ゆすらうめ 桜に負けずベランダに

ゆすらうめ 桜に負けずベランダに
(2017/04/06)
山桜桃梅の花がベランダで満開に。楚々とした白い花。昨夜は門前仲町・大横川の桜を楽しんだ。新聞社時代の「三人娘」と。川面に伸びる花がボンボリの灯りに照らされて。また来年もこの花を。絶滅から救われ、英国から里帰りした「太白」の話題が新聞に。

シャガに雨 七宝に目を癒されて
(2017/04/08)
目黒の東京都庭園美術館に並河靖之・七宝展を見に行く。改築後初めてで、新しいギャラリーが別棟に。藤の花や蝶が描かれた作品は、気が遠くなるほど細かい線使いだが、見ていて気持ちが綺麗になるような。目黒川の花見に向かう途中にシャガの白。甘茶の日。

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特別寄稿

手拭い下げてお江戸の銭湯
=「人生八馨」 一五年
春季号・第二巻

高尾 義彦

 「中央区敬老入浴証」なるものが手元にある。定期券大のカードに鶴と亀のイラストがデザインされ、六五歳の誕生日直後に、区役所から送られてきた。それ以来、区内にある十一の銭湯と、区は異なるが「入浴証」が利用できる千代田区二カ所」江東区三カ所、計十六カ所の銭湯を巡ることを、仕事を離れた後に挑戦したい計画の一つとして楽しみにしてきた。ところが古稀を迎える今年二〇一五年もまだ現役なので、リタイア後を待たず、
そろそろ実現しなければ、と思い立つた。
最初に入浴する銭湯をどこにするか、それは最初から決まっていた。銀座の真ん中、金春通りにある 「金春湯」 である。なにしろ江戸時代末期の一八六三年創業だから、初風呂に選ぶ銭湯としては申し分ない。それだけではなく、新聞社に入社した一九六九年七月、研修期間に 「町を歩いて、何かテーマを探して原稿を書け」 と指示されて、思いついたのが 「金春湯」 だった。ある日の午後、この銭湯の入り口に立って、やってくるお客さんに、金春湯の魅力やどのくらいの頻度で訪れているのか、などこまごまとしたことを質問し、支給されたばかりのメモ帳を埋めた。
なにしろ、周辺には高級クラブやバー、料亭などが林立し、大学を卒業したばかりの身には、眩しい種族が生きている街に見えた。
この時は銭湯には入らず、新聞社に戻って短いコラムにまとめ、比較的好評だったことは覚えているが、内容は茫々として、記憶のかなたに消えてしまった。ただ、新米の新聞記者として、取りあえずの「取材」は、これが初めてであり、その体験がずっと心の底に残り、「入浴証」を手にしたとき、お江戸の銭湯巡りは銀座から、と自分に課していた。

土筆の穂 筍ご飯と昼寝して

特別寄稿

寸又峡を遠く離れて-6
=「人生八馨」2017年正月号・第九巻

高尾 義彦

冒頭で触れた籾井勝人・NHK会長の再任を許さない署名は、メールが届いた時点の25000筆から数日後には三万筆を超えたと報道された。会長の任期は2017年1月まで。
人権擁護の立場に立つ雀牧師の訴えがNHKを動かしたように、善愛さんたちの行動がどのような成果をもたらすか、一人ひとりの署名の力はささやかかもしれないが、NHKの現状を憂慮する人たちと、心をともにしてゆきたいと思う (12月6日、次期会長は上田良一・NHK経営委員に決定)。
「寸又峡を遠く離れて」とタイトルを付けたのは、頭の中に1967年に製作された映画「「Loin du Vietnam」が浮かんだためだった。
「ベトナムを遠く離れて」という日本語訳だったと記憶しているが、ネットで確認すると、「ベトナム司離れて」となっていた。
学生時代は、作家、小田実さんたちが担った「ベトナムに平和を!市民連合」(べ平連)のデモにも参加し、記者としては、韓国の民主化を求める小田さんたちの市民運動の取材も担当した。通奏低音という音楽用語があるけれど、どこかに通じるものを感じて、このタイトルを選んだ。
(「被告」という呼び方は本来、裁判中に限られますが、本稿では例外的に、すべての場面で「金被告」と表記しました)

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土筆の穂 筍ご飯と昼寝して
(2014/04/22)
月に一度の業界の会議に、やや気張った弁当。土筆の穂が筍ご飯の上に乗っていた。グルメの時代、料理人もいろいろ知恵を働かせる。同じ「なだ万」が先日のパーティーで用意した筍の土佐煮にも感心した。

山桜 百段階段八重桜
(2014/04/22)
目黒雅叙園・百段階段で開催中の生け花展。連れ合いの作品などが展示されている部屋は階段を五〇段上つた草丘の間。広山流家元岡田広山さんは山桜、引間淑乃さんは八重桜。

駆け上がる ツツジ咲く坂 陽を浴びて
(2014/04/23)
佃公園にツツジが咲き、季節が進む。朝、リバーシティー中央大橋に向かう坂道を自転車で駆け上がる。今日の陽気なら、夜の帰りにも雨用のコートは必要なさそう。底寒い日が続いたので、本当の春にと願う。

夜桜に 上弦の月 屋形船

特別寄稿

寸又峡を遠く離れて-5
=「人生八馨」2017年正月号・第九巻

高尾 義彦

1980年代には、作家の小田実さんらがリーダーとなり、まだ学生だつた辻元清美・現衆議院議員も事務局員として活動した韓国民主化運動を取材したのも、心情的にはこの流れの中にあつた。善愛さんが尊敬する韓国の作曲家、伊伊桑(ユン・イサン)さんとの出会いもあつた。早さんは朴正配州政権当時に「東ベルリン事件」に加担したとして、当時の西ドイツに追放されていた。
こうした伏線があつて、俳優座の「最終目的地は日本」とめぐりあった瞬間、金嬉老裁判の細部や法廷の内外で展開されたひと模様などが一気に蘇った。善愛さんが、あの径牧師の血を引く娘さんだったことを知った驚き。
自分自身にとっても遠い事件と思ってしまうほど時間が経過していたのに、彼女の存在が記憶を揺り起こした。
それ以来、善愛さんが上野の文化会館小ホールでパートナーのチェロ奏者、三宅進さんらとともに定期的に開催するコンサートに、時間の許す限り足を運んできた。
父であり人権活動家としての径牧師の素顔は、善愛さんの著書「父とショパン」(08年、影書房)に詳しい。著書によれば裡牧師は善愛さんが日本人と結婚するようなことがあれば「おまえを殺して、わたしも死ぬ」 と言って、議論を重ねることが多かった。その父親は、娘から結婚の相手を紹介され、何事もなかったかのように結婚を許したが、善愛さんは「父の人生の中で、朝鮮での拷問に次ぐ試練であつたと思う」と振り返る。
この著書で善愛さんは、独立前のポーランドからパリに逃れて音楽活動を続けたショパンへの思いも語っている。母国・祖国を失った音楽家への深い共感。彼女のコンサートで聴くショパンの曲には、多くの思いが込められていると、いつも実感する。
池袋の東京芸術劇場で16年八8月に見た東京芸術座公演「KYOKAI 心の38度線」では、善愛さんが音楽監督とピアノ演奏を担当して、山僅牧師の生き方を「いま」に伝える展開だった。ここでもショパンの曲が流れた。

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夜桜に 上弦の月屋形船
(2017/04/05)
 昨夜は隅田川沿いの佃・さくら亭で、新聞社後輩と花見酒。ようやく満開近く、大川沿いに花見客。帰りにカフェバー「星時計」に立ち寄り、さとみさん手作りの佃煮やカブ漬け。日本酒は「幻」「白竜」「東力士」など。

ゆすらうめ 桜に負けずベランダに
(2017/04/06)
山桜桃梅の花がベランダで満開に。楚々とした白い花。昨夜は門前仲町・大横川の桜を楽しんだ。新聞社時代の「三人娘」と。川面に伸びる花がボンボリの灯りに照らされて。また来年もこの花を。絶滅から救われ、英国から里帰りした「太白」の話題が新聞に。

さくら散る 掃除の苦労知らぬげに
(2017/04/07)
佃小学校の桜が自宅マンションの階段に散り始めた。出勤時、玄関前で管理人の深井さんに「大変ですね」。玄関先には入学したばかりの一年生も含め、傘をさした小学生一〇人ほどが母親達に見送られてにぎやかに。

屋形船 長屋の花見聞きながら

特別寄稿

寸又峡を遠く離れて-4
=「人生八馨」2017年正月号・第九巻

高尾 義彦

掛川市で焼肉屋を経営していた金被告の母親(オモニ)を訪ねて取材したこともあつた。
在日の人々が置かれた生活の現場を実感した
思いがあつた。
判決は、静岡支局在任中の72年6月に言い渡され、死刑の求刑に対して、無期懲役刑だつた。金被告は最高裁まで争ったが、上告は棄却されて有罪が確定した。一九九九年九月、韓国渡航を理由に仮出所が認められ、2010年3三月、82歳で亡くなつた。
一方で、金嬉老事件後も在日の人権を守る活動を続けてきた笹牧師は75年にNHKを相手取り「韓国人の名前を日本語読みするのは人権侵害」と、名前の原語読みを求めて一円訴訟を起こしている。最終的に最高裁で敗訴となつたが、最高裁判決には、雀牧師の主張を認める文言もあり、この訴訟を契機にNHKは民族語音、.外国母国語で報道するようになつた。ちなみに雀昌華牧師は「チオエチァンホア」、径善愛さんは「チエソンエ」と発音する。金嬉老被告は「キム ヒロ」。
金嬉老裁判では、民族差別について発言する法律学者や知識人が 「特別弁護人」などの形で被告を支援し、殺人、監禁などの罪は罪として、社会に深刻な問題提起をしてきた。
取材を通じてこうした人たちを知ったこともあり、七三年に東京社会部に転勤になつた後も、裁判の経過や韓国に戻った金被告が、再ひ現地で犯罪を起こしたことなどが気になつていた。
社会部では七五年に司法記者クラブに配属されることになるが、静岡支局での裁判取材の経験がなければ、記者としてこの道筋をたどったかどうか、特に「金嬉老事件」との出会いに運命的なものを感じざるを得ない。翌年にロッキード事件に遭遇したことも、この延長線上の出来事だった。

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屋形船 長屋の花見聞きながら
(2017/03/26)
屋形船でてんぷらや寿司を味わい、落語を聞いて、隅田川沿いの桜を楽しむ、という趣向。しかし桜はほとんど開花せず、冷たい雨。それでも浅草・吾妻橋から船出して、桂伸治さんの「長屋の花見」を聞きながら豊洲市場用地など眺めて、連れ合いと二時間。

豊島から 産廃消えて花見待つ
(2017/03/29)
香川県は二八日、豊島に不法投棄された産業廃棄物の搬出が完了した、と発表した。公害調停成立から一七年。総量は九〇万八千㌧。ようやくごみの島の汚名を返上するが、汚染地下水の浄化や跡地利用が課題。安岐正三さんはツツジの花見に断酒解禁か。

桜模様の ネクタイ締めて年度末
(2017/03/31)
濃紺の地色に小さな花びらを密集させた図柄。今日で定年を迎え職場を去るサラリーマンも? 最近は六五歳までの雇用確保が義務化され、嘱託などで仕事を続ける人も。自分の会社生活は六月一六日の株主総会まで。

能舞台 柳は青く角田川

特別寄稿

寸又峡を遠く離れて-3
=「人生八馨」2017年正月号・第九巻

高尾 義彦

ここで話がやや横道にそれるが、事件発生の夜、静岡支局では金被告が寸又峡に入ったことをきちんとフォローすることが出来なかった。他紙が「ふじみや旅館」に電話を入れて本人との一問一答形式で翌日の朝刊に報じていたのに、事件後の足取りを報道できなかつた。そのためこの事件に触れることは支局内でタブー扱いになっていて、デスクから「裁判の原稿はいらない」「法廷に行かなくてもいい」とまで言われた不幸な時期があつた。
とは言っても開廷日ごとに取材は続けなければならないし、普通の刑事事件以上に、証言などで何が飛び出すかわからない。やむなく法廷が開かれる日は、事前に休みを取ったことにして、実際には静岡地裁に出かけて、夕方そっと原稿を出すため支局に戻るようなこともあつた。
裁判の途中で衝撃的な事件が起きた。主任弁護人の山根二郎弁護士らが七〇年四月、県警記者クラブに飛び込んできて、金被告が顔のそばに包丁を掲げているモノクロ写真を記者たちに示した。未決拘置中の静岡刑務所で面会した際の写真で、やすりやライターなども所持し、独房の中で包丁を使って料理するなどの 「特別待遇」 が判明した。
看守が気を使って特別な差し入れなどを黙認していたわけで、差別と裏腹の対応だった。
事件は検察庁が捜査を担当し、特別待遇をしていた看守を割り出した。その頃は担当の検事宅を夜回りして捜査の状況を取材する日々で、ある日、検事が看守の名前をもらしてくれた。「K看守」と特定して社会面に原稿を書き、小さな特ダネになつたが、その記事が掲載された朝刊が配達される前に、この看守は自殺していた。
寸又峡温泉には、裁判の途中に行われた現場検証の際に、裁判官や検察官に同行して一度だけ訪れた。旧式のSL列車が走り、秋には紅葉を愛でる観光客でにぎわうが、そんな余裕はなかつた。事件の舞台となつた旅館は一時期、資料館を設けて当時の資料を公開していたが、いまは廃業している。

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六年目 津波のあの日春寒く
(2017/03/10)
東日本大震災から6年。3月11日のあの日から、日本は大きく変わったはずだけれど、原発再稼働の動きはやまない。ダブルスタンダードを採用してまで避難解除区域を指定する政策に、かつての住民は戸惑う。

能舞台 柳は青く角田川
(2017/03/12)
知り合いの井上貴覚さんがシテを務める金春会定期能の「角田川」。我が子梅若丸をさらわれた都の女が東国に消息を求め、柳の木のたもとで、亡霊となった我が子に出合う。小学校三年生の長女和奏さんが亡霊役として舞台に立ち、父娘共演。国立能楽堂は春の気配。

ハクモクレン 川風に散る昼下がり 一九日
(2017/03/19)
自転車で近隣を走ると、隅田川沿いなどにハクモクレンの並木があり、もう散り始めていた。近辺では、東陽町に近い汐浜運河沿いに一㌔㍍以上も続く並木がある。連れ合いが所属する広山流の花展は、春の花の賑わい。

少年は 打って走って春を呼ぶ

特別寄稿

寸又峡を遠く離れて-2
=「人生八馨」2017年正月号・第九巻

高尾 義彦

支局で内勤の仕事を指示され、先輩記者や通信部から送られてくる原稿を、電話機を握りしめながら「ざら紙」と呼ばれた原稿用紙に書き留めてゆく。原稿用紙といっても桝目はなく白紙で、葉書より少し大きい1枚に、1枚5字ずつ3行で、当時の印刷紙面の一行に当たる15字の原稿とする。ちなみにこの用紙は、新聞印刷用に輪転機にかけられる用紙の余りを利用して裁断されたものだ。
そんな見習い作業の合間に、何気なく手にしたのが、机の上に置かれていた「金嬉老事件」の冒頭陳述書だった。B5版ほどの大きさで、白い表紙に黒い表題が印刷され、かなり分厚いものだった。偶然、この冒頭陳述書を手に取ったことが、振り返ってみると、新聞記者、中でも主に司法を担当する記者としてのその後を決める運命の出会いだった。
金嬉老事件は、入社前年の一九六八年二月二〇目に発生した。在日コリアン二世の金嬉老被告(本名・権繕老)が清水市(当時) のクラブ「みんくす」で暴力団員二人をライフル銃で射殺した。逃走後、静岡県本川根町(同)の寸又峡温泉「ふじみや旅館」に経営者や宿泊客ら一三人を人質にして立てこもった。金被告は実況中継のテレビやラジオを通じて、警察官による朝鮮人・韓国人侮蔑発言に対する謝罪を求め、民族差別問題がクローズアップされた劇場型犯罪となつた。
崔昌華牧師は当時、福岡県・小倉の教会を 純拠点に、戦時中に朝鮮半島から強制連行された朝鮮人が炭鉱で働かされ、命を落として、遺骨が放置されたままになつていたため、遺骨の収集や納骨堂の建設に力を注いでいた。
事件を聞いて寸又峡を訪れ、立てこもり中の金被告を説得、「民族差別との闘い」を訴えた。
龍城88時間で新聞記者の腕章を着けた警察官らに取り押さえられ逮捕された金被告の裁判は、私が静岡支局に赴任した当時、すでに静岡地裁で始まって一年ほどが経過していた。支局勤務の新聞記者一年生は警察や裁判を担当することになっていたので、この裁判の取材も仕事の一つになつた。

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少年は 打って走って春を呼ぶ
(2017/3/8)
中学生の頃まで野球少年だった。ワールドベースボールクラシック(WBC)が始まり、日本は初戦でキューバに勝ち幸先のいいスタート。選手たちの心はいまも少年。.

椿咲く寂聴さんと京の旅
(2017/3/5)
BS・TBS「麗しの京都巡礼」を見て、『中坊公平の追いつめる』を一九九八年に出版した際、中坊さんとの縁を取材後、寂聴さんとお酒を?んだ日を思い出した。俳人真砂女さんをモデルに小説「いよよ華やぐ」を新聞連載していた頃で、店は彼女の銀座「卯波」。

梅の花 メジロせかせか蜜を吸う
(2017/3/7)
知り合いのフェイスブックに、梅の蜜を吸うメジロの姿。カメラなど気にせず、さぞ忙しく動き回っていることだろう。子供の頃、田舎でメジロを飼っていた。

 

桃の花 出荷を急ぐ老いの手で

特別寄稿

寸又峡を遠く離れて-1
=「人生八馨」2017年正月号・第九巻

高尾 義彦

NHK現会長の再選阻止のため署名をお願いします」。
2016年10月30日、自宅パソコンに届いたメールが目に留まった。差出人は知り合いのピアニスト、崔善愛さん。崔さんの父、崔昌華牧師(故人)が主人公の演劇「KYOKAI 心の38度線」を二か月ほど前の夏に見たばかりだつた。崔牧師はNHKに対し韓国人の名前を日本語読みすることは人権侵害であると主張し、民族語音で読むよう求めて裁判闘争を続けたことで知られ、父と娘がともにNHKに異議を申し立てる事態に、不思議な因縁を感じた。
崔善愛さんが崔牧師の娘さんであることに気付いたのは、俳優座で05年4月に上演された「最終目的地は日本」を見た時だつた。指紋押捺を拒否して起訴された善愛さんが、再入国許可が出ないままピアノを学ぶために米国に留学したため、日本の永住権
を失い、法改正によって永住権を獲得するまでの闘いを描いたお芝居で、女優若村真由美さんが善愛さん役を演じた。
この時、人と人の不思議な縁と、予想もしなかつためぐり合いに驚いた。「崔さん父娘」の関係を知ってなぜ驚いたか、それを説明するためには、自分が新聞記者としてスタートした原点に遡らなければならない。
大学闘争が各地の大学で激化した1960年代末期。毎日新聞社への入社が決まっていたものの、当時は「卒業」という学歴が必須の条件だつた。二つの国立大学の我々7人は69年6月30日に卒業し、同期の新入社員より3か月遅れて、翌日の7月1日に入社することになつた。短期間の研修の後、配属されたのは静岡支局で、もう夏の高校野球の予選大会が始まる頃だつた。

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桃の花 出荷を急ぐ老いの手で
(2017/03/01)    一日
 料理のつまに飾られる桃の小枝。徳島県上勝町のいろどり産業は高齢者の手で発展し、全国的に。小枝をパックに詰める作業風景の写真が地元紙に、とひでこさんのメール。

スカーフを 雛の日だから替えてみる
(2017/02/03)
カシミヤのマフラーからシルクのスカーフへ。バスで居眠りして乗り過ごしそうになった。石原元都知事が日本記者クラブで記者会見。小池知事と雛祭りの対決。中央政界では国有地の格安売却で安倍首相の足元が揺らぐ。

桜餅 ほんのり春を連れてくる
(2017/02/05)
朝の紅茶に桜餅。昨日はよみうり大手町ホールでモーツァルト五重奏曲のチャリティーコンサート。自転車で約30分、ようやく寒さを感じずに。自宅ベランダの早咲き桜(さくらんぼ)が白い花を着けた。

神なびて 上野の山に春の鹿

手古舞伝える辰巳芸者-5

高尾 義彦
「人生八威聲」2018年10月
秋季号・第16巻より

いまでは総代の多くが昔のことは知らない世代となり、丑井さんは自分の知識や体験を引き継ぐことに使命感を感じつつ、活動を続ける。「なんとか東京五輪の年までは、若い人たちの指導を続けたい」と願う。2020年は例大祭の年に当たり、東京五輪とパラリンピックの間に、その時期がやってくる。
ちなみに、今回、丑井さんを紹介してもらったのは、門仲にある行きつけの小料理の店「多万村」の女将さん、村田愛子さんから。村田さんの実家は、先に触れた料亭「幸月」で、愛子さんは子供の頃から丑井さんに可愛がられたという。

我が家がある佃地区では、この夏、住吉神社が三年に一度の例大祭を迎えた。江戸の初期に、家康の命で摂津から移ってきた漁師を祖先に、祭りも引き継いできた。今年は例大祭の時だけ揚げる六本の峨を立て、八角神輿を台船に乗せて隅田川をめぐる「神輿渡御」も行われて、隣りの富岡八幡宮に負けずに賑わった。
峨を揚げる六本の柱は高さ20㍍ほどもある。祭りが近く、佃小橋のほとりの運河の泥に埋めてある抱え柱を、クレーン車も使って、若者が総出で引き上泥の中で保存するのは腐食を防ぐ先人の知恵だ。峨城に向かって扇型に配置され、ここでも江戸の心意えている。
神社の氏子が富岡八幡宮の神輿を担ぐこともある様、二つの下町が憩いの時間を演出してくれている。
住まいを構えた江戸の下町は情緒豊かに季節が移る。

取材にご協力頂いた丑井美代子様に感謝してこの項を了とする。高尾義彦。

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神なびて 上野の山に春の鹿    一六日
(2017/02/16)
上野公園・東京国立博物館で開催中の「春日大社千年の至宝」展。国宝や重要文化財の春日鹿曼荼羅を展示。会場内は汗ばむほどで春を思わせる。駆け足で一時間半ほど。居ながらにして奈良の都を味わった。

しなやかな 言霊求め冬のデモ
(2017/0201)
連発される米大統領令。移民を拒否し、自国の国益を追い求め、批判するメディアに態度を硬化させる。日本は戦後、米国から民主主義を学んできた。トランプ大統領に反発する米国内の声は、その民主主義がまだ生きている証拠と信じたい。

菜の花や 我が家のソファに二三片
(2017/02/13)
房総から来た菜の花。花瓶から花びらが二三片、ソファの上に散っていた。今週の東京は、比較的、温かそう。このまま春になるとは思えないけれど、JR有楽町駅まで、本格的に自転車通勤を再開する。

 

海光る 少年の目は何を見る

手古舞伝える辰巳芸者-4

高尾 義彦
「人生八威聲」2018年10月
秋季号・第16巻より

丑井さんが料亭を始めた時に開店資金として1300万円の融資を受けられたのは、芸者時代の信用があつたためで、七年の約束が三年半で全額返済し、店の決裁も現金払いを徹底してきた。
「私たちの時代は、景気にも恵まれ、いい時代でした。自分の努力だけではなく、お客さんも立派な方が多かつた。あるお姐さんは、旦那だつた弁護士が事件で逮捕されたとき、任侠肌のお客さんに『毎日、差し入れに行け』と忠告されて、その通りにしたら、旦那の奥さんに認められたといった話もあつた」
富岡八幡宮の祭りは、寛永一八年(一六四一年)に三代将軍徳川家光の長男家綱(後に四代将軍)が誕生。その祝い事として始まった、と言い伝えられている。以来、江戸の三大祭りとして受け継がれ、祭礼には辰巳芸者だけが参加を許されてきた。
その後の手古舞に話を戻すと、辰巳芸者の消滅とともに、手古舞保存会が平成五年に誕生し、それまでの歴史を引き継ぐことになつた。最初は丑井さんの店を稽古場にした時期もあつたが、八幡宮の総代会が力を入れ、踊り子たちの衣装や練習場も安定的に確保されるようになつた。
八幡宮の総代は約三五〇人。その中から、幹部クラスの五〇人が選ばれ、「八鳩会」を結成し、祭りの運営などに責任を持っている。富岡八幡宮では昨年12月、宮司の姉弟の間で事件があり、20代官司だった弟が、姉の21代宮司を日本刀で殺害する事件があり、その衝撃が冷めやらぬまま、初詣客が激減した。その後、節分の豆まきなどを経て三月で喪が明け、大お払いも済ませて、今回の「二の宮渡御」が清めのイベントとなつて、人気は復活したと関係者は受け止めている。

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納豆と弥彦の米と蕗味噌と
(2017/2/11)
年明けから納豆を食べ始めた。納豆に醤油、京都のもろみ、そして蕗味噌。体重が七〇㌔を超え未知の領域に。幸い、標準体重六三㌔当時のスーツはそのまま。

巡礼に ご報謝唱え冬の旅
(2017/2/11)
安倍首相とトランプ米大統領の会談。思わず阿波人形浄瑠璃の言葉が浮かんだ。趣旨は全く違うが、恩恵を求めすり寄るような姿は、報謝を求める以上に、「朝貢外交」を思わせて。同盟優先より、民主主義の実現を、沖縄など国内で果たしてゆく努力を。

海光る  少年の目は何を見る
(2017/2/21)
映画「海は燃えている」。イタリア最南端ランペドゥーサ島は年間五万人を超える難民の玄関口。12歳の少年サムエルは松の小枝とゴムで作ったパチンコで小鳥を狙い、弱視矯正眼鏡をかけている。監督は島に住み込み、日常と非日常の世界を見つめた。

洞窟に 生命(いのち)感じて温かく

手古舞伝える辰巳芸者-3

高尾 義彦
「人生八威聲」2018年10月
秋季号・第16巻より

 かつては目の肥えたお客さんも多く、自ら芸事をたしなむ旦那衆もいた。正月には獅子舞が恒例で、辻井さんもお面、太鼓、鉦の三人とともに獅子を演じる。ある年、お手玉に獅子がじゃれる場面で、「それでは猫だ、獅子になってない」と厳しく叱責された。悔しくて、一晩中、鏡台の前で何度も練習して次の機会に踊ると、「今日は、獅子になっていたぞ」と誉めてくれた。
辰巳芸者の由来は、富岡八幡宮や深川不動尊がある深川地区が江戸城の辰巳、つまり南東に位置することから生まれた。色を売る芸者とは区別して、誇り高い辰巳芸者は一流になると羽織を着てお座敷に出ることが許され、江戸時代以来、「羽織芸者」と呼ばれてきた。足袋ははかず素足で、親指と小指に、紅を塗る。羽織は「粋」の代名詞でもあつた。
丑井さんは、大卒サラリーマンの月給が一万円から一万二千円の時代に、一着一七万五千円で衣装を自前で新調した。「粋と気っぶのよさが、辰巳芸者の信条」と丑井さん。
しかし、昭和四十年代にかけて隆盛をきわめた深川の料亭文化も、バブル経済の崩壊とともに、衰退の時期を迎える。
隅田川河口の材木集積場だつた木場が埋め立てられ、昭和44年に荒川河口「新木場」が設けられると、木場の旦那衆の足も遠のき、辰巳芸者の人数も減ていった。
丑井さんは昭和58年、置屋の名前をそのままつけた料亭「君代紫」を開店、お座敷に呼ばれて踊りや三味線、鼓を披露する生活にピリオドを打つ。辰巳芸者はそのころすでに二〇人ほどに減り、料亭も四、五軒しか残っていなかった。その後10年も経たないうちに辰巳芸者は姿を消し、往時を語ることが出来るのは、丑井さん一人になつた。「一力」「幸月」などの有名料亭もいまはなく、かつての料亭街では「金柳」が昔の姿を偲ばせる。

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洞窟に 生命(いのち)感じて温かく
(2017/2/2)
 寒風の中、「ラスコー展」を国立科学博物館に見に行った。「クロマニヨン人が残した洞窟壁画」と題して、実物大の壁画(レプリカ)を展示。二万年前に制作されたと推定される壁画を少年が発見した偶然。

恵方巻 北北西は我が恵方
(2017/2/4)
佃にある我がマンションは北北西向きで、陽当たりが悪い。地下鉄月島駅に近い割には静かで、足の便はよく、終の棲家として満足しているのだが。昨夜は人形町寿堂の豆。

チョコレート  柚子の香りを包み込み
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2017/2/7)
ヴァレンタインを前に柚子をチョコでくるんだ一品を栄美子さんに貰った。仙台の居酒屋「源氏」の女将・髙橋雛子さんの筑前琵琶発表会が東京で開かれた機会に。叶匠壽庵の説明書きに「柚子の花言葉は恋のため息」と。