/03)
夕方から降り始めた雨は、酒の席が終わって帰宅する頃、やや真面目な雨に。門前仲町から佃まで、急げば五分足らず。眼鏡にも雨が当たるが、風は気持ちよく、梅雨を恨む気にはならない。

再稼働 夏を迎えてチラホラと
(2014/07/05)
九州電力川内原発1、2号機について、原子力力規制委員会の安全審査結果が近くまとまり、再稼働の可能性が出てきた、と毎日新聞などが報じた。夏場の供給能力が危ぶまれる関西と九州。しかし、福島の現状をみれば安易な再稼働は疑問。

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お江戸下町落語事情-3
=「人生八馨」一五年秋季号・第四巻

吉坊さんは名前のごとく童顔の面影が残る噺家さんだが、「桂吉坊がきく 聾」 (ちくま文庫) というインタビュー本もあり、上方落
語のホープ。一九八一年生まれというから、まだ三十歳代半ば。古典の基礎をきっちり身につけ、酒で失敗した話なども交えて、テンポのいい噺ぶりが楽しい。
「星時計」 はもともと魚屋さんだったが、現在、店を切り盛りしているお孫さんのさとみさんが、佃・月島の通人が集まる店に変身させたよう。蛇足になるけれど、ここのイベントで知り合った女性が、東京駅近くでご主人と居酒屋 「加賀屋」を経営していることが分かり、時々、利用させてもらつている。
女性ながら落語の世界に身を投じた二つ目、三遊亭目るねさんを知ったのは、また別のルートだつた。薩摩藩家老・小松帯刀の末裔と
いう東京芸大卒の小松由美子さんが月島三丁目で経営していた骨董の店「なずな美術」が即席の寄席になった。
二〇一三年のメモの一部を以下に 三遊亭国歌師匠の弟子で、六月に二つ目に昇進した女性落語家、三遊亭歌も女さんの落語を先日、月島の骨董屋サロンで聞いた。かもめさんは、「多ぼう」 の名前(本名が日麻=ひま) を貰って住み込みで前座を五年。八十歳を過ぎた国歌師匠の肩や腰を毎日二時間マッサージさせられたり、丸坊主にされたりと非人間的な生活だったとか。ようやく「人間」に復活し、まだ落語は落ち着いて聞ける実力ではないが、愛橋があつて性格もよさそうで、応援したくなる芸人さん。ちなみにこのサロンは、古伊万里などを並べた本格的な骨董屋さんなのだけれど、女性経営者の趣味でスナック風に店を改造、気が向くと開店するという気ままな店。「お店に来る時は、事前に電話してね」。行列が出来る居酒屋「岸田屋」のすぐ近くにある。

枇杷の実が ヘイスブックにあり余り

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

枇杷の実が フェイスブックにあり余り枇杷の実が フェイスブックにあり余り
(2016/06/18)
知り合いのFBに枇杷の収穫。20数年前、お子さんが捨てた枇杷の種から成長、近所にお裾分けしても余るほど、と。自宅ベランダの枇杷の木は、いつ実る?今日は大学の県人会と浦和・千鳥難民の飲み会。

弥彦村 神社の真緑やまぼうし
(2016/06/17)
弥彦村村長、小林豊彦さんは元日経新聞記者。昨年一月の当選以来、初めての訪問。弥彦神社などを一緒に。かつて浦和でスナックを経営し今は新潟県の松之山に住む玉田美智子さんも「やまぼうし」で一杯。

まろまろと 薄着の妊婦 街を行く
(2016/06/12)
まろまろと目立つお腹を隠そうとしない女性が多くなった? いまや女性活躍の時代。大学の徳島県人会で、外務省などで働く若い女性と話したが、それぞれに頼もしく。新聞社が採用する記者も、女性が半数に。

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お江戸下町落語事情-2
=「人生八馨」一五年秋季号・第四巻

 今田寄席は、時に会場を近くの新川区民館に移したり、すぐそばに開店して一年ほどで閉めた讃岐うどんの店でも、即席寄席を開くなど、アメーバーのように活動の輸を広げている。「席亭」の一美寿さんは極めて社交的な人柄で、店の前を通る人に誰彼となく声をかけ、仲間に引き込むことを特技としている。
事情を知る人は、店の前を避けて勤め先に急ぐ、との逸話も生まれるほどで、我々もそのペースに巻き込まれた仲間。寄席が開かれる夜は二千円ほどの会費で、コップ酒にスタッフが用意したつまみが提供され、時に広島菜などのお土産もつく。
今田酒店がある新川一丁目は、門前仲町・富岡八幡宮の氏子でもあり、ご主人が昨年、町内会長に選ばれたため、八月の大祭の折には、神輿が出発する町の一角にテントを張って、町の人たちの世話もする。酒屋稼業とは一石二鳥でもあるけれど、世話好きの個性は、商売抜き。歌舞伎やコンサートのチケットを、公演当日に「今日、時間ありませんか」と提供してくれたり、我が家のマンションまで貰い物の野菜などを届けてくれたり。カンカラ三線の演歌歌手・岡八郎さんと知り合ったのも、この酒屋寄席だった。
一美寿さんとのつながりから、次に出遭った落語の会は、住吉神社の近くに店がある喫茶店「星時計」が主宰する会。一美寿さんの娘さんが一時期、この喫茶店で働いていた縁もあり、我々も出入りするようになった。
「星時計」の寄席では、これまでに三度、上方落語の故・桂米朝さん門下、桂吉坊さんの噺を聞いた。会場は、月島もんじや通り入り口にある佃島説教所だったり、喫茶店だったり。こちらも即席の高座を設け、喫茶店の場合は三十人も入らないスペースで、膝付き合わせながら、巧みな話芸を聞く。

年重ね 歌う六月シャンソニエ

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

台風が狂言回し「海よりも…」
(2016/06/13)
是枝裕和監督の映画「海よりもまだ深く」。冒頭、団地の場面で台風23号予報のラジオ。これがドラマの伏線と観客はクライマックスで気づく。樹木希林演じる高齢の母が、離婚した息子夫婦と孫を泊めた夜。

年重ね 歌う六月シャンソニエ
(2016/06/15)
 九二歳のシャルル・アズナブール。おなじみの「イザベル」などではなく、最新作中心に日本最後の公演。シャキッとした姿がNHKホールの舞台に現れると、どよめきが。

繊月(せんげつ)や梅雨の谷間の道しるべ
(2016/06/09)
帰り道に夜空を見上げ、細い月が語りかけるものを感じた。公約を公然と被り、「新しい判断」と言葉でごまかす首相。せこい政治資金流用を指摘されながら、居直る東京都知事。人間の美質復活を、月も求める。

お江戸下町落語事情
=「人生八馨」一五年秋季号・第四巻

 隅田川河口の佃島に住むようになつて一五
年ほどになる。その前にも地続きの月島に住んでいたから、この地域での生活は三〇年を超える。リバーシティーの高層マンションと、長屋の面影をとどめる町並みが共生し、気分は下町の感覚を楽しませてもらつている。
そんなお江戸のキイワードのひとつが「落語」。なぜか知り合いになった人たちが、落語をメインにしたイベントを定期的に開いてく
れて、その催しから、気安い人と人のつながりも生まれて、よそ者ばかりと思いがちな東京の生活に潤いを与えてくれている。
最初のきっかけは、隅田川を隔てて対岸に位置する新川一丁目に店を構える今田酒店の女将、一美寿さんと知り合ったことだった。
もう十年ほど前になるだろうか、念仏踊りと仮装の踊り手で知られる佃の盆踊りを初めて見物した時、連れ合いが一美寿さんに強引に
踊りの輪に引き込まれ、付き合いが始まった。
今田酒店は 「誠鏡」 など広島の酒を主に扱う店で、一美寿さんも広島の出身。最初は、健在だったご主人の父君を激励しようとの趣
旨で、「酒屋寄席」を始めた。一升瓶やウイス
キーのボトルが並ぶ売り場に即席の高座を設け、逆さにしたビールケースに座布団を敷いて座席を作り、酒屋が寄席に早変わりする。
素人の落語愛好家や三味線が趣味の女性も高座に上がるが、「酒屋寄席」 のトリは、真打の古今亭菊龍さん。東京スカイツリーの足元
に住み、隅田川沿いの墨田区、中央区、江東区などは縄張り同然。自分のブログで日々の活動とその日に食べた食事のメニューを記録
する律儀な落語家さん。そのブログに、今田酒店は頻繁に登場する。

古九谷の 図録が届く梅雨半ば

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

香水を まとつて梅雨の憂さ晴らし
(2016/06/02)
香水というよりオーデコロン。朝の風呂上り、気持ちを引き締め、加齢臭など気になる言葉は追い払って清々しく。梅雨に向かい、気持ちが晴れない時に備えて我流の予防策。

古九谷の 図録が届く梅雨半ば
(2016/06/08)
「九谷吸坂窯」。石川県加賀市で古九谷の美を追求する硲紘一、海部公子さんの作品を収録した図録。全作品カラーでずしりと重い。丸浜江里子さんから贈られた。子供時代に石川県に住み、九谷焼には親近感。

文学碑 みなチヨポチヨポや夏芦屋
(2016/06/05)
作家、小田実さんの文学碑が芦屋市のあしや喜楽苑に完成し除幕式があつた。人生の同行者、画家の玄順恵さん、一人娘のならさん、澤地久枝さん。碑文は小田さん自筆の 「古今東西 人間みなチョポチョボや」

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特別寄稿

手拭い下げてお江戸の銭湯-8
=「人生八馨」 一五年
春季号・第二巻

高尾 義彦

 さらにお風呂とのかかわりを思い出してみると、石川県に住んでいた、もっと幼い頃、山中温泉や山代温泉、片山津温泉などに、家族連れで出かける機会が何度かあつた。どこかの温泉宿でピンポンを楽しみながら聴いた「お富さん」が、初めて覚えた流行歌だつた。
祖父には一度、反抗したけれど、決して風呂嫌いではない。いまは毎日、朝と夜の二回、マンションの風呂に入る。朝は裸になって十数種類のストレッチ体操に二十分ほどかけて、これが健康維持に欠かせない習慣となつている。
と、この原稿を書き終えた後の二月十八目の毎日新聞朝刊都内版 「だいあろ~ぐ東京彩人記」 欄に、日本銭湯文化協会長の高橋元彰さん (七七) が登場していた。都内の銭湯は十年前の1077軒から663軒(一月末現在)まで激減した状況に触れながら「東京五輪・パラリンピックの選手村に大銭湯を作りたい」と、裸の国際交流の夢を語っていた。
高橋さんは港区芝で「萬歳湯」を経営し、「銭湯検定」を二〇〇九年に始めるなど浮世風呂の伝統を守る活動を続けている。
「萬歳湯」にも是非、手ぬぐい片手にポチヤンと飛び込みたい。あれこれ古い記憶も呼び起こしながら、今年はお江戸の銭湯巡りを堪能したい。いずれ、その報告が出来ることを楽しみにしながら。
この項 了

新潟へ 七二七の席の縁

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

新潟へ 七二七の席の縁
(2014/06/04)
 新潟出張で上越新幹線。東京駅で切符を確したら、七号卓二七A。田中角栄元首相がロッキード事件で逮捕された七月二七日を連想する人は、ほとんどいないと思うけれど、八年前のあの夏の朝、東京地検前で現認した光景が浮かんだ。

薔薇舘 ショパンにリスト別世界
(2014/06/01)
今年も千葉市・土気にあるドクター本間の薔薇の館へ。若い音楽家を支援するチャリティーコンサート・シリーズで、今日は若手ピアニスト、近藤和花さん。べヒシュタインの1880年製リストモデルのピアノを弾きこなし、超絶技巧も見事だった。

紫陽花が ベランダで咲く雨の精
(2014/06/03)
梅雨を前にピンクの花が目を楽しませてくれる。連れ合いが生け花の花材を挿し木しておいたら、初めて花を着けた。ほとんど水だけで成長したらしく、水の精でもある。土地の条件によって色が変わり、我が家はピンク。

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特別寄稿

手拭い下げてお江戸の銭湯-7
=「人生八馨」 一五年
春季号・第二巻

高尾 義彦

風呂は別棟になつていていわゆる五右衛門風呂だった。風呂を沸かすのは祖父の仕事で、ある日、学校から帰宅して、「風呂が沸いてる」と勧める祖父に反抗して「入りたくない」と答えると、祖父が突然、激しく怒り出した。その剣幕にびっくりして逃げ出すと、祖父は、そばにあつた太い薪を手にして追いかけてきた。
せっかく孫のために風呂を沸かしたのに、入らないとは何事か、という怒りだった。家の周りを二回りほど息を切らして鬼ごつこ。祖母がとりなしてくれて、殴られることはなかつたが、忘れられない体験だった。
その祖父は、代々伝わっていた家の古文書を風呂の焚きつけに使おうとしたことがある。
町の教育長も務めた叔父が後に話してくれたことだが、慌てて止めて貴重な古文書は保存されることになつた。叔父が解読して残してくれた古文書によれば、我が祖先は江戸時代から 「紙漉き」 を生業とし、藩札、つまり阿波藩が使用する藩の紙幣を印刷する紙なども作っていたという。古文書が風呂の焚口の灰にされていれば、そんな歴史も消えてしまっていた訳で、風呂にまつわる祖父の二つの顔を思い出すと、苦笑いが込み上げてくる。

夏ビルマ 図書館バスが走ってる

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

夏ビルマ 図書館バスが走ってる
( 2014/05/15)
アウンサンスーチーさんと英国滞在時代から友達づきあいの「ビルマ応援の会」代表、宮下夏生さんから、ビルマ国内で活動する移動図書館バスをルポしたCDが送られてきた。バスは昨年七月始動。彼女はバスの確保、募金活動に尽力している。

美しき五月のパリを想うとき
( 2014/05/14)
新緑が美しい。五月になるとパリの美しさを讃える歌が蘇える。NHKラジオのフランス語講座を毎朝聴くが、効果はいまいち。この時期、街を歩く女性も美しく。

ミジンコの季節は夏か坂田さん
( 2014/05/16)
サックス奏者で「私説 ミジンコ大全」著者、坂口明さんの講演と演奏を人形町サロン・ポリフォニー(小林由美子さん主宰)で聴いた。ミジンコの映像を披露し、軽妙な語り口で生命の営みを楽しく解説。目の前で聴くサックス演奏も迫力満点。

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特別寄稿

手拭い下げてお江戸の銭湯-6
=「人生八馨」 一五年
春季号・第二巻

高尾 義彦

 吉野川の源流の一つでもあり、その下流には現在、早明浦ダムがある。一九七五年に完成すると、村役場などはダムの底に沈んだ。白滝鉱山はその二年前に閉山となり、鉱山で働いていた人も去って、大川村は、高知新聞が「500人の村をゆく」と題してルポを連載するまでになり、島奧部を除くと日本一人口の少ない自治体になつた。
銭湯の話にたどり着くまで遠回りしたけれど、高知新聞の連載に気づいて送ってもらつたコピーに、廃屋となつた白滝鉱山の銭湯の写真が掲載されていた。住んでいた社宅から歩いて一分もかからない場所にあり、毎日のように通っていた銭湯だ。屋根が崩れた写真から、入り口あたりの状況が記憶と重なる。
六十年近く前のある日の夕方、偶然にも女風呂の入り口が開いていて、後ろ姿の女性の裸身が目に飛び込んできた。それは同級生の女の子の後ろ姿で、女性と表現するほど成長はしていないが、一糸まとわぬ姿を見てしまつた、その時のドキッとした胸の動惇は、いまも鮮明に記憶に残る。高知新聞のフロントページに掲載された写真を見てこんな連想をする読者はほかにいないだろうけれど、一瞬、時間が逆転したような思いだった。
子供の頃のお風呂の話をもう一つ。中学生になって、徳島の郷里に一人戻されたあとは、しばらく祖父母と三人の生活だった。

ビアガーデン チラシで誘うがちと早い

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

ビアガーデン チラシで誘うがちと早い
(2017/05/15)
 夕方、JR有楽町駅から出たところで、「ビアガーデンやってます」と声をかけ、チラシを配る男性たち。先週あたり、夏日もあつたので、「ビールを」という気分も否定できないが、今日はうす曇りで気温も上がらなかつた。

フルートと挙(こと)が仲良く沙羅の花
(2017/05/13)
福原信男&大熊篤史の共演に、ソプラノの奥脇泉さんたち。初台の東京オペラシティ・近江楽堂で、雨の中、楽しい演奏を聴いた。「花に寄せる調べ」と題して、宮城道雄作曲「初便り」など。大熊さんが、連れ合いの生け花の先輩のお弟子さんという縁。

母の日に 母の姿のいま昔
(2017/05/14)
母の十三回忌も過ぎて、花を贈ったり声をかける人はいない。母から子へ、子から孫へ、孫も母親になつて、それぞれに母の姿がある。長い時間のつながりの中で、一人一人の幸せを願う。まだ二歳前後の頃、母と一緒に撮った写真を飾り、時々、手を

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特別寄稿

手拭い下げてお江戸の銭湯-5
=「人生八馨」 一五年
春季号・第二巻

高尾 義彦

 夕方五時過ぎだったので、それほど混んでなくて、若者やちょつと癖のあるひげもじやの男など客は七人。身体を洗って超音波の湯船に入る。江戸の銭湯らしくかなりの熱さだか、我慢できないほどではない。あとで四三度と知った。いったん上がって、普通のお湯の湯船にも身をゆだねる。温度はほぼ同じで、二つとも大人が三人も入るとちょっと窮屈に感じるほど小さい。新入りがあちこち眺めるのも失礼か、と十五分ほどで上がって、脱衣場へ。着流しの男性が椅子に座ってスマートフォンをいじっているかたわらを、入ってきた外国人が通り抜ける。着替えをしていた若い男性二人は関西なまりで、観光のついでという風情だった。「金春湯」を利用する客筋に興味がわくが、取材は控えて外へ。
帰りは晴海通りを走って、歌舞伎座を左手に眺め、勝間橋を渡る。もんじゃの店がひしめく月島通りには「月島温泉」があり、早めにトライしたいところ。佃二丁目の自宅マンションには二十分ほどで帰着。すぐそばにある住吉神社に向かう佃小橋を渡ると、右側に「日の出湯」。ここはマンションと銭湯が一体になつていて、名前を記した煙突がリバーシティーの高層マンションを背景に高くそびえて、存在感を示している。いつも自転車で有楽町駅まで通勤している入船通りの途中には 「湊湯」(湊一丁目)がある。この三軒が日頃、気になつている銭湯の三羽烏だ。
記憶に残る銭湯の思い出と言えば、高知県土佐郡大川村・白滝鉱山に住んでいた小学校六年生の頃にさかのぼる。父親が日本鉱業に勤務していた関係で、小学校時代はヤマからヤマの転校生活。その最後が海抜八〇〇メートルの白滝で、冬には滝も白く凍る寒さだつたことから、この名が生まれたと言い伝えられる。